映画「普通の人々」を観て
4月27日、「普通の人々」という映画を観た。
原題は「Ordinary People」。1980年のアメリカ映画で、ロバート・レッドフォード監督の作品だ。
キャストは、カルビン・ジャレット役のドナルド・サザーランド、ベス・ジャレット役のメアリー・タイラー・ムーア、コンラッド・ジャレット役のティモシー・ハットン、バーガー医師役のジャド・ハーシュなどである。
あらすじは、
といった内容。
で、観終わっての感想。
「カノン」の音楽が、しみてくる映画
映画ので、カノンの音楽が流れてくる。
まさにこの映画のための音楽だと思った。
何とも、穏やかだけれど、何か悲しい。でも、それは永遠に続く。
そんな日常の生活の中に流れてくる音楽は、グッと心の中に染みてくる。
いつまでも自分を責め続ける主人公
兄の死が、主人公のコンラッドの心に大きくかかわっているのは、映画を観ていくうちにわかる。そのことで、彼は自分を責め続ける。そして、彼自身の人生を大きく変えてゆく。コンラッドの気持ちになれば、それはある意味あたり前で、どうしようもないことなのだと感じる。忘れることはできないし、自分を責めないこともできないだろう。
だから、当然普通にもなれない。これは、どうしようもないと感じた。
だからこそ、助けを求める意味で、精神科医の存在は大きいのだと思う。
「なぜわかる?」「友人だから」
コンラッドは、以前自殺を図っている。
病院にも入院して、普通の生活をしようと彼なりに努力をしている。でも、やはり普通にはなれない。
そして、精神科医のバーガー医師と出会う。
最初は心を開かないコンラッド。しかし、徐々にではあるが、心を開き始める。そして友人のカレンが自殺をしたのを聞いて、卒倒する。
助けを求めて真夜中に、バーガー医師に連絡。彼は、コンラッドに会ってくれるのである。
そこでの会話が印象的だった。
コンラッドが泣きわめきながら「なぜわかる?」と、医師に聞く。
バーガー医師はこう応えるのだ「友人だから」。
この言葉は、コンラッドに突き刺さる。そして、本当の意味で心を開くのである。
自分自身を愛していた母親
この映画の中の肝は、何といっても母親のベスだろう。
彼女とコンラッドは、観ていても愛情で結ばれていないのを感じる。
最初は、コンラッドの心が開かれていないからと感じ、母親のベスが可哀そうと思っていた。
しかし、それは夫のカルビンの中でも、何か言いようのない違和感を感じてたのかもしれない。
映画の中での言動や態度を、細かいところまで観てみると、そうか…と気づく。
カルビンは、長男が亡くなったときの葬儀でのことを思い出す。彼の中では常に心に引っかかっていたことである。シャツの色などカルビンにはどうでもいいことだった。でも、ベスは、シャツを変えるように言う。
そして、すべての行動や態度から、彼女の愛情の対象が”家族”でなく、”自分自身”であることに気づくのである。
そして、母親は去ってゆく。コンラッドに最後の言葉も告げずに・・・。
そこに流れる、カノン。
普通の見えた家族も、実はそれぞれが普通ではない。
世の中に生きる誰もが、実は何かしらを抱えている。
実は、普通なんて無いのかもしれない。