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恐竜ウオーク

 朗読音声ありますhttps://note.mu/bluesoyaji/n/n4b7e4adb929fmu

 中学生、高校生向け青春小説です

 本文と音声の無断の使用、改ざんはお断りします

 信一が学校の帰りに匠の家に立ち寄り、匠の部屋のドアを開けると、匠は床の上に倒れていた。
「たくみ」と声をかけたが、起きない。信一はふざけているのだろうと思い、匠のわき腹をくすぐってみた。でも、反応がない。
不審に思い、壁のほうを向く匠の顔をのぞき込んだ。その瞬間、信一の鼓動が早くなった。匠は息をしていなかった。
耳元で「たくみ、たくみ」と大声で呼びかけた。肩を揺すぶったが、反応しなかった。
信一は、すぐに階下に降りて家人を呼んだが、ふだんはいるはずの匠の祖父母が出てこない。
リビングの電話に目をやり、落ち着けと自分に言い聞かせながら、119番にかけた。

 翌日、信一は登校すると、中学校の教師から匠が病院で死んだことを告げられた。信一は、そのまま走り出し、校門を抜け、いったん自宅に戻り、匠の運ばれた病院まで自転車を懸命にこいだ。
昨日、救急車に同乗して病院に行った後、匠の家族が到着して、信一はそのまま帰宅した。そのときは心配だったが、まさかこんなことになろうとは思いもしなかった。

病院の玄関に入る時、信一は靴が学校の上履きのままであることに気づいた。
廊下に匠の家族や親類、それと中学校の先生も何人かいる。信一は、匠のいる部屋に近づくことはできなかった。結局、匠には会えなかった。

 次の日、登校すると、匠の担任の若い女教師から、「あなたのせいでたくみ君が死んだ」と言われた。信一は声が詰まった。
「もっと早く救急車を呼んでいたら助かったのに」そう告げて大声で泣き出した。

それからの何日間のことは、よく覚えていない。
匠の葬儀があり、それが終わると母と警察に出向き、何時間も同じことを聞かれた。
 取り調べの男は、匠を見つけた時の様子を繰り返し話させた。
「ライターを君が渡さなかったか」
「たばこを一緒に吸ったことはないか」
「シンナーを吸ったことは?」
毎回、信一は同じ言葉で返答した。
しまいに男は、おまえも一緒にやっていただろうと言った。何のことか全くわからなかったので、答えようがない。家に帰って母に聞くと、匠はガスライターのガスを吸ってそれが原因で急死したという噂が流れている、その場におまえも一緒にいたと言われていると教えてくれた。
 警察は、ガスパン遊びと呼ばれる危険な行為を二人がしていたと見なしているようだった。
母は、そんなことを私は全く認められないと強く言い切った。

 信一が登校すると、教室に入るなりにぎやかに話していたクラスの生徒が一斉に黙り込んだ。休み時間にトイレに行こうと廊下を歩いていると、女子が目をそらす。いつも話しかけてくるクラスの男子も誰も話しかけてこない。
信一は、警察で言われた言葉を思い出し、みんなが自分のことを疑っている、匠の死に何か悪いことを自分がもたらしたと思っていると気づいた。それは全くの誤解だが、弁明したところでどうしようもないというのはわかっていた。

 その次の日から、信一は学校に行けなくなった。
朝起きようとしても身体が反応しない。気持ちが沈んだままで無理をしようとすると、腹が痛くなったり、頭が痛くなったりする。
最初は声をかけて起こそうとした母も、何日も続くとあきらめたのか、何も言わなくなった。
祖父は、布団から出られないでいる信一に、「いやなことがあったら学校なんかいかなくてええ。おまえが大事にしたい気持ちを殺してまでいくところでないからな」と言ってにっこり笑顔を見せた。

 その後、高校は何とか受験できて入学したのだが、通えたのは最初の1ヶ月ほどで、ゴールデンウィークが明けると、中学時代のように引きこもってしまった。
 母からイベントの手伝いを頼まれたのは、高校に行かなくなってちょうど1年が過ぎた頃である。
地域の自治会が中心となって行う恐竜ウォークという町おこしイベントである。毎年数百名の参加者があり、人口減の町には人手が足りず、信一にも母を通じて参加の要請があったのだ。
十数年前、この町域から恐竜の全身骨格が発掘され、大きなニュースとなった。ある少年が沢で見つけた化石が、恐竜の歯の化石で非常に貴重なものと判明し、県立博物館が中心となって大々的な調査が行われた。すると、次々と恐竜の化石が出て、全身骨格がそろったのである。
それ以来、全国から化石の採集家が過疎の町に押し寄せ、ちょっとした発掘ラッシュになった。
休日になると、林道の脇に県外ナンバーの車が列をなして止められ、中年男性や子供連れの家族が、沢や山道を登って化石を探す。割られた石が道に散乱し、私有地にも無断で立ち入る人が増えた。
地元の人は町おこしにつながるからと言われて、しばらくは何も言わなかったが、ゴミが捨てられ、畑が荒らされ、家の前にも無断駐車されるようになると、自治会の会合でたびたび対策が協議された。
全町域を部外者立ち入り禁止にしてしまえという意見もあったが、遍路道もあり、多くの人が来訪する土地柄なので、それはできないということになった。
最年長の委員が恐竜の化石にちなんだイベントをやらないかと提案した。化石の採集をしながら、山道をウォーキングするというものである。博物館から専門家を呼んで化石採集の助言と指導をしてもらう。アマチュアの採集家の欲を満たし、町の名産品も販売して買ってもらう、一石二鳥の名案だということで恐竜ウォークというイベントがすんなり決まってしまった。
自治会に運営がゆだねられ、信一の母も婦人会から動員の声がかかり、このイベントに関わることになった。参加者の募集や受付、案内や炊き出し、名産品の販売など、町には人手が足りず、信一もかり出されたのである。

梅雨入り前の雨も上がり、集会所に着いたのはイベントの開始よりも1時間ほど前だった。
信一は普段、コンビニエンスストアにしか外出しないので、緊張のため早朝から目が覚めてしまった。早めに家を出た。
会場では知っている顔がいると嫌だなと思い、ついつい辺りを見回してしまう。人が多い場所に出ると身体がこわばるように感じた。
先に来ていた母の姿を見つけた。
婦人会の中心者と話をしているそばによると、母がその年輩の女性に信一を紹介した。

「あら信一君、ずいぶん大きくなって。おばちゃんが見たのは小学校4、5年生の頃かな」
知っている人か、と信一は思いながら、愛想笑いを浮かべる。いつも深刻な顔をしていると母から言われているので外出したときくらいは、無理してでも笑顔を作ってみる。
「高校、休んでるんだってね。ひまでしょう?ゲームばっかりしてるの?」
早口で質問責めだ。こういうやりとりは苦手だなと思いつつも、母の手前、人当たりのよい態度を取ってしまう。
「今日は博物館の先生の案内役をやってもらうわ」
そう言うと、にかっと笑って前歯をむいた。
このおばさんなら怖いものなしで生きているんだろうなとぼんやりそんなことを考えて、母と連れだって本部になっている部屋に先生に会いに行った。

徳島県立博物館の学芸員をしているという菊川先生は、長身で、若々しく大学生くらいに見える。やや甲高い特徴のある声で自己紹介をした。

高校生だと自己紹介した信一と連れだって、先生は集会所の前の車一台がやっと通れる山道を歩き出した。
先生は肩書きは学芸員という堅いイメージだが、大変気さくな人柄で、早口でよく話をしてくれた。
中学生の時、この山中で貴重な恐竜の歯の化石を発見し、全国的なニュースになって注目されたこと。それからは古生物学に興味が出て大学に進み、専攻したこと。研究者を目指してさらに大学院に進学したことなどを問わず語りに話す。
結婚もしていて、子供がいると聞いた信一は意外に思った。
先生が研究一筋の生活を送っていると思ったからだ。
「子供がピアノを習いだして、センスがいい。将来は音楽家になってほしいと思っています」
「音楽家ですか。それは楽しみですね。でも、お金がかかりそう」
「そう。今の仕事では音大にやれないだろうなあ」いかにも残念そうに先生はつぶやいた。
「先生、研究生活って、あまり儲からないのですか」
失礼だとは思いながら、信一はつい聞いてしまった。
「身分が不安定だからね。契約が終われば、次の勤め先を探さないと」
「先生、大学の先生になられたらどうですか。大学教授ってお金をたくさんもらえそうなイメージがあります」
「なかなかポストがなくてね、難しいかな。特に古生物学では求人がない分野だからね」
「先生なら、大学の先生になったら人気が出そうに思います。気さくに話せるし、何でも教えてくれそうで」
「今は大学の先生も学生から評価されるし、授業はたくさんやらないといけないし、研究費も年々少なくなっていて大変なんだよ」
「そうなんですか、好きな研究ができていい仕事だと思ったのですが」
「今は論文の数や、企業と協同することが求められるから、自分のペースで研究というわけにいかなくなってる」

「ところで信一君は将来やりたいこと、決めてる?」先生は信一に顔を向けた。
「いえ、自分がなにに向いているのか、なにをやりたいのかわかりません」
「そうだね、焦らなくていいから、若いときにじっくり考えてみるのも大事だよ」
「大人になってから、こんなはずじゃなかったって思わないためにもね」
先生はそう言って、笑った。

菊川先生と歩き出してしばらくすると、ハンチングをかぶり、全身黒づくめの服装の40歳代ぐらいの男性が近づいてきた。大勢の参加者の一人だが、田舎では目立つ風貌だ。
「先生、教えていただきたいことがあるんです」
信一は、男の声が妙に粘着質であり、不快感を持った。
先生は何でしょうかと笑顔を浮かべて応対した。
「先生、私はヨーロッパで10年ほどワイン作りの勉強をしてきました。日本に帰ってきてからここでワイン園を作りたいと考えています。ここの土壌はどんな特徴があるんですか」
ハンチング男は早口でまくしたてた。
「土壌と言われても、私は化石が専門なので、地層のことはわかりますが、土壌については専門ではありませんので」
ハンチング男は先生の言葉を聞くと一瞬むっとした顔になった。
「ワイン作りに適した石灰岩質の土壌を探しているんです。」
「石灰岩質?そうなんですか」
「ミネラルが豊富なのと水はけがよいことが石灰岩質の特徴です」男はそう付け加えた。

先生はしばらく考え込んだ顔になり、
「それならこの山道の奥にあるシルル紀のポイントがあり、よく知られています」
「付加体の一部で、狭い範囲に石灰岩の露頭が見られます」
「それはどこですか」男は目を見開いて聞いた。
「この林道を3キロから4キロ上っていった先の、川の右岸側にある斜面がそうです」
「数十メートルの狭い部分です。でも、県の天然記念物に指定されているので、開発は難しいでしょう」先生がそう答えると、
男は突然、「そんなこと知らんわ。人のすることに余計な口出しするな。何様のつもりじゃ。」
と声を荒らげる※。
先生は、男がなぜ怒り出したのか、全くわからず、困惑した表情で、信一の顔を見た。
信一は、「初対面の先生にそんな口を利くのは失礼じゃありませんか」とやんわり咎めると、ハンチング男は「ガキは黙っとけ」と言ってにらんできた。
「古くて珍しいだけで、くだらんものを保護して開発ができんとはバカな話じゃ。金儲けして利益を出さないとこの地域はさびれる一方じゃ。学問研究よりも、食って生きていくことのほうがよっぽど大事なのがわからんのか」
誰に向かって怒りを投げ出しているのか信一にはわからなかった。ハンチング男が言う考えは、あまりにも身勝手である。
「くだらない」信一が強くそう言うと、
ハンチング男は一瞬きょとんとした顔をしたが、すぐに顔を真っ赤にして喚きだした。
「お前、どこの高校生や、教育委員会に言うからな。あっ、お前、あの生徒が死んだ中学校の奴やろ。気に入らん。ツイッターにも書いとくからな」

信一は「先生」と言って、何か言おうとする菊川先生のウエアの裾を引っ張って制止した。
「二度と来るな」信一が言うと、ハンチング男は「後で泣くぞ」と吐き捨てるように言って悪態をついた後、背を向けて立ち去った。

 しばらく二人が無言で歩いていると後ろから、へぇーともひぃーとも聞こえる奇妙な叫び声が聞こえてきた。振り返ると、男が道ばたの小さなくぼみに転落したところだった。

 二人は立ち止まって這い上がる男を見た。少し引き返して男を見ると、ズボンは黒い泥まみれで、上着はびしょ濡れになっている。顔を小枝ですりむいたのか、ところどころ筋が入っており血がにじんでいた。
 男の近くには異様な黒犬が唸っていた。身体が大人一人が乗れるほど巨大で、見るからにどう猛な顔つきをしている。首輪はなく、飼い犬には見えない、山から下りてきた野良犬のようである。今にも男に飛びかかりそうな様子で低い声で唸っている。

 男は、その身体からなんともいえない悪臭を漂わせていた。
おそらく何かの動物の糞が混じった泥だったのであろう、男の下半身からの臭いは4、5メートル離れた信一と菊川先生の鼻を手で覆わせた。
二人は顔を見合わせると、その場から全速力で走って逃げた。

「やっと追いついたわ」
大きな声で二人の後ろから呼びかけたのは、笹川里沙という、信一と保育所から中学卒業まで一緒だった女子高生である。今は信一とは別の高校に通っている。
信一は苦手な気持ちが先に立ち、身構える。
「歩くのが早くてなかなか追いつけなくて」
顔を赤くして、やや小動物に似た笑顔を見せた。
里沙は、人に好かれる顔立ちをしており、保育所の頃から男の子はもちろん、女の子からも絶大な人気があった。
信一も小学校の高学年まではよく一緒に遊んだのだが、中学校になるとやや距離を置くようになり、匠のことがあって以降、口を利いたことがなかった。
信一が引きこもってから何度か信一の家を尋ねてきたが、信一は会わなかった。
「ねえ、久しぶり。どうしてるの?」
いきなり直球の質問だ。信一はなんとなく今日は話ができる気がする。
「ああ、ひさしぶり」
そう言って次の言葉を探していると、
「それだけ?何年も心配してたのに」
また直球?と信一は思った。
「高校、行ってないんでしょ。おばさんから聞いたよ」
「で、何してるの?家で」
菊川先生がいるし、ちょっとは気を使ってほしいなと思いながら、
「本読んだり、ネットしたり、ゲームしたり」と答えた。
「なにそれ、楽しいの、それで」
信一はそう言われると少し気を悪くして、「ああ、気楽に生きてます」と答えた。
里沙はちょっとむっとした表情になった。
「おばさんは何も言わないの」
「ああ」
「学校はどうするの」
「考え中」
「ずっとその生活続けるの」
「うーん、なんだろうな、今はわからない」
「匠がね」と里沙が言い掛けたとき、信一は「今は、やめろ」と思わず言った。
里沙は、大きな目を信一の横顔に向け、改まった顔をして「匠のお母さんからノートを預かってるの」と言った。
信一はその言葉を聞いてはっとした。険しい顔をしていたようで、里沙は、「そんなに怒らないで」と言って、ノートのことを話し出した。

 里沙は毎年、匠の命日に匠の家に行っているらしい。今年も仏壇に手を合わせた後、匠の母から、匠のノートを手渡され、あなたに任せるからと言われ預かった。
家に帰り、開いてみると、匠が行っていた化石採集の記録と、信一のことが書いてあった。
「その内容はあなたに直接読んでほしいから、都合のいいときに持って行く」と言って、信一の顔を見た。
「そうか、わかった、ありがとう」
信一は何か重要な手がかりが書かれているのではないかと思い、里沙に来週の土曜日に持ってきてほしいと話した。
それまで少し先を歩いていた菊川先生は、信一と里沙の話が終わったと気づいて、歩を緩めて信一らと並んだ。

「菊川先生、幼なじみの笹川里沙さんです」信一が紹介すると、里沙はあいさつが遅れました、先に信一と話し込んでしまってすみませんと大人のようなあいさつをした。
こいつは抜け目ないなと信一は苦笑しながら、里沙の振る舞いに感心する。
「先生、この人、引きこもっていて学校に行っていないんです。何とか言ってやってください」
「おいおい、お前は母親か」と信一は心の中でつっこんだ。
「そうなんですか、で、高校はどうしてるの」
菊川先生は、表情を変えずに信一に尋ねた。
「休学しています」
「そうですか、まあ、人にはゆっくりすることも必要だからね」
先生はそう言って、休学している理由も問わなかった。
先生は自分も大学生の時、体調を崩して一年間休学したことがあると付け加えた。

「先生は、どうして研究者になったのですか」
信一が尋ねると、先生は歩みを止めて、ペットボトルの水を一口飲んだ。
「この谷で偶然、恐竜の歯の化石を発見してね」
「それが中学生の時」
「全国紙にも報道されて、注目されて」
「それまではただの化石マニアの中学生だったんだけど」
「たまたま見つけた化石が当時は日本最古の恐竜化石の歯であることがわかって」
「それからは研究者になろうと、一生懸命勉強をして大学に行ったんです、勉強は苦手だったけど」
「研究を続けるとどんどんおもしろくなって、研究者になることになって」
「苦労はいろいろあるけど、好きなことがやれるのは幸せかも」
先生は一気にここまで話してくれた。
信一はこの恐竜ウオークのイベントそのものが、先生の恐竜発見がルーツにあることを思いだした。
「毎年、このウオークに呼んでいただいて、いろいろな人と出会えるのも楽しみです」先生はそう言うと、少し声を潜めて、「信一君も化石を探しているそうなので、化石が見つかるポイントを教えましょう」
「この道を上って何度かヘアピンカーブを曲がり、一番大きなカーブのある沢を頂上まで登っていく途中に化石がよく出る場所があります。アゲ谷という所です」と教えてくれた。そこは先生が中学生の時、恐竜の化石を発見した場所でもあるという。
信一は神妙な顔をして先生の話す言葉を忘れまいと聞き取る。
「アゲ谷という言葉は、匠から聞いたことがある」信一は心の中でつぶやいた。
匠が探していたのは、その谷かもしれない。あの匠が亡くなった日、匠は信一にその谷のことを話そうとしていたのではないか。信一はあれこれと思いをめぐらした。
 ゴール地点の恐竜神社は、多くの参加者であふれ、手にした石を菊川先生に見てもらおうと行列ができた。
先生は子どもたちから石を渡されると、一つ一つ丁寧に見て解説をしていく。貝の化石と鑑定された子が大喜びで大事そうに石を抱えて他の子に見せて廻る。
のどかな時間が過ぎ、現地で解散をし、信一は先生にあいさつして自宅に帰った。

 恐竜ウオークが終わり、1週間が過ぎた日、約束通り里沙が匠の母から預かったという匠のノートを持って信一の家にやってきた。
信一の母が玄関に出て里沙に、久しぶりね、大人っぽくなったねえとあれこれ話し込んでいる。
もういいから早く用件を済ませたいと思いながら、信一は母と里沙の会話に聞き耳を立てる。母が信一のことを里沙に何でも話してしまうのではないかと恐れていたのだ。母は、それくらいは平気でするので、信一は早く上がってもらってと自分から声をかけに行った。
リビングに里沙を招き入れ、早速匠のノートを受け取った。大学ノートに日記のように日付と出来事などが並んでいた。
一緒にページを繰りながら読んでいくと、ある箇所で目が止まった。手書きの地図と暗号のような文字が並んでいる。「BB、×印、ここで発見、残りは信一と探す」といった内容だ。
「なんだろうこれは」
「わからない。私も何度も読み返したけど。」里沙は真剣な表情で答えた。
他のページには、信一への感謝の言葉が書かれていた。いつも化石採集に付き合ってくれてありがとう、これからもお宝探そうぜとあった。
信一は久しぶりに匠に触れた思いがして涙が出そうになった。目が潤んでくるのをごまかして、里沙に見られないように横を向いた時手で目を拭った。
さらにめくっていくと、化石に関する記述があった。
白亜紀 獣脚類 4cm歯の化石 上部不明と丁寧な字で書かれている。
信一は匠が探そうとしていたのは、この歯の化石の不明部分ではないかと考えた。
そのことを里沙に話すと、黙り込んでいた里沙は、ぱっと笑顔を浮かべ、きっとそうだ、一緒に探しましょうと言った。
「一緒に?」信一が問い直すと、「何か不満でもあるの」「私が足手まといとか言う気なの?」とくってかかる。
「違うって」
「じゃあいいでしょ、私も一緒に探すから」
信一はこの押しの強さは里沙が小さい頃からだったと思い出して、逆らわないでおこうと決めた。
「だいたい学校にも行かないで家にこもってばかりいて、外歩く体力あるの?」里沙の攻撃が飛んできた。信一は一瞬ひるんだが、負けずに「鍛えているから」と出任せを言った。
「ああそれから、これを匠のお母さんから預かってきた」と言って、てのひらに乗るくらいの大きさのブリキの箱を見せた。信一は受け取り、ふたを開けてみると、脱脂綿にくるまれた黒い石の破片が出てきた。裏返すとその面には縦に細かい筋が入った黒光りのする化石が張り付いていた。
信一は一目でそれが恐竜の歯の化石の一部だとわかった。 
匠が大事にしていたものだから、きっと貴重な化石に違いない、ノートに書かれていたことは、この化石を発見したポイントではないか、と信一が言うと、里沙も黙ってうなずいた。
信一は里沙に、菊川先生にこの化石の写真を送って見てもらうと告げて、残りの部分を発見しようと提案した。
里沙を玄関まで送って、帰って行く後ろ姿を見ながら、信一は、やはり里沙を連れていくのは危ないからやめよう、自分一人で化石を探そうと決めた。

 梅雨の晴れ間の日、谷の入り口の集会所に自転車を止めて、そこから川沿いの道を歩いて上る。あじさいがさまざまな色で咲いている
信一が先になり、里沙が手の届くくらい離れて続く。
信一は何を話していいのか話題がなく、里沙の話を聞いている。
里沙は自分の通う高校の話をいろいろしゃべる。クラスのことや友達、先生のこと。文化祭や遠足であったトラブル、人から聞いた、おもてには出せないと言う話。よくそれだけしゃべることがあるなと感心しながら信一は聞いていた。
口から先に生まれてきたんじゃないのと軽口を聞きそうになったが、我慢した。
里沙なりに、引きこもりの信一に気を使っているのかもしれない。そう思い直して、素直に聞き手に徹することにする。小学校の頃は里沙と匠とほかにも何人か仲のよい友達がいて、よく遊んだ。裏山に登って秘密の基地を作ったり、ずっとどこまでも続く山道を探検したり、楽しい思い出はいっぱいある。
 あの頃は何も心配することなく、誰とでも仲良くすることができた。
ところが、あのことがあって匠が死んでからは、誰とも繋がることができなくなってしまった。生きていることがつらくなってしまった。自分の将来のことなど、考えられなくなって、一日生きていることが精一杯の日が続いた。あの頃の気持ちって何だろう。言葉では表せられない。里沙にうまく説明できない。いや、家族にも、自分自身にもできないだろう。
 何か強烈な引力が暗い地の底まで信一を引っ張っている、そんな感じだった。おそらく母は、信一の状態に気づいており、気にしていただろう。ただ、心配しているという様子は決して見せなかった。普段通りに接してくれていた。
今、里沙と話をしながら外出しているなんて、奇跡のようなことかもしれないなと信一は改めて思った。
 このおしゃべり女に感謝しなくてはいけないな、と思ったとき、
「ちゃんと話し聞いてる?」と怒りを込めて里沙が信一の背から呼びかけた。
おお怖いと思い、口を閉ざすと、「どうせ聞いてないでしょ」と拗ねたような物言いをしたので、信一は意外な気がした。

 今日の目的の沢は、菊川先生から教えてもらった、貝の化石が出るというポイントである。
狭い林道がU字型に曲がった頂点から急な沢を登っていく。梅雨の雨で沢は普段よりは増水していた。
信一がまず先に行き、里沙が続く。女子には厳しいと思える箇所が続き、大きな岩の周囲を巻いて上ったり、水が流れる滑りやすい小さな崖を上ったりしながら、尾根を目指す。もう100メートルは上ったかと思われる地点で休憩をした。
二人とも息が上がって、黙ってしまった。ようやくして里沙が口を開いた。
「家に引きこもってる割には体力あるのね、感心したわ」
「死なないようにトレーニングしてるからね。」
「何で死ぬのよ、縁起でもない」
匠のことを連想したのか、里沙は不機嫌な顔をした。
「ずっと家にいると足が痩せて歩くのも辛くなった。夜中に足がつって痛くて」
里沙が顔を向ける。
「でも、菊川先生と歩いたとき、このままではだめだ、体を鍛えようと思ったんだ」
「そうなんだ」
「ああ、先生は調査で山を歩き回ってるときが最高に気持ちがいいと言ってたんだ」
「あれから山を歩くようになって、自然に触れていると、体の中から元気が出てくるようになってきた」
「そう、それはよかったね」
「ちょっと安心した」そう言って里沙はふっと笑みを浮かべた。

 目的の尾根近くのポイントで採集を始めた。でい岩を見つけてハンマーで割っていく。信一は1kgの重いハンマーを使い、里沙には軽いピックハンマーを渡した。石の割方を里沙に教えて、採集を始めた。
 手のひらに載るくらいの手頃なサイズのものを割り、断面に目を凝らす。小さな二枚貝や巻き貝は時折見つかるが、目的の物は、簡単には見つかりそうにない。
拾っては割り、拾っては割りして2時間近くがたった頃、突然、里沙がぎゃーっと大声を上げた。信一のいる場所から数メートルの距離で里沙はうずくまっていた。信一があわてて近づくと、右足のくるぶし辺りを右手で押さえていた。
「どうした、けがか」信一が尋ねると、里沙はこわばった表情で、「あれ、蛇が」と言って指さした。2メートルはあるかと思われる、太い管のような蛇がゆっくり草むらに消えていった。
 里沙は大蛇の出現に驚いて転倒し、足をくじいてしまったらしい。
信一が里沙の右足首の靴下を下げてみると、くるぶしの付近が腫れており、そっとさすると、里沙は痛がった。
「歩けそうか」信一が尋ねると、里沙は「大丈夫」と言った。
切り上げて帰ろうと信一が声をかけると、里沙はもう少し探そうという。信一が今日は止めてまた来ようと言った。
 里沙のリュックサックと自分のリュックを胸の前にかけて、嫌がる里沙をおんぶした。
「歩けるから大丈夫って言ってるでしょ」と強がる里沙を背負い、ふらつく足下に注意しながら、信一は沢を下っていく。思っていた以上に大変だ。転ばないように、足運びに注意を払って下る。
 里沙のなま温かい息が時折信一の横顔にかかり、奇妙な気分になる。信一は首を横に振って、変な気分を振り払わなければならなかった。
里沙の体重が信一の肩と背中にかかってくる。重くて柔らかい肉の塊が信一の感覚を刺激する。
 背中に押しつけられた里沙の胸がはっきりと感じられ、息苦しくなり、信一は何度も首を横に振った。
「重い?」と尋ねる里沙に「いや、重くない」とうそをつきながら、里沙を採集に連れてきたことを後悔していた。連れてきたと言うより、無理矢理押し掛けてきた里沙を断りきれなかったのだが、けがをさせてしまったことに責任を感じていた。
「何考えてるの?」黙り込んでいた信一に里沙が声をかける。
「意外と大きいんだな」
「何それ、エロいこと言って」里沙がとがめるように言うと信一の首に回していた両腕で信一の首を絞める。
「うっ、やめろ」信一が立ち止まり、手を払おうとするとさらに力を強める。
「悪かった、絶対にもう言わないから、ごめん」と言うと、里沙は「今度変なこと言うと、背中に漏らしてやる」と言った。
信一があわてて「したくなったら言えよ、下ろすから」と言うと、「びしょ濡れにしてやる」と里沙は真顔で答えた。
「こわー」と信一は心の中でつぶやいた。

 下山し、里沙を自転車の後ろに乗せ、信一の自転車は後で取りにくることにして、里沙を家まで送っていった。
 信一はずいぶん心配したが、里沙の母は「それは大変だったね」と言って信一をとがめなかった。信一はほっとして、頭を下げて帰った。

 里沙が足を怪我してから、また以前のように信一は一人で化石採集に行くようになった。
七月の暑いある日、信一が採集していると、7、8名の男性グループがやってきて、おもむろにツルハシで露頭の岩盤を掘り出した。信一がその手際の良さに呆気にとられてみていると、一人の男性が近づいてきて化石採集かと尋ねた。信一がそうだと答えると男は名刺を差し出した。そこには、〇〇化石研究会幹事という肩書きが書かれていた。
高校の教師をやっていると自己紹介した男は、今日は学術調査の一環で化石を採集している、昨日から泊まりがけでやってきたと言った。
 語っているそのそばで、「おい、いいのが出たぞ」「これはお宝」と男たちが話している。見ると、瞬く間に岩石の小高い山と地面に人が入れるくらいの大きな穴ができている。
この人たちは土木工事をしにきたのかと思うほどの勢いと手際の良さで、大量の岩石を集めている。
 信一が呆気にとられているそばから、土嚢袋に化石の入った石を積めて背中に抱え、あっという間に一人ずつ沢を下っていく。最後に残ったのは先ほど話しかけてきた教師の男で、掘り返した跡を指さして、ここを探せば何か見つかるかもしれないと言った。信一が元に埋め戻さないのかと咎めると、何も答えずに去っていった。
信一は、業者が入ってきて、いい化石を持ち帰り、売り飛ばしていると聞いたことがあるが、彼らもそんなグループだろうと思い、不快感を抱いた。
しかも信一が探そうとしていた露頭のポイントを大勢の人力で見事に掘り返してしまった。跡をよく見たが、化石はさっぱり見つからなかった。
 悔しくなって信一は下山した。

 台風が去り、晴れ上がった十月のある日、信一は化石の出るポイントに一人で出かけた。
いつものように自転車で谷の入り口まで行き、傾斜がきつくなった狭い林道を上っていった。
以前に里沙と来た沢のさらに上を探すつもりである。
あのとき、里沙が大蛇に驚き、足をくじいてしまい、採集を切り上げて帰ったのだが、もう少し上の地点まで探したかった。あれから何度か一人で採集に来たが、何も見つけられなかった。
 今日はあのときのリベンジと、台風後の沢の変化で、新しい転石が増えているはずとの期待で、来たのだった。
 沢には普段にない川の流れができており、茶色く濁った水が勢いよく流れている。これは見つけるのが厳しいなと信一は思った。
神妙に、濡れた岩に滑らないよう足を運び、流れを避けながら、いつもより時間をかけて上っていく。
折れた杉の枝やさまざまな草の葉が散らばり、長靴がよく滑る。
何度か体勢を崩しそうになりながら、汗をかいて、前回、里沙と採集した地点に到着した。 あの辺りで蛇が里沙を驚かせたなと思いだし、近づいてみると、すぐに奇妙な転石を発見した。それは、握り拳ほどのでい岩で、楕円形の片方が割れていて、そこに真っ黒の木の破片のような物体が見えた。ルーペを目に当ててみると、その2、3cmの長さの表面に縦の筋がたくさん入っていた。
信一は、これは植物片ではなく、恐竜の歯の化石の一部ではないかと考えた。そこで、ハンマーで割らずに新聞紙を取り出して、その石を丁寧に包んでリュックに入れた。
やっと見つかった、何かとんでもなく運の良いことが起こったような、わくわくする気持ちになった。
 菊川先生にまず写真を送ろう、そして里沙にも見せてやろうと思った。あのときの大蛇が教えてくれたような不思議な考えがよぎった。

 信一が自転車に乗り、家に向かった頃にはすっかり辺りは暗闇になっていた。
人家のない田んぼや畑が続く場所は、目の前が闇で、何も見えない。自転車のライトが照らす範囲が唯一の頼りで、遠くの外灯が暗い海原の灯台のように思える。
やっと家のある地区に入ってきた。バス通りもあり、車も時折通り、信一はさっきまでの緊張感がゆるみ、ほっとして自転車を漕ぐ力を緩めた。
 何軒かの民家が道沿いに続く辺りで自動販売機の光が見えた。その光は何度か点滅した。そこで信一の視界の左の隅に人影がちらっとかすめた。やや小柄で丸刈りの頭をした男の子に見えた。自転車で通り過ぎて、信一は思わずブレーキをかけた。そして振り返って自動販売機の辺りを見ると、さっきまでいた人物の姿はなかった。
 自転車で販売機の前まで戻り、辺りを見回したが、誰もいなかった。確かに少年の姿を見たのだが、暗くて見間違いをしたのかもしれない。そう自分に言い聞かせ、帰ろうとしてふと販売機の釣り銭の受け口を見ると、銀色に光る500円玉が1枚残っていた。
「匠か」
信一は心の中でつぶやいた。あいつ、何か伝えたいことがあったのか、俺に会いに来たのか。
 全身の毛が逆立つような感覚が信一を襲った。訳もなく涙があふれた。水鼻をすすって、ティッシュでぬぐった。ぬぐってもぬぐっても鼻が出た。
そうやってしばらく佇んでいた。
 信一はようやく気持ちが落ち着いて、500円玉を投入口に入れ、匠とよく飲んだコーヒーを1本買った。「おまえも飲んでくれよ」信一はコーヒーを半分、自動販売機の前の地面に流した。そして残りの半分をゆっくりとのどに流し込んだ。
「俺も会いたいよ」
また水鼻があふれてきた。ぬぐうこともせず、信一は自転車に乗り、家に向かった。

 信一が送った化石の写真を見た菊川先生はすぐに、恐竜の歯の化石だと知らせてきた。標本を詳しく調べたいというので、信一は採集した岩石を丁寧に梱包して菊川先生に送った。

 十一月の初め、菊川先生から信一に電話があった。
弾んだ声で、信一が送っていた標本を研究した成果をマスコミに発表する予定だが、信一の名前を出してよいかという内容だった。
信一はかまわないと返答し、その上で、匠の名前も一緒に発表してほしいと頼んだ。
先生は匠の両親に許可をもらってから発表すると約束してくれた。
 十二月上旬の新聞に菊川先生と恐竜の歯の化石の写真が大きく出てた。匠の名前と信一の名前も発見者として一緒に載っていた。信一はきっと匠も喜んでいるだろうと思った。
 すぐに記事を見たと言って里沙が電話をしてきた。喜んでくれた。信一の近況を訪ねた後、里沙は「来年、東京の大学に行くことになった」と言った。公募推薦を受け、その合格通知が届いたと言う。信一が「おめでとう」と言うと、里沙は、「ありがとう」と言った後、「東京で待ってるからね」と言って電話を切った。
 信一の頭の中で里沙の言葉が繰り返された。「東京で待つ」と言うことは、勉強して大学生になれと言うことか。匠が描いていた研究者になるという夢を自分も叶えてみるのも悪くない気がした。
まずは高校に行き直してみる、勉強を再開するのが先だ。菊川先生にも相談してみよう。
信一は久しぶりに気持ちが前向きになって、自転車であの自動販売機までコーヒーを買いに行くことにした。

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