読書記録 | 完膚なきまでの「メフィスト(小山清)」の敗北の一部始終を愉しむ
作品を読んでみたくなるきっかけは、いつどこから訪れるか分からない。
私からすると、自身の時代より遥かに昔であっても、自分の知らない作家や作品に出会うと、いくら本が古くても「新刊」と同じである。
逆に世間一般的な「新刊」は追いかけることがほとんどないので、時代に逆行していると言えばそのようになる。
しかし人間爾来の普遍的なものは、古いもののほうがより感じられると思っているので、そのようになってしまっているというところなのである。
以前、Youtubeの朗読チャンネルから識った小山清という小説家も、わたしにとっての「新刊」のひとつである。
その際途中まで拝聴したのが「メフィスト」という興味深い作品である。
本を選ぶ際最も大事にしていることは、自分の「閃き」とその時々の「感性」であるが、ここ最近はそれに加え「この人が読んでいるから」や、「この人が面白いと言っているから」というものにも影響を受けている。
しかしながら、小山清については当時のオリジナルの書物を求めると、とんでもなく高額なので、ちくまの復刊版にて前述の「メフィスト」を嗜んでみることにした。
この「メフィスト」という短編小説は、当時太宰治の門人(弟子)で、太宰の疎開中留守宅を預かっていた小山が、師匠太宰のあまりの人気ぶりにやっかんで、太宰を装って訪問客の女性に応対するというものであるが、この相対する二人の知的な駆け引き(とは言え小山のひとり踊りであるが)と、惨敗の喫し方が何とも滑稽なのである。
後に太宰先生に推敲してもらっているようで、タイトルも「欺き方」太宰が付けたものであるのだが、文章から見る小山先生の雰囲気は、なかなか茶目っ気が効いて興味深い。
また、時折覗く師匠太宰に語りかけるような言葉の端々に、弟子小山のそこはかとなき師匠への敬服と愛情の眼差しを感じるものである。
まだ他にも短編があるので、少しずつ追っていきたいところである。