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クモがつないだもの


 庭の木に、夏の終わりから一匹のクモが住み着いている。
 庭といってもマンションの一階についている小さな地面で、雑多に植わった樹木のうちのツバキとアオキとの間にクモはある日一本の糸を渡し、みるみるうちに、80センチメートル程の間に、独特の透き間を織り上げていった。
 この小さな面積の庭では、それなりにいろいろな生き物をみることができる。もちろんクモは、それらのうちで、食料にできるものがいるから住み着いている。
 木の根っこにはアリが巣をつくっている。どこからともなく季節はずれの蝶が飛んで来て、またどこかへ去って行く。少し寒くなってきたせいか、弱った小ぶりの蛾がベランダの窓から入ってくる。夕方には冬を越そうとする蚊が活動する。そんな庭の中で、クモは自分の獲物を着々と捕らえていたようだ。

 この新参者の巣は、か細く半透明でふわふわしているにもかかわらず、とてもはっきりとした幾何学的な空間をつくっている。
 この前の台風が来たときには、吹き飛ばされるかもしれないなと気になって、閉め切った窓の内側から時々クモの巣の様子をみていた。

 突風が二本の木をたわませるのに合わせてクモの巣は激しく揺れ、引きちぎられそうに見える。しかし、木が巻かれるようにたわんでも、たとえ予測のつかない動きに翻弄されても、クモの巣は破れなかった。台風が通り過ぎた後、二本の木の間は少しのちぎれも無く、しなやかな規則性をもった透き間でつながれていた。
 つなぐための最適の手段をもっているクモは、つなぐことにより、自身の生存を維持することができるようだ。(現代美術家)

©松井智惠

2022年5月15日改訂  1994年10月21日 讀賣新聞夕刊『潮音風声』掲載

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