6月23日、「雨の日は会えない、晴れた日は君を想う」という映画を観た。英題は「Demolition」。2015年のアメリカ映画で、ジャン=マルク・ヴァレ監督の作品だ。
キャストは、デイヴィス・ミッチェル役のジェイク・ジレンホール、カレン・モレノ役ナオミ・ワッツ、フィル・イーストウッド役のクリス・クーパー、クリス・モレノ役ジュダ・ルイスなどである。
あらすじは、
といった内容。
で、観終わっての感想。
あまりにも突然大切な人がいなくなると、人は悲しみを処理しきれない
映画の中の主人公は、突然の車の事故で妻を失う。
でも、彼は妻の死後も、悲しいという感情がわかない。一見、冷徹で仕事人間にも思われたが、だんだんと蹴れの行動がおかしくなってゆく。
ついには、物を分解し始めたり、自販機のクレーム処理担当の女性に付きまとうところまで行く。
悲しみが、深く、突然すぎて、その事実を落としきる処理ができないように思えた。
度重なる奇行。制御するものを失う。
街中で、イヤホンをして踊りだしたり、防弾チョッキを着た上から発砲させたりする。ついには、妻との思い出の家をブルドーザーで壊す。
もう制御が効かない状態であった。
そんな中で、妻の引き出しから、胎児の写真を見つけることとなる。
あの車の中のメモは、妻のものだったのだろうか?
タイトルでもある、「雨の日は会えない、晴れた日は君を想う」というメモを見つける。そのメモの文字は、恐らく妻のものであったと連想させる。
では、誰当てに書いたメモなのだろうか?ここが大きな疑問点である。
夫に対してなのか、中絶した子供に対してなのか、不倫をした相手に対してなのか?
ボクは、恐らく夫へのメッセージのように思えた。
複雑で、すっきりしない映画だった
このように、見解が分かれそうな映画である。
結構複雑で、はっきり言えばすっきりしない映画でもある。
この映画を観て何かを得たかといえば、無いと思う。
何を伝えたかったのか、ボクには今一つ理解できない作品であった。