映画「マンチェスター・バイ・ザ・シー」を観て
9月2日「マンチェスター・バイ・ザ・シー」という映画を観た。
原題は「Manchester by the Sea」。2016年のアメリカ映画で、ケネス・ロナーガン監督の作品だ。
キャストは、リー役のケイシー・アフレック、ランディ役のミシェル・ウィリアムズ、ジョー役のカイル・チャンドラー、パトリック役のルーカス・ヘッジズなどである。
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あらすじは、
リー・チャンドラーは短気な性格で血の気が多く一匹狼で、ボストンの住宅街で便利屋として生計を立てていた。
ある冬の日、リーは兄のジョーが心臓発作で亡くなったとの電話を受けた。故郷の町「マンチェスター・バイ・ザ・シー」に帰ったリーは、自分が16歳になるジョーの息子の後見人に選出されたことを知らされる。兄を失った悲しみや自分に甥が養育できるだろうかという不安に向き合うリーだったが、彼はそれ以上に暗い過去、重い問題を抱えていた。
と、いった内容。
で、観終わっての感想。
リーが持ち続ける、心の中の十字架
キツイと思う。相当キツイと思うのだ。
リーの気持ちを考えると、並大抵の苦しみではないはずである。
自分の過ちで、子ども3人が死んでしまったのだから。
そして、それは過去にさかのぼってやり直すことはできない。
彼は生き続ける限り、ここりの中に十字架を持って生きるしかない。
兄のジョーも、大きな悩みを抱えて世を去る
兄のジョーが、突然この世を去る。16歳という難しい年ごろの息子を残してである。ジョーが頼るのは、弟のリーしかいない。だから、もともと体の悪かったジョーは弟には内緒で遺言を残すのだ。
それは、後見人をリーに任せることだった。
その心を考えると辛くなる。なぜならば、母親は息子が小さい時に出て行った。その理由は、映画内では詳しく述べられてはいないが、リーの一言でおおよそ想像がつく。「彼女が人間になっているのであれば・・・」
相当ひどかったのだろう。
だからこそ苦渋の決断で、息子の後見人をリーに任せたのであろう。
妻のランディに謝られても、過去には戻れない
街中で、元妻のランディにばったりと出会う。
彼女は妊娠していた。3人の子供が死んで、リーを責め続けたことは、想像できる。ランディからすれば当たり前である。
リーはその元妻から、涙ながらに謝られたのである。
妻は、リーを責め続けたことを、謝るのだ。
でも、いくら謝ろうと、子どもたちは帰ってこない。妻も帰ってこない。
もう、過去のあの幸せな日々に、戻ることはできないのである。
パトリックも、いつか歳を重ねたときに、解る時が来るだろう
ジョーの息子のパトリック。
多感な時期の彼には、リーの悲しみを理解できる心の器などない。
まで、彼は16歳。青春の一番楽しい時期でもあり、大人にはなりきれてもいない。
彼がいつか、叔父のリーや父親ジョーの気持ちを理解するには、まだ若いのだ。様々な人生の経験を通して、ようやく少しだけ彼らの気持ちを理解できるようになる。
そうやって、皆大人になってゆく。
マンチェスターの海。
リーには悲しげな海、パトリックには希望の海、に見えるのかもしれない。
同じ海ではあるが、見え方は「人それぞれ」なのである。