忘却という名の放浪
私たちは本当に大切なものをすぐに忘れてしまう
今日感じた日常のありがたみ。
食べること、寝ること、起きること、また食べること、
そうして日々が鮮やかに織りなされていくこと。
映画から受けたインスピレーションに感化される気持ち。
家族や友達の温かさ。
彼らと普通に会えること、話せること、笑い合えること。
恋人の愛しさ。
彼の変な癖、うるさい小言、抱き寄せる手、寝顔。
すべてが一瞬で、儚くて、鬱陶しくも、狂おしいほど求めている。
"大切なこと"は人の記憶に留まったと思えば、底のない意識という名の海に漂流し、永遠の旅に出かける。
人の心には強くしなやかな爪痕を残していくのに、その存在はいとも簡単に記憶の網を擦り抜け、驚くほど繊細で、心許ない。
「だからこそかけがえのないものになる。」
なんて、私たちは本心半分、誤魔化し半分の言い訳をしちゃったり。
正当化できる理由を必死に探す。
別に誰に咎められている訳でもないのにね。
ヘルマンだって人類を責めたかった訳じゃないはずだ。
確かに私たちは忘れてしまう生き物だけど、記憶は長い放浪を経て、忘れたことを忘れた頃、知らぬ間に、懐へ還ってくる。
それは日々をかみしめる時間。忘れていた自分を懐かしむ時間。
振り返っては、忘れ、また振り返っては忘れる。
そうやって人はときどき立ち止まり、忘れたことを思い出す。
と、夕方の電車に揺られながら、そんなことを急に考え始めた私は、
窓から35度に差し込む夕日に照らされる。
お腹が鳴る。
そういえば昨日の晩御飯何食べたっけ。
唐突にそんなこと思ったりして、3秒前に考えていたことも家路に着く頃にはきっと忘れているのだろう。
忘却という名の放浪は永遠に続く。
でもきっと大丈夫。だってまたいつか、ふと思い出すから。
覚書:挿絵は忘れんぼな私たちの脳内をイメージしたもの。Windowsのペイント3Dで描いた画像に、photoshopでヒポカンパス(hippocampus;海馬の語源であるギリシャ神話の幻獣)をコラージュしたもの。