美味しくなさそうな物を食べる会
畑でできた大豆が余っていたときに「何に使う?」といつも思う。
レパートリーが少ないので「大豆といえばこれね!」と言う物も
全く浮かばないし、大豆って何に使われてるの?豆腐?みたいな
レベルだし、そもそもなんで大豆作ってるの?と夫に聞きたい
(畑は100%夫担当)。
で、ガンボスープという魚介、オクラ、鶏肉が入ったトマトベースの
スープに一時期はまったことがあったので、しかもそれはアメリカ南部のスープだったから「外国のスープといえば豆だよね」と言って
そこに大豆を使用したぐらいだった。
で、映画とか本で外国の物をみるとたいてい「豆のスープ」って出てくるよなあと思った。
それが美味しそう!と思ったこともないのだけれど私の頭の中に
「カチカチのパンと豆のスープ」という単語はセットでインプットされている。いつでもそれをイメージすることができる。
どちらもたいして美味しそうではないし、むしろ「カチカチのパン」だから
スープに浸して食べるのかな、私ツユダク嫌いなんだよな・・と勝手に思う。
私は食に特にこだわりがなく、どちらかと言えば「空腹を満たすために
なにか食べる」というぐらいのもので、美味しい物を食べるために遠くに行くとかお金をかける、ということはあまりしない。突然火がついたように美味しい物を取り寄せたりするけれどそれは一時的な発作みたいなものだ。
今のこだわりは柑橘類とトマトだから、他は別になんでもいい・・・ぐらいの気持ち。
一方で映画、本にでてくる「なにこれ、美味しくなさそーーーー」と言う物にはいつまでも気持ちが残る。
上述の「カチカチのパン」もそうだし、昔読んだ群ようこさんのアメリカ旅行をしたエッセイに出てきた「生臭いエビ、えぐいサラダ、甘すぎるケーキ」なんていつまでも記憶に残っていて(読んだのは高校の頃)時折
「あれ、食べてみたい!」と悶える。
どこかで「自分の記憶に残る、本に出てくる美味しくない物を食べる会」みたいな物が開かれないだろうかと考える。
美味しそうな物を食べる会はありそうだけど「美味しくなさそうな物」は
ないだろう。
そして、本の友、映画の友が欲しいと叫んだときに遠くの友達が
「都会ならbook clubという会があってスギが言っていることが叶うかもね。でもスギが住んでいる町にはないわ」とばっさりと言われた。
もしかしたらそういうコミュニティを作ろうと思えば人は集まるのかもしれない。でも人って「団体」になったときに、どうしてああも
「上下関係」や「派閥」を作りたがる生き物なのかなと思うけれど、
必ず「先に入った」「後から来た」問題が発生するし、面倒くさい人が一人はいる。そういうことを想像しただけで自分で立ち上げるのは絶対嫌、と思うし、一方で「じゃあそういうコミュニティが存在すれば行くのか?」と聞かれると「既存の団体に入るなんて、私人見知りだし、絶対嫌」と答える。じゃあどうしたいのさ・・・・と思うけど自分でもよくわからん笑
なんとなく頭に浮かんだ「あの本に出てきた美味しくなさそうな物」を作って食べない?と言ったら「そんなのやだよ・・でも面白そう」と
言ってくれる人欲しい!
やっぱり友達が欲しいってことかな。しかも私の要望かなえてくれる人笑
※このイラストはとっても美味しそうですよ!
こんなタイトルの記事に使ってしまってごめんなさい。でも
本当にとっても素敵✨
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