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アニメの話をしよう。『映画トランスフォーマーONE』の大問題シーンについて考える。

 トランスフォーマー界隈(?)を飛び出し、他ジャンルのオタクにまで広く波及した映画『トランスフォーマーONE』。私も話題の波に乗っかり本映画を劇場で見てきたわけですが・・・。

 めちゃくちゃ面白かった!!!!!

 オプティマスプライムとメガトロン。未来に永遠の天敵となる2人の出会いと決別、そして対立までを丁寧に描いた、いわばトランスフォーマーにおける「懐玉・玉折編」に当たる作品がこの『トランスフォーマーONE』だ。トランスフォーマーシリーズの歴史を遡っても2人の過去にフォーカスした作品は少ない。過去編として最も有名かつ雄弁な作品は「メガトロン・オリジン」であるが、そもそもトランスフォーマーのアメコミがカルト的マイナージャンルなので、2人の過去を知るトランスフォーマーオタクは稀で、まして一般のオタクなど言わずもがなだ。

エリック・ホムルズ他(著), 石川 祐人(訳)(2018)『トランスフォーマー:メガトロン・オリジン』東京:ヴィレッジブックス.

 「メガトロン・オリジン」では、議会の汚職や差別が蔓延するサイバトロン星で職業選択の自由を奪われ酷使される炭鉱夫のメガトロンが、とある事件を通して「暴力による政治体制改革」という大義を抱き、同胞と共に体制そのものを相手に立ち上がる。「メガトロン・オリジン」においてオプティマスプライムの活躍は無い(この時代はセンチネルがプライムとして治世を預かっている)が、別作品「トランスフォーマー:モア・ザン・ミーツ・ジ・アイ」内の短篇「SHADOWPLAY」にて警察官時代のオプティマスが思想家としてペンを手に奮闘する炭鉱夫時代のメガトロンに同調し、幾度も密かな会談を重ねる仲であったことが描かれている。

ジェームズ・ロバーツ(著), 小池 顕久(訳)(2020)『トランスフォーマー:モア・ザン・ミーツ・ジ・アイ2』東京:ヴィレッジブックス

 他にも2人の過去を描いた作品(「トランスフォーマープライム」「戦え!超ロボット生命体トランスフォーマー」「トランスフォーマーアニメイテッド」など)は存在するが、概して実際に過去における2人の関係を取り扱ったシーンは数えられるほどしかない。

 お察しの通り私はトランスフォーマーのオタクなのですが、そんなオタク私の「トランスフォーマーONE」鑑賞後の魂のポストがこちら。

 ここはオタクとして嘆かずにはいられない大問題の場面だ。もちろん肯定的な意味合いで。地上に上がってコグを得たオライオンパックスとD-16が、元親衛隊のスタースクリームらと邂逅するシーン。力も武器もありながらコソコソと隠れ行動に移らないスタースクリーム筆頭の親衛隊らに、D-16は過去の非力な自分への苛立ちから言いたい放題周囲に喰ってかかる。堪忍袋の緒が切れたスタースクリームに飛びかかられるも、D-16はそれを暴力で屈服させ、とどめとばかりに振り上げた拳に力を込めると、D-16の腕に融合カノン砲が出現する。

 このシーンは「トランスフォーマーONE」の圧巻の1つだと私は考える。なぜなら、正にその瞬間に明確にD-16が暗黒面に堕ちたからだ。アメコミ「トランスフォーマー:モア・ザン・ミーツ・ジ・アイ」にてメガトロンの自著の一説が明かされている。

我が武器は我が重荷、我が押し拓いてきた道程の残滓・・・
武器という言葉の意味が虚ろになる時、その存在意義が消滅せし時、我が武器の在処を誰もが気に留めぬようになった時・・・その時こそ我はこの腕より武器を降ろそう。
我が重荷を下ろす権利を得られるのは、その瞬間を置いてあり得ぬ故に

ジェームズ・ロバーツ(著), 小池 顕久(訳)(2020)『トランスフォーマー:モア・ザン・ミーツ・ジ・アイ2』東京:ヴィレッジブックス

 これは端的に言えばメガトロンの「永い闘争への揺るぎない覚悟」である。「己の過去への後悔も、歩みを止めうる迷いも我には無く、最後のひとりを殺し大義を完遂するまで絶対に闘争から身を引かない」というメガトロンの覚悟を綴ったこの文章から、メガトロンの内側が伺える。メガトロンの腕に装着された融合カノン砲は、彼の暴力を辞さない態度そのものであり、彼の暴力性のメタファーである。そんなものがD-16から生えてきたのだ。あの冷静ながらも情に熱く、リアリストなのにオライオンから離れようとしない青く澄んだD-16が、黒く染まった。オタクとして絶叫しないわけがない。

 呪術廻戦の壊玉・玉折編にて、ある村で非術師の醜悪さを目の当たりにした夏油が村の人間を殺し尽くして非道な大義を叶えんと一歩踏み出したように、己が暴力をもって他人を屈服させる術を得たメガトロンは憎きセンチネルの惨殺を果たすために一歩を踏み出した。

 コグを身に宿し力を得たことで、彼らの中に今までは思いつきもしなかったような選択肢が溢れ出てきたことは想像に難くない。溢れ出た選択肢とそれらを余すことなく叶えられる自由の中で、それでも善い行いを選択できるかどうか。友情物語の出来が良すぎるあまりに霞んでしまったこの命題に、私は今日も頭を抱えている。

 


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