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映画「ベンジャミン・バトン 数奇な人生」を観て

10月26日、「ベンジャミン・バトン 数奇な人生」という映画を観た。2008年のアメリカ映画で、原題は「The Curious Case of Benjamin Button」。デヴィッド・フィンチャー監督の作品だ。

キャストは、ベンジャミン・バトン役のブラッド・ピット、デイジー・フューラーケイト・ブランシェットクイニー役のタラジ・P・ヘンソン、エリザベス・アボット役のティルダ・スウィントンなどである。

80歳の状態で生まれ、年を取るごとに若返る人生を与えられた男の一生を描く。
2005年、ハリケーンが接近中のニューオーリンズ。病院で死の床に伏している老女デイジーは、娘キャロラインに、ある日記帳を自分に読み聞かせるよう求める。その日記帳にはベンジャミン・バトンという男の人生が綴られていた。
1918年のニューオーリンズ。第一次世界大戦が終わった日の夜、生まれたばかりの赤ん坊が、ある老人施設の前に置き去りにされていた。施設を経営する妻クイニーと夫ティジーの黒人夫婦は赤ん坊に気付き拾い上げ、その老人のような姿に驚く。子どもの産めない体であったクイニーは、赤ん坊を神の子であると信じ、ティジーの反対を押し切り、自らの手で育てることを決意する。赤ん坊はベンジャミンと名付けられ、施設の老人たちからも歓迎される。身体機能の弱さゆえ、医者からも少ししか生きられないと見られていたベンジャミンであったが、無事に生き延びて成長し、施設内で車椅子の生活を送るようになった。
1930年の感謝祭の日、杖一本で歩けるまでに若返ったベンジャミンは、施設に遊びに来た入居者の孫娘デイジーと運命的な出会いを果たす。互いに惹かれ合う二人であったが、外見が老人のベンジャミンには、少女のデイジーと遊ぶことは許されないのであった。
1936年、17歳も終わりに近づいたある日、若返りを続け元気になったベンジャミンは、世界を知るため、船に乗って旅立つことを決意する。別れを惜しむデイジーにベンジャミンは、行く先々から葉書を送ることを約束する。ベンジャミンは旅立ち、一方のデイジーは、ニューヨークのバレエ学校のオーディションに合格し、バレエダンサーの夢に向かって歩む。ベンジャミンは船乗りとして働くかたわら、滞在したホテルで人妻との恋、そして切ない別れを経験する。やがて始まった太平洋戦争で、ベンジャミンの乗る船は後方支援を担当し、戦禍に身を投じることとなった。
1945年、26歳になったベンジャミンはニューオーリンズに帰り、クイニーの歓待を受ける。大人の女性に成長したデイジーとも再会するが、都会で洗練されたデイジーに戸惑い、すれ違いを重ねる。
時は流れ、ある日デイジーはパリでバレエの練習からの帰り道に車に撥ねられる。知らせを聞いて病院に駆けつけたベンジャミンであったが、デイジーは足を骨折しており、バレエダンサーの夢を断たれてしまう。そっとして欲しいというデイジーの気持ちを尊重し、距離を置いて見守ることしかできないベンジャミンであった。
しばらくして、ある日ひょっこりデイジーがニューオーリンズに帰って来た。ベンジャミンとデイジーの気持ちが初めて重なり、その夜二人は結ばれる。構えた新居で二人だけの甘い生活が始まった。やがてデイジーは妊娠し女の子を生む。それがキャロラインであった。幸せな家庭生活の始まりのはずであったが、ベンジャミンには大きな悩みがあった。若返り続ける自分には一家の父親はとても務まらないというものだ。やがてベンジャミンは二人の前から姿を消す。
やがて、ベンジャミンは10代の少年の姿となると同時に、認知症を発症して自分のことさえ分からなくなっていたため、所持品からデイジーの元に連絡がくる。ホームに入居した2人だったが、次第に幼児の姿となり、赤ん坊となったベンジャミンは、老婆となったデイジーに抱かれながらこの世を去った。
キャロラインがその日記を読み終えると同時にデイジーは息を引き取った。

出典:Wikipedia

といった内容。

で、観終わっての感想。

自分は若返り、周りは老いてゆく

主人公のベンジャミン。生まれたときは老人。そして年とともに若返ってゆく。ボクらにとっては数奇な人生であるが、彼にとってはそれが普通の人生だった。
自分が若返ってゆくと同時に、他の人たちは、普通に老いてゆく。
何とも、本人にとっては理解しがたい世界なのかもしれない。

クイニーの存在がベンジャミンを生かす

生まれたばかりの姿が、老人の姿。
その姿を見て、父親はとっさにベンジャミンを連れ出し、民家の前の階段に置いてゆく。
そのベンジャミンを黒人のクイニーが見つけ、自分の子どもとして育ててゆく。このクイニーがいなければ、ベンジャミンは恐らく生きることができなかったことだろう。だから、彼は生涯クイニーを母親として愛し続けた。
どんな見かけであろうと、クイニーは我が子としてベンジャミンを愛し続ける。そこには、愛しか存在しない。

ちょうど若い時期が重なった、ベンジャミンとデイジー

運命的な出会いを、ベンジャミンはすることとなる。
まだ少女であったデイジーと、姿は老人であるベンジャミンはなぜか惹かれあう中であった。その後も、会うたびになぜか惹かれあってゆくのだ。
そして、様々なできごとの中、2人はお互いに年齢相当の姿の時期に、ついに愛し合う。そして子供を授かるのである。彼らにとっては、最初から運命であったのかもしれない。

ベンジャミンは、悲しい人生だったのだろうか

ベンジャミンは、デイジーの元を離れる。
自分の未来を知っていたからである。
そして、少年の姿で認知症になった彼と再び出会うのだ。

ベンジャミンの人生。
彼は幸せな人生だったのか。
ボクは、幸せだったと思いたい。
なぜならば、この数奇な人生の中で、彼が学んだものは大きく、そしてデイジーというパートナーそして子供も授かった。
普通の人生でさえ、なにも学べず、家族を持てない人生もある。
彼は、彼なりの人生の中で、幸せをかみしめていた。
ボクはそう思いたい。




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