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【無意識にネガティブな情報が入ってこなくなる】10年間やっていたTwitterをアカウントごと削除した

つい1ヶ月くらい前に、Twitter(X)をアカウントごと消去した。結局Xに呼び替えないままTwitterを引退したのでこの記事ではTwitterと呼ぶ。
多数の人が悩みの種として持っているであろう、SNSに時間を割いてしまう行為について、俺も同じ悩みを抱えていた。とりわけTwitterはネガティブな要素が多いと感じていて、それが一定のラインを超えたと思ったから今回削除に至った。

少しツイートしながらほとんどは見る専だった

俺のTwitterの使い方としては、基本は2、3日に1回思ったこと、ほとんどはくだらないことをツイートして、あとは見る専のような使い方で、リア友との交流はTwitter上ではほとんどなかったし、Twitterでできた友達も1人くらいで、それを含めても特定の人とやり取りするツールとしては使用していなかった。

Twitterで得ていたこと

Twitterで得をしていたことは、好きなアーティストや芸能人の情報をすぐ知れることや世間のニュースを他媒体含めても一番早く知ることができていたことだ。自分の趣味に関連するアカウントをフォローすれば、その情報が漏れなく素早く手に入る環境は何より安心できる。あとは地震や自分の住んでいる地域の出来事などの必要な情報をすぐにキャッチできるので、その点についても恩恵を受けていたかもしれない。

Twitterからのネガティブな影響

得ていたことに対してネガティブな影響は数えきれないほどある。少し例を挙げて見る。

  • 芸能人の興味のないニュースが勝手に目に入る

  • 強盗や殺人などのニュースが起きるたびにトレンド入りする

  • 少し閲覧した分野のツイートでタイムラインが埋め尽くされる

  • 他人との比較が日常的になってしまう

  • 単純な時間の浪費

など、ネガティブな影響の方が大きいと感じた。

Twitterをやめるまでの思考プロセス

気づくとネガティブがポジティブを大幅に超えていた

やっぱり自分の欲しい情報はできるだけ早く欲しい。今どき新聞が一番早い情報源の人は少ない。日々無数にあるトピックは周囲の人との話題にもなるし、知ってると安心だから。でも流石に最近のTwitterはタイムラインの構成が良いものではない気がする。芸能人の炎上ツイートを一つ二つ閲覧してしまうと、タイムラインの体感6割くらいがそれで埋め尽くされる気がした。それも当たり前になってしまうけど、改めて考えると異常極まらないだろうか。

日常的な比較対象が周囲から世界に

さっきも言ったように、一つのトピックは内容に関わらずおすすめされる量が多いので、自分の興味のある分野でもあり得る。
俺は筋トレを趣味としているけど、少しそれについて調べると、もうタイムラインは自分よりすごい人たちで埋め尽くされるんだ。以前は羨ましがったりする対象は周囲の人が多かったのに、今はその対象が世界全体に広がってしまった。

基本的に意思は存在しない

俺自身、以前もTwitterから距離を置こうと何度も試したが、全て二日以内に挫折した。よくある方法の、「アプリを全部消してPCのブラウザからしか見ない」とか、「使い終わったら必ずログアウトして使うたびにログインの手間をかける」とか色々試した。だけどそれは結局、使用再開の道を残してしまっている甘えがある。
もっとハードルを低い制限だと、「おすすめ」タブは見ないで自分がフォローしている人のツイートしか見ないような考えもある。けど、画面の隣にタブがあったら絶対タップする。ダイエット中でも、毎日目の前に大好物があれば近いうちに絶対手を出すことと同じ。

完全に断つ以外の道はない

今回気づいたのはやはり逃げ道を完全に断つことだ。正直アカウントを消去した時は衝動的だったけど、もう自分のアカウントには戻れないという事実があると、意外とTwitterへの執着はすぐなくなった。本当にあの使っていた時間はなんだったんだという気持ち。

やめてからの時間の使い方

無駄な時間はまだまだあるがネガティブは減る

Twitterをやめた時間を有効に使えるかは全く別問題。無駄な時間はまだまだ多くて、ショート動画30分とか、ひどい時だと60分続けて見てしまうこともある。その見ている時の自分に、何をどう考えたらショート動画を1時間見続けるの問いたい。その時間を浪費してしまう部分でもネガティブが強い情報はとても減ったと思う。俺のショート動画でおすすめされるジャンルは筋トレ、動物、海外の意味がわからない映像、雑学などなどだけど、Twitterで目に入っていたような、男性立場と女性立場の言い合いとか何か小さいヘマをした芸能人への集中砲火などがない。同じ時間を無駄する行為でも、大きく違う点だと思う。

集中力が切れる回数は減った

Twitterは合計時間もそうだけど、隙間時間を埋め尽くす意味でも時間を取られていた。
日常や仕事で一瞬集中力が切れた時にスマホに手を伸ばしてそのままズルズル閲覧、一回手を話してもさっきまで見ていたトピックが気になって5分も立たないうちにまたスマホを開く、、、みたいな繰り返し。これが少なくなった気がする。一瞬で消費できる娯楽の選択肢が一つ減ったことでその負のループが生まれなくなった。

残るはインスタとショート動画

インスタも削除するとリア友とのSNSの繋がりがなくなってしまうので、元々そんなに見る習慣がないから残しているけど、使っている内に負の影響が大きくなったら考え直さなきゃいけない。
中ボスはショート動画。アカウントがなくても見られるのが一番厄介で、スマホやPCを手放さない限り、Twitterみたいに意志に関係のない物理的な断絶が不可能だ。そして俺は人よりも意思が弱い気がするから、ショート動画を見てる自分を見下す時はこれからもしばしばあると思う。
ラスボスは普通の長尺のYoutube。めっちゃ見るし、BGMとしても使うことが多いから手放すのが一番難しいものだけど、あまりネガティブな面を感じないし、見るのが嫌だったら見なければいい話という面もある。Twitterなんかのテキスト情報は、コンテンツがスマホの静止画一画面で完結するので目に入ったらおわりのようなメデューサ的特徴がある。

やり続けたいならやればいいけど習慣を疑う価値はある

SNSは日常すぎて疑いにくい

Twitterも含めたSNSは日常に溶け込みすぎて疑うということをしにくい。だからそれが無くなった時の生活を想像するまでに至らないんだ。そこを一旦考え直してみることによって、やめるという選択肢を取ることができるならそれはそれでまた新しい生活スタイルや考え方が生まれるかもしれないし、やめないにしても向き合い方を変えるきっかけになるかもしれない。SNSはこれからもなくならないものだから、定期的に見直してみるのもいいかも。

瞬間的に面白いものに出会えなくなるのは悲しい

Twitterで、一つのツイートとか画像で死ぬほど笑ったときが、頻度はまちまちだけど何度もあった。それらに出会いにくくなるのは結構悲しい。みんなでくだらないことをしたり見たりするのはおもしろいことだから、Twitterのその輪に入れないことは結構悲しい。それ以上におもしろいことを他で見つけられるように、あるいはちょっと無理そうだけど自分で生み出せるようにTwitterがない生活を送りたい。


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