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私はお金で価値を量ってるのか?

最近梅干し、梅酒、梅シロップと梅を使った手仕事の話題をよく目にします。

車で40分くらいの所に梅農園で梅狩りできるのを見つけ、行ってみたいような、どうしようかなぁと悩んでいてふと思ったんです。

「なぜ私は梅狩りに行きたいのか?」

私は季節を大切にする生活に憧れているし、最近「旬のものを食べる」というのがやっぱり身体に良いんじゃないかなと思ったのもあるし、先日行った美容院でいただいた「お義母さんが漬けた梅シロップで作った梅ジュース」がとてもおいしかったんですよ。

でも、くるまで40分走ってまで梅ジュースが作りたいのかと言うと、そういう訳でもない。

家でとれたブルーベリーを黒糖で漬け込んでブルーベリーシロップを今作っている所だし、フキだってジャガイモだって、庭でとれたものを食べているので「旬のものを食べる」も「季節を大切にする生活」もある程度は出来ている。

なんでそれで満足しないんだろう?って思うと、多分、私は「お金を支払う」ことで「そこに価値がある」と認識しているからなんだと思いました。

どちらかというと、お金で買った梅で漬けた梅シロップよりも、自分の庭でとれたブルーベリーで漬けたブルーベリーシロップの方が、自分にとっては価値が高いような気がするんですが、私の職人さんリスペクト癖が出て「プロが作ったお金を払う価値のある梅」の方が価値が高いと思ってしまうのだと思います。

「お金で買えないものこそ本当に価値がある」って言うじゃないですか。

あぁ、私はなんて心がさもしいんだろう!


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