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逃げるって、探すことだと気づく

”逃げる”って言葉、印象良くないですよね。

「嫌なことから逃げるな」「辛いことから逃げるな」とか、してはいけないことに入れられている言葉のような気がします。

でも、逃げるって本当にいけないことなのでしょうか?

もしかしたら、逃げるって幸せに生きるためにかなり重要なのでは?

そんなことをヨシタケシンスケさんの絵本「にげてさがして」を読んで思いました。


いろんな人がいる だから逃げる

よのなかにはいろんなひとがいる あしのはやいひともいれば えのじょうずなひともいる。じをよむのがにがてなひともいれば さんすうがにがてなひともいる。

「にげてさがして」「作者:ヨシタケシンスケ」「出版社:赤ちゃんとママ社」

おっしゃる通りです。世の中にはいろんな人がいます。

おしゃべりな人、しずかな人、リーダーに向いている人、調整役に向いている人。
人に言われたことを気にしやすい人、逆に全然気にしない人もいます。

そして「いろんな人」の中には、時々攻撃的になる人もいます。
例えば人を中傷することに抵抗が少ない人、絶対に他人の上に立ちたいという人もいるでしょう。

私なんかは自分以外の人間の悪口ですらダメージを負ってしまう人間なので、そういった人たちとは相性がよくありません。
実際そういう人と過ごすと、知り合いや有名人などの悪口を聞かされまくって心がしなしなに萎んでいってしまいます。

なぜ心が萎むほど一緒にいるのがしんどいのに、その人から離れなかったのか。
それは昔の自分は逃げるという行為を忌避していたからです。

昔の自分は「苦手な人から逃げたって解決にならない!逃げるなんて負け犬だ!自分は逃げない!この人とうまく付き合えるぐらい強くなってやる!」と、自ら「逃げる」を禁止していました。

きみのあしは「やばいものからにげるため」についているんだ。

「にげてさがして」「作者:ヨシタケシンスケ」「出版社:赤ちゃんとママ社」

やばい」「この人苦手かも」と感じたら、それは本能が何かを感じ取ったのかもしれません。
時には、理屈ではなく本能に従って選択することも重要だと思います。

幸い私達には”逃げるという権利”があります。
せっかく感知した「やばい」という反応、無視するのはちょっと危うい気がします。

逃げた先には、素敵な出会い

ヨシタケシンスケさんは「やばいと思ったら逃げちまいな!(意訳)」と伝えます。
ずーっと「逃げることはしてはいけないこと」と思い続けてきた私からしたら、困惑するぐらい「逃げる推し」です。

それはもしかしたら”逃げる”が危機回避だけではなく、素敵な出会いも引き寄せる魔法のカードだと、ヨシタケシンスケさんは知っているのかもしれません。

そしてもうひとつ きみのあしには やくめがある
それは「きみを まもってくれるひと」「きみを わかってくれるひと」をさがしてそのひとのところに いくため、だ。

「にげてさがして」「作者:ヨシタケシンスケ」「出版社:赤ちゃんとママ社」

思い返せば「逃げた先での素敵な出会い」というのはたくさんあります。

例えば
「学校から逃げて不登校になり、通い始めたフリースクールで一生の友達を見つけた」とか
「本当は苦手だった友達グループから抜け出したら、同じく抜け出してきた人と意気投合」とか、逃げたからこその出会いだったと思います。

「逃げたのに素敵な出会いがあった」ではなく
「逃げたからこそ、同じ場所から逃げてきた気の合う人と出会えた」というべきかもしれません。

逃げるとは探すこと

私が「にげてさがして」を読んで思ったのは「”逃げる”は”探す”に言い換えできるのでは?」ということです。

逃げるって、今の自分の居場所に見切りをつけて、より自分に適した場所を”探す”行為なのかもしれません。

ひどいひとから スイッスイッと にげながら だいじなひとを だいじななにかをさがしにいこう。

「にげてさがして」「作者:ヨシタケシンスケ」「出版社:赤ちゃんとママ社」

”逃げる”という言葉には抵抗があっても”探す”という言葉ならあまり気にならない人も多いのではないでしょうか。

「逃げることができなくて、いつも自分を追い詰めてしまう」とか
「辛くても、限界を超えるまで踏みとどまってしまうという人」にはぜひ「にげてさがして」を読んでもらいたいです。

もし「あれ、逃げるってそんなに悪いことじゃないかも?」と思ってもらえたら、この本を紹介した私も、(多分)ヨシタケシンスケさんもうれしいと思います!

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