見出し画像

論考:“正しい情報” をいかに守るか?

Search領域の集客支援をしています。
『平成ネット史 永遠のベータ版』を読んで、刺激を受けたので、
備忘録的に、仕事関連のメモを残してみようと思います。


1.前提としてGoogleの話をします。

日本におけるSearch領域≒SEO と話したときに、Googleの検索アルゴリズムをみた取り組みになります。
というのも、約6割のユーザーがGoogle検索を使用し、全体の約3割がYahoo!検索を使用しているのですが、
Yahoo! のアルゴリズムはGoogleのものを使用しているので、都合、全体の約9割がGoogleの検索アルゴリズムというわけです。

なので、Googleがどういう思想や理屈で動いているかを踏まえ、取り組みをすすめていくことが、日本でのSearch領域の集客強化にとって欠かせない視点と言えるかと思います。

画像2

2.Googleは検索体験の向上に改善を加える

で、Googleは「コアアルゴリズムアップデート」と呼ばれる大規模な仕様変更を繰り返し、
評価するべきコンテンツの評価を高め、評価させたくないコンテンツの評価を下げ、
ユーザーがなにかしら検索をした際に、ユーザーにとって利益のあるサイト・ページが上位に掲載されるように努めています。

詳細は省きますが、ざっくりまとめると、
初期はGoogle検索の仕組みを逆手にとっただけで、まったく中身のないようなWebサイトを “取り締まる” ような仕様変更が頻繁になされたものの、
徐々にWebサイトの中身を評価するように移行していきました。

ハミングバードやBERTなどの、AIの活用や自然言語処理技術(≒機械が人間の言葉の意味を理解できるようにする技術)の向上なども加わり、
検索キーワードに潜むユーザーの “知りたい” ことと、
Webサイトが提供する情報の両方の理解度を高め、マッチング精度の向上 を加速させたわけです。

画像1


そんなGoogleが今後取り組むテーマが、ページエクスペリエンスの向上です。
・Core Web Vitalsという指標をランキングシグナルに組み込むことが発表された(2021年6月中旬~8月末にかけて順次反映)
・ユーザーのWebサイト内の行動を計測する思想で設計されたGoogleアナリティクス4がローンチされた
ことから、検索ユーザーの目的を実現する「ポテンシャルの高い」サイトが評価されていた昨今のアルゴリズム環境下で、
今後は、「実際に実現できていますか?」というところが問われてくるんじゃない?みたいな妄想も膨らみます。


そうした、目的の実現のしやすさ → 行動のしやすさ(≒行動のしづらさのなさ)を図るページエクスペリエンスに目を向けるうえで、
前提となるテーマの1つに、フェイクニュースへの対処と、情報の多様性を担保の両立があるように思います。

3."フェイク" は欲に根差しているためになくならない


米大統領選挙で一躍有名になった概念ですが、嘘から出た真実という言葉があるように、根も葉もないうわさ話でも巡り巡って所与の事実として確立してしまう恐ろしさがあります。
また、個人にとって不都合な真実を、”フェイクニュースだ”と断言することで、“信頼のおける情報” という概念が駆逐されるため、混沌たる状況に陥ります。

非常に根深い問題ですが、そう考えるのは、2つの欲望に関係するため。
そしてフェイクニュースを世の中に生み出す側と、それを享受する側とで共犯関係が成立するからです。

1つ目の欲は、承認欲求
他者への攻撃、とくに “誰もが攻撃してもいいと考えている” 対象への攻撃は、安全に仲間意識を醸成することができるから麻薬的でしょう。
加えて、人がシェアするときは、信じたいからという理由で拡散することも多いとされており、内容の精査をせずに攻撃しているという点で質が悪い。

また、2つ目の欲は、物欲です。
人を陥れる意図はないとしても、フェイクは扇動的で、なおかつ人々の関心を惹くものだから、PV数(≒広告収入)を稼げます。
PV数を稼げるならばと、金儲けの目的のためだけに、根も葉もないうわさを平気な顔をして流す輩も一定いるわけです。
享楽なら飽きも来るかもしれませんが、実利がともなっては辞められません。

2017年にはDeNAが運営していた医療系メディア・welqが、肩こりは幽霊のせいだとかなんとか言うような、トンデモ記事を多く抱え、
社会問題化しました。

こうして、フェイクを発信する側と、それを楽しむ側(さらに彼らはシェアして拡散する)の、確固たる共犯関係が成立
売る方も売る方、買う方も買う方ですが、こうした構図の問題は、なかなかどうして、自然には消滅しません。

さらに、上記のような安全な立場から弱者を攻撃する存在は、社会に普遍的で、いっそう根深さが増します。
時代の変遷に応じて “弱者” の存在は、あるときはユダヤ人だったのかもしれないし、あるときは女性だったのかもしれないし、さらにあるいは黒人だったのかもしれませんが、
なにかしらのターゲットを設定し、徹底的に袋叩きにする(しかも、ときにして正義感から)集団は、いまに始まった問題ではなく、
だからこそインターネット社会でも顕在化している問題といえますし、きっとこの先もなくならない、人間という存在の業として付き合っていかないといけない問題のように思います。

4.安全度が高く、かつ自由度も高い、インターネット空間は幻想か?

もちろんアラブの春にみられるよう、SNSが権力の圧政を倒す原動力となる一面もあり、
弱者としての民衆の希望となる面も否定できません。
(悪い権力ならば、SNSの権力を行使していいとなるとダブルスタンダードなのでとらえ方は複雑ですが)

ただ、フェイクは虚偽ですから、社会通念上、肯定はされないはずで、
フェイクではないという観点での情報の正しさをどのように担保していくか?というのは問題意識として重要さを失わないように思います。

改めて問題を捉え直したときに、
(1) フェイクニュースを生産して得する人間がいる
 1-1. 承認欲求的な安心
 1-2. 物欲的な安心
(2) フェイクニュースを消費して嬉しい人間がいる
ことが前提で、シェアすることで、各人が(1)にも(2)にもなりうることが挙げられます。

方向性①:中央に頼る(法制度構築)

こうしたときに、得をする構図や嬉しいだけでは済まされない法制度構築 という方向性での取り組みがまず考えられます。

インターネットの暴走として、フェイクニュースと同様に話題に上がるのが、SNSでの誹謗中傷問題です。
昨年、テラスハウスに出演していた木村花さんが自殺にまで追い込まれたことで、盛り上がりをみせました。

世論の高まりを受け、SNSでの誹謗中傷への厳罰化の流れが生まれ、
プラットフォーマに対して、協力を要請し、連携しつつ問題に対処していこうとする流れができています。

総務省|インターネット上の違法・有害情報に対する対応(プロバイダ責任制限法)|インターネット上の誹謗中傷への対策
https://www.soumu.go.jp/main_sosiki/joho_tsusin/d_syohi/hiboutyusyou.html

ただ難しいのは、こうした制限と、個人の表現の自由の衝突をどう処理していくかという点でしょうか?
なにが誹謗中傷か、炎上商法という言葉があるように、とりあえず燃え上がることを良しとするような主体もおり、相対的なため、より判断が難しくなります。

方向性②:ユーザーの倫理向上

また、ユーザーの情報倫理を向上させ、そもそも「得をした!」とか「嬉しい!」という感情を恥ずべきものとするように教化することも考えられます。
その際は、単純に「駄目だ」とするのではなく、理性的な判断ができるような見方を提供することが重要に思います。
普段目にする情報は、“AがBした、これはCによるものではないだろうか?それに対してDだと考える” というように、
「事実」「推論」「意見」によって構成されることを伝え、
それぞれの精査や論理の流れの不可解さへの違和感を大事にすることを説くのです。

ただ、こちらは結構な知的水準が求められるように思い、
フェイクニュースで激情するようなタイプには、方法を伝えたところで、感情に走る(あるいは走らざるを得ない)のではないかと思われます。

方向性③:仕組みを変える

今後の主流な方向性としては、フェイクニュースの発信者・信奉者が得をする(心理的であれ、現物的であれ) 仕組みを変えてしまうことのように思います。
つまり、プラットフォーマーが責任をもつということです。

昨年の米大統領選挙期間中に、Twitter社がリリースしたように、

画像3

個人の情報発信の自由を担保しつつ、アラートを掲載することでミスリーディングな情報の拡散を防ごうとしています。

また、Instagramでは ”いいね!”数をみえづらくするなどして、承認欲求の高まりに待ったをかけようとしています。

個人的には、Web広告周りでなにかしらブレークスルーが起こらないか期待しています。
無機質なPVで稼げるようなプラットフォームだから、悪質な連中が忍び込むように思うので、
広告収益の換算と、加算条件にあえてラグを生じさせ、
フェイクニュースだったり誹謗中傷で稼いだ広告収益と判定された場合に、儲からない仕組みとするような、そういう設計はできないものでしょうか?

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?