見出し画像

思い込みや先入観には気をつけたい。でも「正したつもり」も思い込みかも・・・

昨日、noteにフランツ・カフカという作家のことを書いたので、思い出したことがあるのです。先入観・思い込みの話。



さて、この作家の作品に「変身」というのがあります。冒頭は唐突にこんな文章から始まります。

「ある朝、グレーゴル・ザムザがなにか気がかりな夢から目をさますと、自分が寝床の中で一匹の巨大な虫に変わっているのを発見した」(「変身」フランツ・カフカ著、高橋義孝訳、新潮社)

で、虫になってしまってからの家族(両親と妹)との関係が描かれる。



中学か高校の時に読んだのですが、この虫を、ボクはゴキブリに想像したのです。本の中では脚・足の話や天井を這う話やら、仰向けにひっくりかえって動けないなどの話があるのですが、とにかくゴキブリが頭に浮かぶのです。

世の解説には、ムカデとか甲虫とかでは?という説明があるのです。え、そうなの? と思った記憶があります。が、もうゴキブリと思ったからには甲虫やらにはならないのです。ゴキブリが脳みそを勝手に占領し、どうにもならないのです。

もし甲虫の「絵」があればゴキブリを改められるかもしれませんが、カフカはこの小説の虫を本の挿絵などで描くことを禁止したそうです。強く、それだけはどうか止めてくれ!って。読者の自由な想像に任せるよ、何の比喩かは好きに想像してね、それぞれの心が思う理不尽・不条理・不可思議・苦悩でいいよ、って。

そして、「自分の脳みそって、思考って、想像力って、コントロールできないんだ」と強く思ったのです。その歳になるまでに勉強や部活で思い通りにいかないことは多々あったはずだけど、読書のチカラでしょうか、真剣に思ったのです。



で、中学生の頃の話をもう一つ。

ヘミングウェイの作品を2つ続けて読んだのです。「誰がために鐘は鳴る」を読んで、その後に「武器よさらば」。

前者では、男性の主人公が亡くなります(亡くなることが示唆されます)。で、すんなり受け入れたのです。男が死ぬもの・死ぬべき、なんて思っていたから。

一方、「武器よさらば」は最後に女性主人公が亡くなります。この時、女性が亡くなるなんて思ってもいなかったので、とてもビックリしたのです。話の流れからもそう推測しなかったし、第一次大戦の話なので、亡くなるならば男性と思い込んでいた。それに、直前に読んでいた「誰がために鐘は鳴る」にも引っ張られていたと思うのです。

映画やドラマの映像を見て、こうなるだろうと想像する。想像外のことが起きたらびっくりはする。が、この時のびっくりはとても強く、なにか種類が違ったのです。

赤ちゃんの頃から、思い込みや間違いは多々経験しています。小学校からはテストでうっかり間違いなどもあった。でも、真剣に考えたことはなかったのです、「思い込み」や「先入観」について。

中学生になっておそらく一定の知性も高まり、思考力も高まり、そして、テストとは違って緊張感の無いリラックスした読書時間なのに、経験したこの「思い込み」「先入観」がとても印象に残った、のだと思うのです。

映像ではなくて、文章だから、自分自身の頭の中で終始場面を想像して映像化しているから、自ら脚本・監督しているようなものだから、結果がわかっていると思っているから、余計ビックリしたのかな、と今は考えたりします。映像とは違う文章独特の影響力はありますね。



ということで、思い込み、先入観、固定観念、偏見、思考のクセ、傾向、好き/嫌い、生理的感情、非合理・不合理・・・

気をつけないとですね。うっかり自分が目指していた未来がこぼれ落ちるかもしれませんもの。。。

でも、思い込んでいたことを改めたその次も思い込みかもしれません。
自分の思い込みを正してくれた相手の考えが思い込みかもしれません。
そして、それが思い込みって思えない、気づけないかも。

なんてループも考えます。
うーん、難しい。


読んで頂きましてありがとうございます。
(v9_8)



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?