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「ぼくは青くて透明で」窪 美澄

大学に入学してすぐにオリエンテーションがあり、それは
バスで温泉に行き一泊で行われるものだった。
入学式の直後だったから知ってる人ゼロ。
「はじめまして」の人とバスで隣に座って何時間か話をして
温泉に行く・・・という割とな苦行だった。よく行ったな、私。

で、そのバスに乗って隣に座ったのはショートカットの
中性的な感じの女の子だった。体は小さくて関西弁の人だった。
その人は「オレの本名は○○子なんだけど△△男って呼んでや」と言った。
「女の子が好きなんだ。でも君はタイプじゃないから安心して」。
これが初対面の第一声だった。
私がその時思った感想。「タイプじゃないのか・・・残念だな」だった。

小中高通して同性を好きだという人に会ったことはなかった。
当時はそういうことを論じる社会でもなかったし、中にはいたのかもしれないけれどオープンにしている人はいなかった。
だから大学に入って初めて同性が好きという人に出会った。
相手の好きな人が男だろうと女だろうとそれ以外だろうと
「君はタイプじゃない」って言われるのはやっぱりショック、というか
寂しい。その人は「安心して」と言ったから「安心してもらう」ことが目的だったんだろうけれど、もしタイプだったらなんて言ったのかなと今は思う。
私は安心も何も、その発言に対してなんとも思わなかった。
寂しかっただけで「女の人好きなんだーー」とか「呼び名を替えてるんだ」とかじゃなくて「△△男って呼べって言われたけど、いきなり呼び捨て?
初対面で?君とかさんとかつけるべきなのか?」とそれだけ思った。

大学の同級生、女子は100人以上いたけれど、女の子を好きな人は
4~5人いた。隠している人もいたけれど彼女と肩を組んで歩く人もいた。
それに対して何かを言ったり、じろじろ見たりする人は
私が知ってる限り誰もいなかった。「女の子が好きなんだって。へえー。」
だけ。男子は知らないけれどたぶん同性が好きな男子もいただろうし、いても「へえ」と思ったと思う。私たちが「○○君が好きなんだよね。付き合うことになった」と言ったときに「へえ」と言うのと同じだ。

心と体の性が違う悩みや同性が好きであることの悩み、そのほかにも色々あるだろう性の悩みを私は理解できないと思う。
心と体の性は一致しているし、好きな対象は異性だったからだ。
だから彼らが悩んできたこと、そしてバスで隣に座った△△男が
初対面の私に「女の子が好きなんだ。でも安心して」と第一声で
言うようになったその人のそれまでの人生を考えると
安易に「理解できる」なんて言ってはいけないんだろうと思う。

ただ、これだけ言いたいのは私は本当になんとも思わないということ。
「私カレーライス好きなんだ」「へえ」
「私パクチー嫌いなんだ」「私も」
「本を読むのが好き」「私も大好き。どんな本読むの」
ということを話しているときの感情と同じだ。
恋バナだからドキドキするかもしれないけれど、人の恋バナに興味がないため、むしろ「本が好きなんだ」って人に巡り会えた時の方が
よほどドキドキするし興味もわく。

私の母方の祖父だけが「男」を贔屓していた。
でもそんな祖父を祖母や私の母はこてんぱんにやっつけていた。
祖母も私の両親も「女の子なんだからこれしなさい」と言ったことは
一度もなかった。「とにかく手に職をつけて働きなさい」とだけ言われた。
男だの女だの、男が好きだの女が好きだの
一度も何も言われないで育った。私が女の人が好きと言っても
へえ、と言われると思うし、うちの子供たちの好きな相手が誰であれ
「へえ」って言うと思う。
私もうちの子供たちが、男の人が好きなのか女の人が好きなのかは知らないし誰が好きでも構わない。

「ぼくは青くて透明で」
本当の父母に捨てられたぼくを育ててくれたのは血のつながらない美佐子さん。美佐子さんはぼくをぼくのまま受け入れてくれる。でもそれは血がつながらないから?と思ってもいる。
小さい頃からピンクの物が好きで男の子が好きだと気付いた僕は
学校でいじめにあって辛い思いするけれど、転校した先で忍という男の子に恋をして二人で街を出ようと決める。東京という大きな街にまぎれて暮らそうと決めて。
忍は自分が男の子が好きだということに気づきつつも気持ちに蓋をして生きている。小さい町だし父が町の議員だし母はそんな父の言いなりの人だから。
そんな二人に関わる女の子。美佐子さんと「僕」の父さん。それぞれの物語だった。

男の子が男の子を好きというだけで、どうしてこんなに切ない思いを
しなければいけないんだろうと心の底から思いながら読んだ。
本当に何がダメなのかわからん。
誰が好きでもいいじゃん。心と体が別なら一致させる何かをすればいいし、
名前がそぐわないなら名前をかえればいいし、
戸籍が云々って言うなら戸籍をかえればいいじゃん、ってか戸籍ってなにさ。その人がこの世にいる以外になんか必要なの?

この小説に出てくる子供たちみたいな気持ちを抱えてくる人は
沢山いるのだと思う。
私がバスで隣に座った人みたいに「安心してや」と言えるようになるまでに
どんな思いをしたのかって考えると切なくなる。
でも、この本に出てくる子供たちをありのまま受け入れてくれる美佐子さんみたいな人も割といると思う。
「みんな違ってみんないい」と心の底から思って、ありのままを受け入れてくれる世の中になればいいな、なんて
そんな大きなことは考えない。だって無理だもん。
だから私は私の親と祖母が私にしてくれたように「男だから」とか「女だから」とか一切言わずに育ててくれて、私が決めたことを「へえ」と言って受け止めてくれたように、私の子供たちが決めたこともそうやって受け止めたいし子供たちも人に対してそうであって欲しいと願う。

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