【論考①】進路に迷う人に思うところ
大学生の折、学習支援のボランティアとして東日本大震災の被災地に足を運び、災害のために仕事を失った方々とお話ししたことがあったが、いまではリアリティが違う。
同じ場面にあって、冷静にお話を伺えるかは自信がない。
初めて三陸沖に足を運んだ際に案内をしてくださった遠野まごころネットの方がいる。
その方の誕生日だとFacebookに通知がきて、ふと思いを馳せる、遠野~大船渡のバスの中。
あの車内での会話、やるせない怒りが込められた会話の中で、
その人に「被災地にかかわり ”続け” ます」と誓わなければ、僕自身、その後の東日本大震災や熊本地震の被災地域とのかかわりは薄かっただろう、そう思える数時間。
その方は、震災とは無関係の癌で、すでに4年ほど前には他界している。
亡くなった方の「誕生日」の通知がきて、今年で早くも4回目だ。
人はモロく、はかない。未曽有の大震災から生き残ったとしても、まったく関係のない文脈でこの世を去らなければならないこともある。
せめて1度きりの人生、後悔のないように生き抜かなければならない。そう心から思っている。
コロナ禍にあって、様々な変化があった。
幸いなことに仕事は引き続きあり、働けることのありがたみを感じる日々が続く。
ポジティブな変化といえば、人と会うようになった。
“オンラインで会う” というコロケーションがふさわしいかは不明だが、
遠方に住んでいる友人とも「オンラインで話そう!」、
久しく会っていない友人とも、「さくっと話す?」、
と、気兼ねなくメッセをやり取りする。間違いなく以前より誘いやすくなったし、誘われるようになった。
今日は学生時代に採用イベントで知り合ったW君と、
彼の勤め先でインターンをしており、この4月から筆者の勤め先の後輩となったY君、
Y君と同様にW君の元部下で、いまは東京大学の院生をしているH君と、
4人でざっくばらんに話した。
近況報告をしつつ、H君は就活中ということもあって、仕事選びについても話した。
似たタイプなりに成果につながる捉え方を伝えられた!と思うと同時に、
思考や発想が明晰で、こちらも刺激をもらえていい時間だったように思う。
話していて、自身の経験を仕事にどう生かせるかという面接での質問が厳しいという悩みがあった。
仕事に経験を活かせるか否かが問われるならば、”ウケる”テーマを選びたくなる。
しかしながら、”ウケる” テーマを深掘るならば、そもそも研究をつづける意義がないのではないかと思うというのだ。
進路に迷う人とよく話してきて、この手の悩みは少なからずあるなと思うのだけど、
僕の結論としては、まずは自分で納得できるか否かが重要で、
次に、相手にも伝わるという前提で、翻訳をする。相手として納得できる語り口で表現し直す。
このセットを、ときに周囲の協力を得ながら完遂することがポイントだと思う。(だいたい、途中で投げ出してしまう)
つまるところ、進路なんて信仰の問題だと思う。こういってしまうと元も子もないかもしれないけれど。
人は価値があると信じるものに価値を感じる。いわゆる確証バイアスをもつ生き物で、その人の脳の中の天使がどうささやくかに価値の有無は左右される。
加えて、交通技術や通信技術の進歩や”平和”の持続の結果として世界がつながり、相互に作用し、不確実性が数段階も増している昨今、
現時点で我々が価値を感じている対象を、数年後もまた同様に価値あるものと感じられるのかははなはだ疑わしい。
価値が毀損することもあるだろうし、あるいはもっと価値の高い選択肢が生まれることもあるだろう。
だから、本性的な意味で価値の有無、あるいは大小を論ずることは不可能で、
そうであるならば、意志の問題、決断の問題だと考えられるし、
さらに、そもそも相手に意図して伝えようとしなければ、価値を共有することは難しいはずなのである。
では、どうすればその決断をしやすくなるかー。あるいは伝わるのかー。
それについては次回以降の投稿で触れようと思う。
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