淺井裕介《八百万の森へ》ギャラリートーク
横浜美術館で新しく収蔵された淺井裕介さんの作品を観に行ってきました。ギャラリートークにも参加してきましたよ。
淺井さんは、絵をどこから描き始めるんでしょうか。
どこから見ても、絵の渦に呑み込まれてしまう、どこを見ても新たな発見がある絵です。
この作品は大きさの違う9つのパネルから成り、組み替えることで大きく7種類の変化があるそうです。
だから、普通の絵のような中心がないんです。どこから見ても、流れるように次へ、隣へと絵が繋がっています。とても有機的。
植物が伸びるように画面の外にも拡がりを感じるけど、曼荼羅のように理路整然とした世界ではない。
だけどパネルを組み替えても絵が成立するように、綿密な計画が下敷きにあったりもするのです。
ギャラリートークでは、実は淺井さんは体調不良のなかでトークに臨んでおられました。
めっちゃしんどそうなのに、沢山話してくれて有難かったです…。
なにしろこの作品のためだけに休館中の美術館が3日間オープンしたというので、プレッシャーもありますよね。
でも、そのおかげというべきか、この作品に会いに来るお客さんは多かったです。若い人も年配の人も、海外からの方もいて賑わっていました。
いい展示でした。
横浜信用金庫の創業100周年記念に制作を依頼されたというこの作品。
淺井さんの話で印象的だったのが、お金を出してもらって作品を作って収蔵して終わり、ではなくて…という話です。
普段から美術に触れる銀行のかたばかりではないだろうけど、皆さんになんらかの関わりを持ってほしいと思ったので、横信さんの63拠点全ての場所から土を送って欲しいとお願いしたんだそうです。
土は職員の自宅、お客さま(造園業やお寺さん)など、たくさんの人の手が入って集めることができたそう。
淺井さんは土絵具の作品で有名ですが、普段は自分で土を掘りに行くところから始めるそうです。
ダイレクトに土に触れる行為を通して、
土地そのものに触れると、いい土に出会えた時に受け入れてもらえる、歓迎された気がするんだそうです。
(今回送ってくれた土は、どれもほぼ同じ色で、これはまずい…と焦ったそうですが、そこが面白いところでもあるそうです。土絵具、奥が深い!)
制作は半分オープンなアトリエで描いたそうで、ふらっと立ち寄ってくれた様々な人たちの手を借りて制作されています。
作家一人で作り上げるのとは違って、みんなで創作するって、すごく社会的な作品なんだなぁと感じました。
作品のオープンな要素については、マスキングテープの意義(?)を淺井さんが語っていました。
泥絵(土絵具で描いた絵)を始める前にマスキングテープで絵を描く作品制作をしていた淺井さん。マステで描いた植物のモチーフをマスキングプラントと呼んでいました。
そんな淺井さんがマスキングテープについて重要なのは、貼る「どこか」だと話されていました。
テープは貼って初めてテープになる。貼る場所「どこか」を誰かに提供してもらわなくちゃならない。
誰かと共同(協働?)して作品を作っていくこと、空間の外へ広がっていく作品づくりをすることについて、マスキングプラントの制作を通じて意識されたそうです。
そして、淺井さんのこれからについて。
たとえば福井での個展。
いい集中力で取り組めたとのお話でしたが、太陽をモチーフにした真っ赤な大きい作品について表現の変化を学芸員の松永さんが指摘されていました。
今までの輪郭線がはっきりした作風ではなく、殴り描きのような荒々しさのある力強い絵です。
この表現の変化について作家本人がいくつか理由を挙げていましたが、なるほど~と肯いてしまういろんな理由がありました。
壊すつもりだったからか、良いものできた
自然は優しいだけじゃない。怖い面もある。命を刈り取っていく自然のイメージで描いた
川崎市岡本太郎美術館で展覧会を予定しているので、太郎の影響もあり「挑む」気持ちがある
岡本太郎美術館の展覧会は、福田美蘭さんとの二人展だそうです。でも岡本太郎の影響もあるから「三人展」だとおっしゃってました。
面白そう!
後で調べたら、作品づくりのボランティアも募集してるみたいですよ。
淺井さんは他にも、インドでの地上絵制作に向けてクラウドファンディングも実施中とか。
いろいろ楽しみな予定が盛り沢山な淺井裕介さんでした。
今回の展示作品は、来年2月の横浜美術館の再オープン(現在休館中)でも展示されるそうです。
もちろん、新しい組み合わせ方で!(淺井さんが学芸員の松永さんにプレッシャーを与えてました(笑))
最後に、淺井さんがトークの最後にしてくれた話で締めくくりたいと思います。(わたしの不完全なメモを頼りに再現しています。ご了承ください!)
アーティストは人を考えさせ続けるのが、仕事なのかも。
作品も作家も、次がどうなるか目が離せないなぁと思いました。
長くなりましたが(これでも泣く泣くメモを割愛しました)、今日はこの辺で。それではまた。