スッタニパータ03-願わしい心境-慈悲喜捨
ちょっとずつ聞いてます。
第一章 第八節
究極の理想に通じた人が、この平安の境地に達してなすべきことは、次のとおりである。 能力あり、直(なお)く、正しく、言葉やさしく、柔和で、思い上がることのない者であらねばならぬ。足ることを知り、わずかの食物で暮し、雑務少く、生活もまた簡素であり、諸々の感官が静まり、聡明で、高ぶることなく、諸々の人の家で貪ることがない。 他の識者の非難を受けるような下劣な行いを、決してしてはならない。
一切の生きとし生けるものは、幸福であれ、安穏であれ、安楽であれ。いかなる生物生類であっても、怯(おび)えているものでも、強剛なものでも悉(ことごと)く。長いものでも、大きなものでも、中くらいのものでも、短いものでも、微細なものでも、粗大なものでも、目に見えるものでも、見えないものでも、遠くに住むものでも、近くに住むものでも、すでに生まれたものでも、これから生まれようとするものでも、一切の生きとし生けるものは、幸せであれ。
何びとも他人を欺いてはならない。たといどこにあっても他人を軽んじてはならない。悩まそうとして怒りの想いをいだいて互いに他人に苦痛を与えることを望んではならない。 あたかも、母が已が独り子を命を賭けても護るように、そのように一切の生きとし生れるものどもに対しても、無量の慈しみの意(こころ)を起すべし。
また全世界に対して無量の慈しみの意を起こすべし。上に、下に、また横に、障害なく怨みなく敵意なき慈しみを行うべし。 立ちつつも、歩みつつも、坐しつつも、臥しつつも、眠らないでいる限りは、この慈しみの心づかいをしっかりとたもて。
この世では、この状態を崇高な境地と呼ぶ。 諸々の邪な見解にとらわれず、戒を保ち、見るはたらきを具えて、諸々の欲望に関する貪りを除いた人は、決して再び母胎に宿ることがないであろう。
四無量心
その後、仏教では、慈悲の心を含めて、四無量心と説くようになった。4つの、限定することのない心。
慈:生きとし生けるものに利益(りやく)、安楽とをもたらす。
悲:憐み。一切の生きとし生けるものが、この苦しみから逃れますように。生きとし生けるものから、不利益や苦しみを取り除くことを願うこと。
喜:生き物は喜んでいる、という仕方によって、生きとし生けるものが、利益や安楽から離れないように願うこと。つまり、ともに喜ぶこと。
捨:心の平静。何事も自分の業によって表される。そう思って、苦楽に煩わされないで、心が平静となり落ち着くこと。
以上