【祝・最終巻発売!】達人伝を追いかけて生きた10年間 その②
※この記事は作品のネタバレを含みます。
※当記事ではこちらを参考にして画像等の引用を行っております。
達人伝の進行に合わせて自分の人生について語る記事の二つ目です。
その①についてはぜひこちらからご覧ください。
達人伝の最終巻発売までもうすぐですね。
楽しみな反面、寂しさも感じていてやや複雑な思いで日々を過ごしています。
今回の②では、2015~2018に刊行された達人伝と、それと同時期に私に起きていた出来事を書いていこうと思います。
10巻~21巻(2015~2018)
作品の出来事
白起の圧倒的な戦果の前に凍りつく天下。
さらに、秦の刺客であり荘丹の故郷を滅ぼした張本人である黥骨(げいこつ)が、荘丹との約束のため故郷を守っていた朱涯を殺しました。
黥骨(秦の暗殺者)
朱涯の死によって荘丹たちは自分たちの無力さを痛感し、力を身につけるべく信陵君の下で修業を行うこととなります。
ここまでが9巻までのお話です。
そして月日が流れ、信陵君の食客として精悍し成長した三人のもとに、「秦の次の狙いは趙だ」との知らせが入りました。
荘丹たちは信陵君の導きで、同じく戦国四君で趙国の宰相でもある平原君(へいげんくん)のもとへ駆けつけます。
平原君(戦国四君の一人で趙の宰相)
ちょうどその頃、呂不韋は秦からの人質として趙で暮らしていた異人(いじん)の下を訪れていました。
異人(秦の王位継承権を持つ趙国の人質)
呂不韋は、順位は低くとも秦国の王位継承権利を持つ彼に利用価値を見出し、自分なら彼を次の秦の皇太子にできると言います。
これの提案を涙を流して受け入れる異人。
いよいよ、一介の商人に過ぎなかった呂不韋が表舞台に躍り出ようとしています。
そしてその呂不韋の近くには成長した雛朱の姿もありました
雛朱(呂不韋に身元を引き受けられた舞子)
呂不韋が陰ながら動く中、戦国七雄の一国である韓は秦に怯えるあまり領地である上党を秦に差し出す約束をします。
丹の三侠は、その実態を探るべく平原君の命令で上党に入ります。
そこで三人が目にしたのは、秦に対する恐れと韓に見捨てられたことに失望する上党の民の姿です。
彼らに対して荘丹の発した言葉が、上党の窮地を前に失意の底に合った人々に火をつけます。
「王様が見捨てたのなら、この地をどうしようとかまわない。
ここをどうするか?それは天地9万里の心次第で、それは虎狼の国の餌食のはならないものだ」
と、人々の「秦に抗ってでも自由に生きたい」という気持ちを沸騰させたのです。
かくして上党中に広がる「反秦」の声。
上党の民は「王様の決定など知るか。上党には上党の生き方がある!」と、秦に割譲されることを拒否します。
これには平原君も黙っておれず、秦の怒りを買うことを覚悟のうえで民の求めに答え、上党に趙の軍を入れます。
しかし、秦が土地の横取りを許すはずがありません。
本来韓から譲渡されるはずだった上党を趙に取られたわけですから、秦の怒りは相当なもの。
秦の宰相である范雎は、すぐさま趙との戦いを決め、白起を戦場に向かわせます。
この瞬間、大国同士の大戦の火ぶたが切られたのです。
そしてこの戦いは「長平の戦い」として歴史に名を残すこととなります。
秦を迎え撃つべく、着々と戦の準備をする趙国。
そこには当然、丹の三侠の姿もあります。
さらに、趙には続々と荘丹たちが絆を結んできた人々が集まります。
朱涯将軍が死んでも「達人たちを結集して秦に抗う」という約束は生き続けていたのです。
その趙の軍を指揮するのは天下有数の名将廉頗(れんぱ)。
廉頗(趙の将軍)
廉頗将軍の名采配の下、趙は秦の猛攻を耐え忍びます
しかし、ここで硬直した戦況を変えるべく手を打つのは范雎。
鉄壁の守りを見せる廉頗を戦場から引き降ろすべく策略を弄します。
その策略とは「秦が恐れているのは廉頗ではなく趙括が趙軍の総司令になることだ」というフェイクニュースを世に放つことです。
この趙括という男は、既に亡くなっている超の名将趙奢の息子のことで、軍略の才はあるのですが経験が浅く、さらにうぬぼれの強い人物です。
趙括(趙の将軍)
秦の狙いは、手堅い廉頗の代わりに与しやすい趙括を総大将にすることで趙軍を弱体化させてやろう、ということです。
范雎の放ったフェイクニュースはあっという間に天下を駆け巡り、この策略は瞬く間に成功。SNSもない時代にすごいですね。
廉頗は左遷され、趙括が趙軍40万の総帥になったことで、長平の戦いは大きな変化を迎えようとしています。
そのころ、戦争のさなかでも着々と異人の太子就任の準備を進めていた呂不韋でしたが、彼のそばにいた雛朱が呂不韋の子を身ごもったと言います。
このおめでたい話を呂不韋は普通に受け入れていましたが、異人が雛朱を妃にしたいと要求したことから自体が一変。
なんと、呂不韋は自分の子を身ごもった雛朱を異人のもとに嫁がせます。
そこには呂不韋の残酷で計算高い思惑がありました。
呂不韋は、自分の血を引く子供が覇権を握る国の王になることに大きな価値を見出したのです。
この決定に絶望する雛朱ですが彼女に逆らう力はありません。
呂不韋の命令に従うほかはないのです。
そしてこの雛朱子がのちに産む子供こそが、中国史上最大の独裁者、始皇帝なのです。
裏では歴史を揺るがす大事件が進行する中、新たな趙軍の総帥になった趙括は今までの守り主体の戦いから一変して、攻めに転じます。
そして、その超軍の戦い方の変化を見て暗躍を続けていた白起がついに動きます。
廉頗の強固な采配ぶりにはさすがに攻めあぐねていた白起でしたが、経験の浅い趙括を料理するなど朝飯前です。
姿を現した白起は勢い勇んで進軍する趙括を瞬く間に討ち取り、そのまま趙の40万を降伏させます。
そして長平の戦いを春秋戦国時代において最重要とせしめた大事件が起こります。
それは、投降兵40万の生き埋めです。
白起は投稿した兵を「投降兵に与える食料も場所もない。かといって放っておいて死なれれば疫病が発生する恐れがある。」という恐ろしく冷血な判断のもと、国の判断を仰がずに独断で生き埋めを決行します。
かくして少年兵を除く、趙軍40万人が殺害されたのです。
この40万人とは趙軍の9割に等しい数で、それだけの兵を殺された国は事実上滅んだといっても差し支えありません。
あまりの出来事に呆然とする天下の人々。
それは、秦の重臣たちですら受け止められないほどの大事件でした。
誰もが趙国の終わりを疑わない中で、荘丹たちだけがこの窮地を救うべく動きます。
この惨劇を無にしないためにも、呆然とする人々に秦に抗うための活力を注入し、各国に援軍を求め趙に戻ります。
その中にはあの「項羽と劉邦」の項羽の祖父である項燕(こうえん)の姿もありました。
項燕(楚の将軍)
しかしいくら荘丹たちが駆け回っても、40万もの兵を殺された趙は首都の邯鄲まで秦に包囲されてしまいます。
廉頗が再び指揮することになったはいえ、失った兵力差はどうしようもなく絶体絶命の趙とその首都邯鄲。
そんな邯鄲にいた荘丹は「この国はもう終わりだ」と悪態をつく李談(りたん)に目をつけます。
李談(趙の役人)
彼が、この長平の戦いのカギを握るキーパーソンだったのです
大ピンチの趙でしたが、唯一の救いとして投降兵の生き埋めを独断したことで秦の重臣の不信を買った白起は邯鄲攻めから外されていました。
そのおかげで、趙は何とか秦の包囲網を耐えます。
しかしじわじわと戦況が悪化していく邯鄲包囲戦。
そんな状況を見かねて、今まで悪態をついていた李談が国を守るべく平原君に直訴をします。
その直訴の内容とは、国を守るために命を賭けて秦軍に攻め入る特攻部隊の三千決死隊の結成を平原君に直訴します。
国が滅亡の間際にあるのに、変わらず贅沢な暮らしをする平原君を一喝します。
「国がこんな状況なのに、あんたの今の豪奢な生活はなんのつもりだ?」と、平原君に問いただします。
さんざん悪態をついて国を批判する李談は、実は誰よりも趙国を愛していて、同じ趙の仲間を生き埋めにした秦に対して猛烈に怒っていたのです。
李談の気持ちが伝わり、改心した平原君はその莫大な財産を三千決死隊の戦費に充てることを約束します。
こうして、李談が率いる三千決死隊が結成されたのです。
気迫十分の李談の采配や、李牧(りぼく)や龐煖(ほうけん)といった若き日の名将の活躍もあり、徐々に秦軍の包囲網を押し返す三千決死隊。
李牧(三千決死隊の一人)
龐煖(三千決死隊の一人)
さらに信陵君と春申君の援軍も邯鄲に向かっているとの知らせがあり、いよいよ秦を迎撃できるという期待に満ち溢れる邯鄲。
しかし、邯鄲包囲網に王齕が姿を見せます。
戦場に姿を見せた王齕は猛り苛立っており、秦王や秦の重臣たちををクソ呼ばわりして非難します。
あまりの発言に、王齕を咎める周囲の他の秦の将軍たちでしたが、その際に王齕が発した言葉には彼らも言葉を失います。
王齕は「白起が流罪に処された」というのです。
秦のために、数多の戦果を挙げてきた白起が罪人として扱われたということは、同じ秦の将軍だからこそ信じられないことでした。
武人として誇りを持つ王齕は、上層部の戦場で命を賭ける武官を軽く見た決定が許せなかったのです。
怒り心頭の王齕は、どう考えても無茶なのですが、趙国攻略を目指した白起を想い単騎で邯鄲に突撃します。
猛り狂った王齕はすさまじく、邯鄲の城門を突破して、王宮内に進みます。
その王齕に立ち向かうのは、王齕と同じく老齢の大将軍の廉頗でした、
生涯を戦に捧げてきた二人は、敵味方という境界を越えて、ただ楽しむように一騎打ちをします。
この勝負の結果は王齕の勝利で終わったのですが「ここで廉頗を殺しては秦のために働いたことになってしまう」という判断から、廉頗の命を取ることはせず、邯鄲を去っていきます。
その際「いくら武人が国に尽くしたところで、国は武人に尊び尽くしてはくれない」と、廉頗に忠告をして邯鄲を去ります。
白起もおらず、王齕も去った秦軍は、邯鄲の守りに攻めあぐねていました。
そんな中、ついに信良君と春申君が援軍を連れて邯鄲にやってきたのです。
これには秦も邯鄲攻めを中止せざるを負えず、つまりは亡国寸前だった趙は、奇跡的に生きながらえることとなったのです。
しかし、戦いの最後の最後まで前線で戦い続けた李談は、命を落としてしまいます。
この、李談の命を賭けた戦いのおかげで、邯鄲は救われ、秦の天下統一の野望を大きく頓挫したのです。
しかし勝利に浮かれる暇もなく、荘丹たちの耳に天下を揺るがす知らせが届きます。
それは、白起が流罪に処されたのち死亡したとの知らせです。
白起が死の前に何を思ったのか、彼の戦いの流儀はどのようにして築かれたのかは、「達人伝21巻」を丸々1冊使って描かれています。
長平の戦いという対戦を経たこと、白起や王齕、秦王の死などにより、春秋戦国の世は新たな局面に移ります。
現実の出来事
うつ病を発症した当初の、強烈な希死念慮と不眠という最悪の時期は抜けていましたが、まだまだ症状が安定しているとは言えず、不安定な時期でした。
ただ、減っていく貯金と増えていく職歴の空白に焦りを感じるようになり、なにかアルバイトでもしなければいけないと感じるようになっていました。
この焦りが結果としてさらにうつ病の療養期間を延ばすことになったのです。
その時の私は「A型作業所(障がいを持つ人をパートタイムで雇ってくれる場所)なら今の自分でも働けるだろう」と、うつ病を侮っていました。
確かに仕事内容的には対して苦もなかったのですが、当時の私にとって6~7時間労働するというのは、まだまだ難しかったのでしょう。
A型作業所で働いてから半年ほどして、私はパニック発作を起こしました。それは確か、趙括が表紙の15巻が発売されたあたりのことでした。
ここでパニック発作について軽く触れておくと「自分の身に危険が迫っている!」という緊張が引き起こす動悸や過呼吸などを伴う発作のことです。
例えば、満員電車の中で「なんだか息苦しい、でも電車の中で倒れたら他の人に迷惑をかけてしまう、だから我慢しないと…」という緊張が極まって、パニック発作を起こす人も多いみたいですね。
自分がパニック発作を起こしたのは自宅でした。
なんだかその日は眠れなくて、でも明日も仕事だから寝なければいけない。
そんな風に、無理やり寝ようとしていたらだんだん息が苦しくなってきて、結果的に過呼吸を起こしてしまいました。
過呼吸を起こしたことある人いますか?あれめちゃくちゃ苦しいんですよ。
「次いつ発作が始まるか」と思うと気が気でなく、結局仕事も辞めてしまいました。
仕事を辞めた私に待っていたのは「どこへ行っても長く働けない。自分の人生は終わっている。時間を無駄にして生きている」という自己卑下でした。
そんな苦しい中でも私を助けてくれたのはやはり達人伝。
仕事を辞めてしばらくした後に発売された達人伝21巻で、白起は自身の生涯を「将軍として秦のために尽くしたのに国を追放されて、その挙句自ら命を絶つことまで命じられた。自分の今までは無駄になった」と評します。
しかし、その後に「無駄になったが、無ではなかった。この無駄こそが、自分の生きた証だ」と「自らの人生を無駄になったとしつつ、その無駄を肯定する」という境地にたどり着きます。
白起と比べたら、自分の場合はスケールがあまりにも小さいですが、王欣太先生は達人伝を通して「無駄も含めて自分の人生だ」ということを伝えてくれました。
そうして、たとえ3年でも4年でも5年でも無駄にしようと、本腰を入れて療養する決心がようやくできたのです。
パニック発作を何とか超えて、次回がこの自分語りも最後です。
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