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3観点評価と「アクティブ・ラーニング」

はじめに

 高校課程において、3観点の評価が話題になっている。特に、新しい学習指導要領の第1款3にある「偏りなく実現できるようにするもの」という部分が重く感じられているようである。
 そこで、「中学においてはすでに行われている」ということが言われるが、それはそう簡単にはいかない。それは、中学と高校では、求められる知識及び技能の内容量も内容の質も格段と異なっていることが一つの要因と考えられる。また、学びに向かう力を測るのに、発言回数や提出頻度だけを使うことは求められていることではない。そうなると具体的にどのようにしていけばいいのか、戸惑う方も多いようだ。

どう「測る」?…評価とは何のためか

 従来のペーパーテストで測ることができるのはどこまでなのか、ペーパーテスト以外にどのような方法があるのか、そしてそれをどのように測っていけばいいのか……そこには、さまざまな意見があり、異なった見解がある。そういうなかで、あえて、私自身の見解を述べたいと思う。

 評価自体の議論自体を嫌う傾向もみられる。評価を話題にすると、「評価のために評価をするのか!」と(いう内容のことを)強い口調で迫る方を必ずと言っていいほど見かける。誰もそんなことは言っていないし、そのような意図をもっている人はいないだろうに…

 この議論は、当に、アクティブ・ラーニングのときにあったものと類似しているように感じる。そう、アクティブ・ラーニングが出てきたとき、「今までの学力が保障されるのか」ということが批判的意見としてよくみられた。いまでは、それに加え、「形(動き)ばっかりで、中身がない(学びになっていない)!」という声も聞こえてくる。アクティブ・ラーニングへの誤解というか拒否の姿勢のある方がまだまだ多いことに、私は強い違和感をもつ。このような意見が出てくる原因には、いくつかの側面がある考えられる。ここで、先日、先生方からお話を聴いている中でよくわかったことは、その原因の中で最も大きいものは、実際に行うことが「怖い」ということということだ。この「怖い」中にはいくつかの意味が含まれている。

・授業が上手く展開できるのか(具体的な方法をよく知らない)
・この方法で共通テストなど大学入試において得点できるのか
・そもそも「アクティブ・ラーニング」を行う意義がわからない

 意義や効果がわからない(知らない)となれば、新しいことに挑戦する気持ちになれないのは当然のことであろう。私自身は、その意義や目的がはっきりと確固たるものとなっている(さらに20年以上時間をかけて学んできている)ので、自信をもって、授業に取り入れて実践し、さらに結果も出せていると感じている。

最近の取り組みとこれから…

 現在、勤務校では、校内の定期試験の回数について考えるところから、評価、そして授業改善、全体の指導方針(目標)の議論に進んできた。そして、教員内部から自主研修を行うというところまで来ている。わたくしの考えも多く取り入れていただき感謝している。先日あった一般教員主催の自主研修に、多くの一般教員だけでなく管理職も積極的に参加していた。そういう意味で、今年度の勤務校は、まだまだ伸びる可能性を秘めていると感じる。そのようなことからも、これから、このような研修の中で、できる限りの範囲ではあるが、そして僭越ではあるが、私自身が身につけてきたことを周りの多くの先生方に提供していきたいと考えている。

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