映画「滝を見にいく」からみた項羽型でも劉邦型でもないリーダー不在の生存戦略
「こんな組織運営の形があるのか!」
2014年公開の映画「滝を見にいく」(沖田修一監督)を観た後、普段サラリーマンをしている仕事柄、そのような感想を持った。
これも、(前回の投稿で記載した)映画研究をしておられる方が勧めてくださった映画の一つ。
(映画を紹介してくださるその一つ一つがとても興味をそそる紹介なので、すべて観たくなる!!)
この「滝を見にいく」という映画は、幻の滝を見に行くツアーに参加した女性7人が、頼りないツアーガイドが山道の途中で居なくなった後、取り残された自分たちだけで生き延びるために力を合わせる物語。
ツアーに参加した目的も、生きてきたバックグラウンドも、そして性格も全く異なる7人の女性。
ツアーガイドが失踪した直後から様々な意見の食い違いや言い争いが起こるが、「生き延びる」という共通の目的に向かって、それぞれが自分を開示し合い認め合い一つになってゆく・・・
かといって同じ価値観を持っているわけではないので、幻の滝にたどり着いたときの喜びの表現は、一人ひとりが違った形で思い思いのままであるところがまた面白い。
「みんなちがってみんないい」
金子みすゞさんはそう詩に謳ったが、この映画にでてくる7人は、自分の存在を他者との共存の中で見出し合い、一つの集団として機能していく(一つの目的を達成するために機能するのであって、他の人にアジャストしたり譲ったりするわけではない)一つのあり方だと感じた。
集団、組織がその力を最大化するための組織論は様々であり切り口も多様である。
私個人としては、学生時代に司馬遼太郎著「項羽と劉邦」にはまったこともあり、「項羽型」「劉邦型」という切り口が好きなので、その中でこの映画の生存戦略を考えてみた。
項羽と劉邦は三国志の400年ほど前の時代に活躍した2大勢力である。
項羽は、自身が高い戦闘能力を有し「俺に付いてこい」タイプのリーダーとして組織を先頭で牽引していくタイプ。
一方、劉邦は、人たらしで自らは目立った強みがないが周りの仲間を巻き込み、そしてそれぞれの強みを活かす登用を行なうことで組織力を高めていくタイプ。
歴史上は結果的に劉邦軍が勝利を収めて漢王朝を築くことになったが、だから劉邦型が良いという結論ではなく、ここではあくまでも組織の運営方法の一つひとつとしてとらえたい。
いずれにしても、組織を目的達成に導くにはリーダーの存在が不可欠であり、リーダーが他のメンバーの個性や強み、そして外部環境を読み、運営していくことが一般的だと考えていた。
しかし、この映画に出てくる7人にはリーダーが存在しない。
そして、各々が自分の持っているスキルや知識を大々的に伝えるわけでもなく、その場その場で各自が「自分ができること」を行動に移すことで、他のメンバーがその人を理解し尊重していく・・・
これこそ、「人に認めてもらうために」とか「これをしたら評価される」とか「自分を押し殺して我慢してやる」などといった他者の目を意識したものが一切ない、自然体の姿の集合であり、生き延びれるかどうか分からない環境下であってもイキイキとしていられる所以だと感じた。
ツアーが終わった後の物語はないため、その後この7人の関係がどうなったのかは分からないが、想像するに、新しい友達になったり同窓会的に定期的に集まったりすることはなく、それぞれがそれぞれの生活に戻っていったのだろうと思う。
そして、それでいいのだと思う。
その時、その環境の中で、同じ目的を達成させるために集まった人たち。
しかしそれぞれ別々の人生を歩んできて、異なる価値観を持っている。
それらを合わせる必要はなく、それぞれの持っているモノを活かし補い合い、結果として目的を達成させることができればみんながハッピーになる。
みんなが同じ世界観を持ち肩を組んで分かち合う必要はなく、一人ひとりが「あぁ良かった」「最高の気分だ」と思うことができれば、それがゴールだと思う。
組織の大きさや組織が形成される目的によっては、この映画の7名のような組織体制を取ることが難しい場面もあると思う。
そしてこの体制が万能であるとも思わない。
しかし、それぞれが自分の価値観を持ち続けながら、自分のできることや好きなことを表現し行動し合うことで、組織に貢献しながらも自然体でいることができる。
それは、これからの時代に必要な組織のあり方であり、多様化する社会の中で幸せを実感する一つの形だと思う。
ふと、そんなことを思った。