アメリカでの広告メディア史
日本での広告収入の歴史は1950年代に電通四代目社長、吉田秀雄さんに遡ります。しかし広告収入というビジネスモデルはアメリカで1920年代に既に存在していました。必ずしも吉田さんのオリジナルではなかったのですね。
1926年、RCA(Radio Corporation of America)の創立者、オーウェン・ヤングがラジオ受信機を製造。そしてコンテンツとなるレコード会社(RCAレコード)や放送局(NBC)を展開しました。
それまでアメリカでのラジオ放送は公共放送か聖書の朗読くらいしかありませんでしたから、米国民は大喜びだったでしょうね。
そんな民間ラジオ局を広告媒体として大きな可能性があると考えたのがCBSラジオを作ったウィリアム・ペイリーです。彼は元々葉巻会社の御曹司で、ラジオが葉巻の売上を大きく上げる道具だと考えたのです。
それまでアメリカのビジネスマンにとってラジオは「聴覚に働きかける地元紙」のように思われていて、誰もこれを広告に使うとは考えなかったようなのです。
ペイリーは自らのコンテンツ、音楽番組やニュースを視聴者に無料提供する広告モデルを作り、全米の中小放送局をネットワーク化して全国番組を作ることに成功。
それによってコカ・コーラをはじめとしたナショナル・ブランドが広告を出すようになりました。