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1228 今年自分に気付かされたこと

今年は多くのことに気付かされた。

・まず僕が躁鬱だということだ。
坂口恭平さん(以下坂口さん)の躁鬱大学を昨年末に読んだ。読んだ当初は救われたという思いが強く、自分の状態を俯瞰してみたり、「この性格を生かそう!」なんて思うことができなかった。本を読んだり、坂口さんのツイートを見るたびに「当たり前なこと」(後ほど14歳からの哲学の話にも繋がる。繋がる部分に14-とつける)に気付かされた。私たちはもっと楽しいことをしていいし、好きなことなら下手でも続けてみればいい。(そしてそんな自分を愛そう!そんな風にも思えるようになった。また、自分を愛することができなければ私たちは人を愛することなんてできない。そんなことにも気づいた。んーどっちかというと教えてもらったの方が正しい。まだ骨の髄までは理解はできていないので。14-1)躁鬱大学を読んで日々の生活をしていると躁鬱のような人にも出会うし、自分はいまこんな状態だ!、はたまた確かこんな性格だったなだからいろんなことをしてみようとか着実に自分の血肉となっている。そんな実感があった。

・なんとなく躁鬱の人(こうやって大勢の人をまとめるのは少し失礼か、少し気をつけよう)少なくとも私は感性が豊かであると思う。感性が豊かゆえに絵を描いてみたり、写真を撮り始めてみたりいろいろなことを始めている。だが毎日続けるのってとても難しくてちょっと困っている。そんな時に坂口さんの本「継続するコツ」が発売された。(まだ読んでいないけれどすでに買った。)

建築家の大西麻貴さんのインタビューを読んでいる時に見つけたものでとても印象に残っている1文がある。
「本というのは読まなくてもいいから、買って隣に置いておくことが重要なんだ、いつ読みたくなるか分からないものだから」そんな言葉を見て心に刺さった本は必ず買うようにし始めた、、、(まだ最近だが)
以下が例のインタビューなので気になったら読んで見て欲しい。

そんな経緯もあって手元に「継続するコツ」があるので今日まだ起きていたら読もうと思う。

少し話が飛ぶけど大西麻貴さんって名前が美しい。
直接お会いしたことはないが名は体を表す、まさにそんな感じだ。
やっぱり話が少し脱線するな、、そんなことは日常茶飯事だ。けどそうやって様々なことがまるで星座のようにつながってゆく様は面白い。
そんな感じで日常でも変なとこで繋がることが多い。
変なとこで繋がるといえば、、、

今年は「skaai」というアーティストに出会った。(もちろん実際にはあったことがない、、、)
「homework」という歌のなかで「最後のピースはだいたい想定外のところ」
との歌詞がある。昔から思ってたことが言語化されていてあーーそれだ!となったのも記憶に新しい。。。

そういえば彼はまで25歳になったばかりで年下だった、、信じられない。いや信じたくない、、、
彼はラッパーだけど地に足をついてすっと立っている。そんな印象だ決しておおきく振りかぶっているわけではないけど着実にヒットを打つ、野球に例えるとそんな感じのバッターだと思う。正直彼の曲については1mmも理解できていないと思う。音で聴いているだけのことが多いので、もう少し聞いてみて少しずつわかっていけたらいいなと思う。

少し疲れてきたので、また今度書こうと思う。

今年は美術展にたくさん行ったり、古典建築入門のようなこともたくさんできた。
あと自分の好きなアーティストがバウハウス出身者が多かったり、自分は花が好きで本を読むのも好きだ。ただ最近少し難しい本を読む際のスタンスに困っていたり、、、そんなこともある。とても素敵な友達ができたり、一人暮らしをすることで、両親や祖母、祖父ともとてもいい関係を気付けている。

あと自分は不特定多数の人に親切にすることはできないけれど、少なくとも関係が近い人たちは幸せに生きて欲しいと強く思っているんだと気づいた。
きっとこの場合の幸せについては各個人の幸せであって、自分がいるから楽しませられるということではないと思う。その人が今後どうやったら自身の力で日常の中に幸せを見つけられるかということを考えていると思う、、、。

最後に「死ぬ」ということがますますわからなくなってきた。
いやわからなくていい。私は死んだことがないのだから、、

そんなことを考えながら明日も生きる。
それと自分の絶対的価値も少しずつ探す。
大それたものではなくていい、地に足をつけながらゆっくりと歩を進めたい。

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