「評価」をどうする? 【中篇】
教育の目的、そして教育の目標
教育の目的って何なのでしょうか。変な言い方かもしれませんが、そして、当たり前のことでもありますが、最終的には、「これからを生きる人たちが幸せに生きることを目指すこと」なのだと思います。では、そこに向けての教育目標は何でしょうか。
私たちは、「教育目標に沿って指導し、指導したことを評価する」ことが求められています。そして、そこで各教科や科目が出てきます。そこに、今回の指導要領で強く押し出されているのが各教科における「見方」「考え方」です。学習内容としては、ここがとても大切であると感じています。
評価に関して、重要なことは、「指導内容と評価内容に齟齬がない」ということでしょう。私たちが育成したい力(資質・能力)は何なのか、そこを精査し、ルーブリックという形で具体的に提示して、進む方向を示す形で「学びの方向性」を明示することが、生徒の学びを促し、さらにひとり一人の「学び方」を育成し、これこそが学び続けなければいけない今の時代に最も役に立つ個人個人の「学習方略」を形作ることに結びつくことでしょう。
例えば、個人的には、課題発見(発想性)すること、協働や協力すること(つまりいっしょにやる力やつながる力)、そのための表現力というようなことをこれから最も大切な力(資質・能力)と捉えています。そうなるとここを長期的ルーブリックの中にどのように組み込んでいくかが重要となります。
「評価」=形成的評価と考える
「学習」評価の本来の目的は、今まで学んできたことをまとめて総括することと言い切っていいのでしょうか。それで終わりでいいのでしょうか。評価は、学習プロセスにおいて評価し、学んでいる本人にとっては学びや学習を自分で調整していく目安、また指導する側としては指導を調整していく手段として使うものではないかと思います。つまり、「これで終わり」ではなく、「これからに生かす」ものでしょう。途中で躓きを克服して高い習慣に至るように進めていくものだと考えられます。
そこで、従来の筆記試験などによる教員による一方的な評価だけではなく、自己評価と(教員以外の)他者評価を入れることが適切であるという方向で考えられるようになります。さまざまな見方があり、いろいろな評価ができる…このことは私たち教員にもとてもいい学びになり、視野が広がります。当に多様性にこたえられる教員となる機会を与えられる機会ともなります。
「インフォームド・アセスメント」
成績について説明責任が求められていることは私たちにとって大きな負担であることは否定できません。ただし、仕事と考えればアカウンタビリティが求まられること自体、それもある意味当然のことでもあります。そこは覚悟の上で行うことでもあります。
ここで、もっと重要なことは、事前にどういうことで評価されるのかを示すことであると考えます。そのことは、「学びの方向性を示す」ことにもなり、それがひとり一人の生涯にわたって使うことができる「学習方略」の確立に結びつくことなのです。だからこそ、私たち教員ひとり一人の責任が非常に大きいとともにこの仕事の価値をつくっているものと思われます。そこで、私たちひとり一人に確固たる学習観・教育観が求められています。
(後篇に続く…)