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音楽大学に進学しなくても

ヤフーニュースにこんな記事が紹介されていました。

「すぐに意気投合しました」坂本龍一が語った
山下達郎・大滝詠一・細野晴臣・矢野顕子との「最初の出会い」

▼同記事から無断転載


70年代の中央線文化

考えてみると、当時は中央線沿線の町にいることが多かったですね。高円寺、阿佐ケ谷、吉祥寺、三鷹、国分寺。中央線沿線はフォークの中心地でしたが、その一方で、有機栽培の店とか、整体、ヨガ、合気道の情報なんかも集まっていた。国立で、日本のヒッピーである「部族」の人々に会ったり。部族の創始者である山尾三省さんには、屋𥔖島で、三省さんが亡くなる少し前にお会いしました。

70年代に入り、新左翼運動がつぶれてしばらくして、みんな新しい出口を探していたんだと思います。ヤマギシ会のようなものができたり、日本の環境運動が生まれたのもあのころかもしれない。そういうニューエイジ的な動きの中心になっていたのが、中央線沿線でしたよね。

ぼくもそういう動きに関心はあったけれど、政治に負けたからといって、じゃあ有機農法だとか部族だとか、そっちに行っちゃうのは負け犬だと思ったりもして、あまり近寄りませんでした。

いずれにしても、当時の中央線沿線には、音楽や、演劇や、そういう新しい運動や、いろいろなものがごちゃまぜになって混在していました。あのあたりには、今でもその名残がありますね。

山下達郎くん

そんなふうに人脈が広がってきたころ、山下達郎くんに出会いました。たしか荻窪ロフトで初めて会って、音楽関係の共通の友人もいて、親しくなりました。

山下くんの音楽は、ぼくが日比谷の野音などで聴いていたロックやブルースとはぜんぜん違うもので、とても驚きました。言ってみれば、ものすごく洗練されていて複雑なんです。ハーモニーも、リズムの組み合わせも、アレンジも。とくにハーモニーという面では、ぼくの音楽のルーツになっているドビュッシーやラヴェルなんかのフランス音楽とも通じるところがある。

こっちは一応音大に、実際にはほとんど行ってないですけど、まあとにかく行って、何年もかけて勉強したのに、ロックやらポップスやらをやっているやつが、どこでこんな高度なハーモニーを覚えたんだ、どういうことだ、と思いました。

それはもちろん独学で、耳と記憶で習得したわけです。山下くんの場合はアメリカン・ポップスから、音楽理論的なものの大半を吸収していたんだと思います。そして、そうやって身についたものが、理論的にも非常に正確なんですよ。彼がもし違う道を選んで、仮に現代音楽をやったりしていたら、かなり面白い作曲家になっていたんじゃないかと思います。

もちろん、複雑なハーモニーのことを突っ込んで話せる相手なんてお互いそういませんでしたから、2人はすぐに意気投合しました。山下くんのレコーディングに参加するようになってしばらくして、はっぴいえんどのヴォーカリストで、山下くんの師匠ともいうべき、大瀧詠一さんに紹介されました。

同じ言葉を持つ人たち

大瀧さんともすぐに仲良くなり、福生にある大瀧さんのスタジオ、というのはお風呂場なんですが、そこでレコーディングをしたのが、75年から76年にかけてのことです。そこに、細野晴臣さんが現れた。それが細野さんとの初対面でした。

このころにはもう、はっぴいえんどのことはぼくも知っていて、細野さんのソロ・アルバムも聴いていました。

細野さんと出会った時に感じたことは、山下くんの時とよく似ています。ぼくは細野さんの音楽を聴いて「この人は当然、ぼくが昔から聴いて影響を受けてきた、ドビュッシーやラヴェルやストラヴィンスキーのような音楽を全部わかった上で、こういう音楽をやっているんだろう」と思っていたんです。影響と思われる要素が、随所に見られましたから。でも、実際に会って訊いてみたら、そんなものはほとんど知らいという。たとえばラヴェルだったら、ボレロなら聴いたことがあるけど、という程度。

ぼくがやったようなやり方で、系統立てて勉強することで音楽の知識や感覚を身につけていくというのは、まあ簡単というか、わかりやすい。階段を登っていけばいいわけですから。でも細野さんは、そういう勉強をしてきたわけでもないのに、ちゃんとその核心をわがものにしている。いったいどうなっているのか、わかりませんでした。耳がいいとしか言いようがないわけですけれど。

矢野顕子との出会い

もう一人、同じような驚きを感じたのが矢野顕子さんです。彼女の音楽を聴いたときも、高度な理論を知った上でああいう音楽をやっているんだろうと思ったのに、訊いてみると、やっぱり理論なんて全然知らない。

つまり、ぼくが系統立ててつかんできた言語と、彼らが独学で得た言語というのは、ほとんど同じ言葉だったんです。勉強の仕方は違っていても。だから、ぼくらは出会ったときには、もう最初から、同じ言葉でしゃべることができた。これはすごいぞと思いました。

そして、だんだん確信を持って感じるようになったのは、ポップ・ミュージックというのは、相当おもしろい音楽なんだということです。

日本中から集めても500人いるかどうかというような聴衆を相手に、実験室で白衣を着て作っているような音楽を聴かせる、それが当時ぼくが持っていた現代音楽のイメージでした。それよりも、もっとたくさんの聴衆とコミュニケーションしながら作っていける、こっちの音楽の方が良い。

しかも、クラシックや現代音楽と比べて、レベルが低いわけではまったくない。むしろ、かなりレベルが高いんだと。ドビュッシーの弦楽四重奏曲はとてもすばらしい音楽だけど、あっちはすばらしくて、細野晴臣の音楽はそれには劣るのかというと、まったくそんなことはない。そんなすごい音楽を、ポップスというフィールドの中で作っているというのは、相当に面白いことなんだと、ぼくははっきりと感じるようになっていました


うーぬ、ヒジョーに面白いっ!
オイラはこーゆーインタビュー記事を読みたかったんだ!という内容で、とても興味深く拝読させていただきました。

言ってみれば、あまりに音楽が好きすぎて、自分でも真似してみようと楽器演奏を練習し、歌を歌い、録音する、といった試行錯誤を重ねるうちに、自分独自の方法論や音楽理論を構築したところ、結果的に音楽大学で修得する「実技」と同じレベルに達していた、というオハナシ。

本来、サブカルチャーであるはずのロック、ポップスの方法論が、アカデミックな教育の内容に共通していたなんて、なかなか痛快なエピソードではあーりませんか。

以前から、音楽番組の企画として「ロックバンドとオーケストラの共演」といったプログラムが存在しますが、オイラ的には「オーケストラのメンバーはロックの連中を「音楽理論がわからない素人」と見下しながら演奏しているのではないか?」との邪推を抱いていましたが、少なくともアカデミックな教育を受けた坂本龍一に関しては「見下していない」ことがよく理解できました。

果たして、ディープ・パープル等と共演したオーケストラの方々は「ロックな人たち」のことをどう思われていたのでしょーか。
気になりますねえ。

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▼参考リンク
BLUES和也のSoundCloud
GarageMihoのYouTubeチャンネル旧ブログ「だからPA屋なんですってば」のアーカイヴ
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