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映画「華麗なるギャツビー」を観て
9月9日「華麗なるギャツビー」という映画を観た。
原題は「The Great Gatsby」。2013年のアメリカ映画で、バズ・ラーマン監督の作品だ。
キャストは、ジェイ・ギャツビー役のレオナルド・ディカプリオ、ニック・キャラウェイ役のトビー・マグワイア、デイジー・ブキャナン役のキャリー・マリガン、トム・ブキャナン役のジョエル・エドガートンなどである。
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あらすじは、
好景気に沸く1920年代アメリカ。証券会社に就職したニック・キャラウェイは、ニューヨーク郊外に転居する。近隣の豪邸では、謎めいた大富豪ジェイ・ギャツビーが毎夜、豪勢なパーティーを開いていた。やがて、ニックの元にギャツビーから招待状が届くが…。
と、いった内容。
で、観終わっての感想。
ギャツビーの最期、さすがに同情してしまう
この世に神がいるならば、さすがにギャツビーの最期は可哀そうすぎである。すべての、歯車が崩れてゆく瞬間。デイジーからの電話を待つギャツビー。電話をかけたのはニックだった。デイジーからの電話と思ったギャツビー。喜んでプールから上がろうとした瞬間、銃弾は胸を貫く。
それも、射殺された理由は、デイジーが起こした交通事故で、犯人扱いされたからである。なんとも、この悲劇をどうとらえたらいいのだろう。
でも、唯一の救いがあるとすれば、電話は”デイジー”からのものであると、ギャツビーが思ってこの世を去ったことであろう。
ニックが一番「真実の心」を見抜いていた
あれだけの”デイジー”に対する思いをニックは、見せつけられている。あれだけの大富豪が、デイジーと会う段階になって、部屋から逃げ出したりする姿。ニックが何よりも「真実の心」を見抜いていたと思う。それに対して、デイジーの夫は、浮気を繰り返し、デイジーには見向きもしない。それを見ていたニックは、ギャツビーを友として応援したかったのではないだろうか。
デイジーの女心。5年の年月は長すぎた。
ギャツビーの5年間とデイジーの5年間。長さは同じでも、その心の変化の5年間は違う。デイジーに再会するために、ギャツビーはたゆまぬ努力をし成功してゆく。一方、デイジーは待ちきれず、トムと結婚する。そして一児をもうけるのだ。男と女とは、それだけ時間感覚が違うのだと思う。
女性にとっての5年間は大きい。なので、デイジーがそうなるのも仕方ないだろう。逆にトムが、デイジーを幸せにしていれば、ギャツビーの入り込む余地など無いのである。その余地があったことが、悲劇の始まりであったともいえる。
世界恐慌前の出来事。まるで、ギャツビーの呪いのように・・・
ギャツビーが死んだ。
マスコミや今までパーティーに来ていた人々は、手のひら返しで彼を非難した。そして、彼の葬儀にいたのは、ニックだけであった。デイジーもその日をトムとの旅行にあて、彼を見送らなかった。
ニックこそ、ギャツビーの真の友だった。
そして、数年後、1929年の世界大恐慌が起こる。それはまるで、ギャツビーの呪いのようなタイミングである。
その後のトムやデイジーの姿は映像の中にはないが、おそらく彼らにもその影響は大いにあったことだろう。
映画の中のディカプリオがカッコよさが、逆に結末の寂しさを増長させた。
登場人物の心の動きをたくさん感じる、すばらしい映画だった。