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2週間のお試し期間

2週間滞在していた義姉が
やっと帰った。

会社で義務化された有休消化に、
どうせなら義父の納骨がある
日を挟んで帰省すると言っていた。
こちらも、どうせならと義父の
49日忌の日程も伝えていた。

今思い返せばこの2週間は、
普段の夫との暮らしとは
比べるものにならないくらい
時間の経過が早く、濃かった。

以前、義父の葬儀が終わってすぐに、
「定年後はここで一緒に暮らしたい。
母親から了承を得てるから、住む
権利があるはずだと」言っていた。
夫と私は了承をした。

盆や正月の帰省で帰って来ると
義姉に疲れる。
すぐに帰ると思えば耐えられた。
数年後に一緒に暮らすとなれば
心配の種は山ほどある。

夫がタダで住めると思うなと
言ったら「え、家賃取る気?」
ポツリと漏らした。

同居の話しが進んだ時には、
条件をつけて提示しなくては、
ズルズル依存されてしまう。
特に金銭問題は大前提だ。

このタイミングで長期の滞在は、
お互いのことを知るために、
宇宙から用意された、ギフト
だったと思う。

義姉の過去を思い出せば、
ずっと不信感はあったが、
良い面もあった。
できるだけ良い面に焦点を当て
て対応していた。
あまり感じたことがないが、
家族に対する優しさや
親に対する感謝が眠っている
ことを期待していた。

今まで散々、人助け、復興の
ためと理由をつけては、
親からお金を催促していた。
義母が喜んでお金を出して
いたならまだしも、催促の
度に口論になっていた。
親の愛情を利用して、お金を
吸い取っているに過ぎないのに、
それでも親に対して横柄な
態度だった。

親が病気になり、動けなくなっても、
亡くなった後も、自分の仕事を
優先していた。
それは都合もあるから仕方が
ないと夫も諦めた。

葬儀が終わって、すぐに義父の
部屋をゲストルームにするために
片付け始めた。
49日忌が終わるまでよせと
言われてやっと中断した。

49日忌の前日に帰りの切符を
取っていた。

49日忌の日は、
東京に帰った義姉から電話で
忘れ物をしたからと、わがまま
勝手な言い分を伝えられた。
ムカついて呆れて切った。
義姉の本性を知らない時は、
優しさに漬け込まれ、良いように
利用されてただろう。

夫は、休みを取って2週間も
帰って来るなら、自分の親の
49日忌に墓参りくらいして
から帰ってほしかったと
心底悔しがっていた。

もっと信頼を無くすから
今はまだ夫には言えないけど…

私達が墓参りをしている時
義姉はパーティーに参加して
いる楽しげな動画をSNSに
UPしていた。
親への恩より、華やかな自分の
承認欲求。
知ることで不快に感じる人
への最低限の配慮もない。

2週間いてわかったことは
親に対して感謝とか誠意と
いうものが何一つ見えなかった。
私が今まで傲慢だと思っていた
義姉の数倍ひどかった。

嫌な思いをする度に、義姉にも
良い面もあるとかばっていた。
家族の優しさがエゴを育てて
しまった。
あの笑顔に隠された闇が、今回
知れて良かった。
知らなければ対処法もわからず、
ズルズルと情や思いやりに漬け
込まれ、エネルギーを奪われる
だけ。


私の顔が急激に老化したと
義姉に指摘された。
目の下のくすみやタルミ。
普段より過食をし便秘を
していたのに体重は減り、
頬もこけていた。

義姉が帰った翌日には、
肌の老化が消え、
便通も良くなった。

本物のエネルギーバンパイヤだ。
一緒にいると妬みと嫉妬で
エネルギーを吸われ老化する。
本人は、自分の闇に気づいていな
いのかもしれない。
異常にパワフルでエネルギッ
シュだ。

夫の財産と保険を教えておいて。
急に夫が亡くなったとき、
バタバタしないようにと、まるで
今後の不安回避するような言い
回しで言っていた。
一瞬頷いてしまった。
2週間の義姉を見れば、その言葉
にどんな意図があるかは想像が
つく。
母親の財産も3年ももたない。
義父のもらった財産なら、もっと
短いだろう。


未来が自分の意思と想念で
現実化するのだとすれば、
ネガティブなパラレルの義姉に
焦点を合わせない。
依存させない。
利用させない。
支配させない。
コントロールさせない。
私は、ネガティブな義姉
ポジティブな義姉も
どちらも波長が合わない。
合わない人とは暮らせない。

本当にこの家、次から次へと
甘くないな。










































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