『最初に言葉ありき、 気持ちが入っていなくても 「ありがとう」を先に言おう』 そんなメッセージを半信半疑で 試したこともあった。 「ありがとう」 「感謝してます」 言葉を唱えると、相反する感情が 暴れた。 「もう、良い人でいたくない」 「相手の都合に振り回されたくない!」 思考が強すぎたのだろうか? 心底抵抗があった。 ただ言葉を唱えるだけ。 簡単なようで、なぜか私には難易度が 高かったのだ。 理不尽なことをし続けていた人と 毎日顔を合わせる。 お互いが我慢しているだ
「ありがとう」x100を日課に しようと決めて二日目。 ランチの後、「洗い物よろしく」 って夫が出かけたのね。 理由はいくつかあったんだけど すごくイラッとして、 一人だったから「バカー」 って大きな声出しちゃって。 「イライラしてるんだな自分」 そんな自分を味わいながら 洗い物してた。 考えてみたら 昔の夫だったら、私が洗うのが 当たり前だから「よろしく」 なんて言わなかったな。 家事なんて手伝ってくれ なかった夫が、今は協力して くれるようになった。 それでも
2週間滞在していた義姉が やっと帰った。 会社で義務化された有休消化に、 どうせなら義父の納骨がある 日を挟んで帰省すると言っていた。 こちらも、どうせならと義父の 49日忌の日程も伝えていた。 今思い返せばこの2週間は、 普段の夫との暮らしとは 比べるものにならないくらい 時間の経過が早く、濃かった。 以前、義父の葬儀が終わってすぐに、 「定年後はここで一緒に暮らしたい。 母親から了承を得てるから、住む 権利があるはずだと」言っていた。 夫と私は了承をした。 盆や正
ここ数日、時折激しい風が吹いている。 風の音を聞きながら眠っていた。 体の細胞、頭の一部に何かが変わる感覚がした。 「龍が空を飛び回り エネルギーを回している」 イメージで理解した。 地球の磁場を整えている。 大難が小難、小難が無難になる ように…。 ここ数日私自身も瞑想やヨガ 自分を整えることをサボリがち だった。 二の腕に激痛、顔のたるみ… 慌ててヨガを再開すると、 痛みが嘘のように消えた。 顔のたるみは、 1ヶ月振りに帰った義姉が 私の顔を見て驚いていた。 自
義父を映すことで、 自分の観念によるネガティブな 感情が炙り出される。 義父が病気になってからは、 自分ではないエネルギーが、 私の統合に便乗して一緒に 昇華したがっていた。 自分以外の感情だと区別がつく ようになってからは、 コントロールできない感情を 自分に向けて責め立てることは 無くなった。 自分ではないのだから、 コントロールなどできるはず もない。 集合意識も、 自分自身から湧き上がる ネガティブなエネルギーも、 全ては源からのエネルギー。 自分のこととして感
「今の私に必要な言葉 道を教えてください。」 そう強く祈った時に、 降りてきたメッセージ。 『闇の契約解除宣言』I am presenseの名のもとに私の魂の名のもとに全ての光の存在の名のもとに私は闇の存在と、これまでに交わした全ての合意と契約を取り消し無効にします。いかなる内容であっても私の潜在意識のプログラミングであっても、全ての合意と契約はいま、無効になりました。私はここにこれら全ての契約と闇の存在からの影響から自由であることを宣言します。私はここに私と光の存在との間
統合を目指す時 人はどうしようもないほどの 孤独感を味わう。 概念の奴隷だったと気づき、 依存心や執着を捨てる。 あえて道を閉ざしているかの ような困難に何度も巡りあう。 今までより楽になるように… より幸せを選択するように… 真我は促している。 今までの概念を変えるには、 勇気や覚悟がいる。 忍耐強く続ける根気も必要。 でも、それが当たり前のように 生活に定着してきた頃には、 道が開け魂も成長している。 魂の成長は、地に足をつけて 一段ずつ階段を上がっている。
朝の情報番組を見ていた。 今日は衣類のクリーニングの 方法を特集していた。 興味深く観ていると、70代の 大御所の女優さんが口を挟む。 知りたい情報が頭に入らず、 大御所女優の方が気になった。 何だか、モヤモヤ苦しくなって テレビを消した。 私の視界から、消えた女優さん。 彼女には悪意も何もない。 彼女のユーモアや、小気味の良い 話し振りが好きな人もいるから 芸能界に君臨している。 威圧的な言い方に胸がざわつく。 過去のトラウマを思い出して いるだけだ。 今の私は、あの
義父の食欲も落ちてきた。 食べられそうな時に、 無理して食べる程度。 食欲がなくなれば終わりだと 常々、本人も言っていた。 毎朝、義父の様子を見がてら 1階の仏壇や神棚を整えるのが 私の日課になった。 キッチンを片付けながら 体調などを聞く。 「昨日は食べられなかったけど、 今朝4時ごろ起きたら、何だか 少しスッキリしていた。」 と言っていた。 自分に起きた今朝の出来事と同時刻。 夫に話したところで、きみ悪がるだけ。 誰にも話せずにいた。 私はいつものように瞑想をしな
私自身の弱さが 見返りを欲しがっていた。 妻が優しさを与えるのは、 当たり前だという思い込み。 優しくされたら、それを返すのが 当たり前だという思い込み。 お互いが、 相手に求める幼稚な愛。 それでも 自分の心を騙して、 一人孤独と戦って、 けなげに頑張っていたっけ。 どうしようもない気持ち。 傷ついて訴えれば、 心無い言葉でトドメを刺された。 傷を癒さないとね。
先日、急に書道がしたくなった。 子供が小学生だった時に使っていた 書道セットを引っ張り出して、 墨汁を使わずにゆっくり墨をすった。 「行雲流水」こううんりゅうすい 空を流れゆく雲と、川を流れる水の ように執着することなく物に応じ、 事に従って行動すること。 そんな姿でいたいと願いを込めて 書にしたためた。 私が願望を口にする事は、 ほとんどない。 願望を叶えたい自分に対して、 相反する思い込みがストップをかける。 そんなチグハグさが気持ちが悪かった。 願望成就を夢見る
夫を立て、それをサポートするのが 妻の役目だと信じて疑わない時代。 義母が自分を押し殺して尽くしたとこ ろで、義父にはそれが当たり前だった。 できなければ暴言や暴力が飛ぶ。 優しさの上に胡座をかき、もっともっと と求め続けて際限がない。 義母なりに我慢をしていた。 押さえ込もうとした怒りや悲しみ、不安、 恐怖、憎しみの感情が消える事も我慢 できるはずもない。 自尊心はすぐに傷つき、感情を爆発させる。 その繰り返し。 義母が感情を爆発させる毎に、 義父はもっと圧力をかける。
実家に帰る日取りを夫に相談する タイミングを見計らっていた。 私が留守中に義父の具合が悪くなった ところで、夫がいるし、義姉に来て もらうこともできるだろう。 それぞれが、自分の親のサポート をするべきだと考えていた。 それでもなかなか、帰省をすると 言い出せなかった。 遠慮をしているのではなく、 自分の考えとは別のところで ストップをかけている感じだった。 そんな中で、 義父の食欲も徐々に減ってきて 「明日からは、夕食はいらない」 と言っていた。 食欲が湧いたタイミン
結婚して家事の120%は私でした。 結婚当初は仕事もしていなかったし、 私の母、義母も専業主婦だったので 私自身もそんなものなのか? くらいに諦めていました。 子供が出来、サポートが必要な時も 何もせず座って食事が運ばれて、 下げてもらうのを当たり前のように待ってる。 頼めばイライラして、誰かに当たることも あったので頼みにくかった。 子供の精神衛生上、夫の不機嫌ほどの 害はないと思っていた。 私の頼み方が悪いのかと変えても、 私自身の感情が伝わってしまって うまくいかな
私が結婚した先は、 田舎の中でも気性の激しく、 口が悪い人達が多い集落。 その中でも特に口の悪いと評判の 家でした。 誰に対しても常に喧嘩口調。 それをお互いに笑いあって過ごして いるなら、問題はないのでしょうが、 言われた方は腹を立てて、 「あんな風に言った、こう言った」 食卓ではそんな会話ばかりです。 腹が立つなら、自ら口の悪さを正せば 良いだけなのに、相手の悪いところを 探しては難癖をつけてが責め立てあっている。 そして男尊女卑は当たり前。 妻に関しては奴隷のよう
生前は世の中で一番怖い存在だった。 亡くなり、義父の性質を知るごとに ヒステリックな人格が形成された経緯が わかった。 晩年は、病的にエゴが強くなった。 亡くなる間際は、自分の名前を叫びながら、 ガンバレと叱咤激励していた。 誰が来ても見向きもしなかった。 感謝を述べ合うこともなく、自分自身を 応援したまま一人で亡くなった。 生前の義母らしい死だった。 亡き後何度か、義母とコンタクトをとった。 泣きながら詫びる姿もあった。 自分の思考を変えられない苦痛は 人のせいにし