「ありがとう」なんて口が裂けても言わないけれど、いじめられた側でよかったよ
友達をつくるのが怖くなったのは、小学校高学年の頃だった。思春期の女の子たち特有ののドロドロしたものと、男子たちからのいじめ。運動音痴ゆえ体育の授業では毎回何かしらの悪口を浴びせられ、「ブス」と聞こえるように陰口を叩かれた日々。もちろん庇ったり否定したりして仲良くしてくれていた子たちはいたけれど、そのまま公立の中学校に進みたくないと親に頼み込んで私立中学を受験した。離れたかった。
「学校に行かない」という選択をしなかったのは、妹が1年生のときから不登校だったからだ。お姉ちゃんなんだから、と自分に言い聞かせていた。今思えば、姉だろうが何だろうが別に休んでもよかったのにね。
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中学生になった。最初はよかった。しかし、時が経つにつれいつの間にか「いじめ」が発生していた。ついていくために勉強に必死だったわたしは、全く気付いていなかったのだけど。ターゲットに選ばれてしま ったのは、運が悪すぎることに一泊二日の林間学校の1日目だった。逃げ場もなければ、隠れられる場所もなかった。もとの学校生活に戻ってしばらく経ってわたしへのいじめは終わったが、いじめっ子たちは飽きもせず次の標的となる人物を選んでいた。
わたしはその輪に加わらなかったし、傍観者になることもしなかった。一度やられてしまえばそれなりに対処法は分かっていたし、むしろ「今まであまり接点が持てなかった子と話せてラッキー!」と思っていた。矛先がまたこちらに向くことも勿論あったが、最初と違ったのは味方でいてくれた子たちがいたことだ。とても救われた。
中高一貫校だったが、外部の高校を受験した。これは経済的な理由によるものだったが、例え溢れるほどお金があったとしても同じ行動をとっただろう。この場所からもやはり離れたかった。
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「高校時代がいちばん楽しい!」とか「高校時代の友達は一生モノ!」なんていうけれど、周りとの関わりをシャットダウンして3年間を過ごした。クラスにひとり話せる子がいればそれでよかったくらいには、とにかく馴れ合うことを避け続けた。とてつもなく臆病者だったのだ、きっと。
学校帰りや休日に友達と遊ぶことはなかったとおもう。数少ない「友達」は、学校の中だけ。
勿体なかったな、とも思うけれど、その分勉強に充てたおかげで第1志望の大学に奇跡的に合格できたから結果オーライ。中退してしまったが、大学生の頃の人間関係はそれまでの自分では想像もつかないほど恵まれていた。だから、ここでは割愛する。
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いじめを苦にして未来を断つことを選ばなかったのは、強かったからではない。我慢強かったわけでも、周りのことを考えていたわけでもない。
「性格が悪かったから」だ。
(正確には、「性根が腐っていた」かもしれない。)
"目には目を歯に歯を"という言葉が好きだったから、違うやり方でボコボコに殴ってやろうという考えが原動力だった。
わたしの武器は「勉強」だった。やっかまれたことはあったが、「できる」ことに関してはは貶す対象にならないと知ってからより一層武器を磨いた。運動と容姿に関しては、どうしようもなかったので諦めた。
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いじめられてしまう側って基本的に優しいひとたちだと思うのね。わたしのように性格がねじ曲がっちゃうのはたぶん少数派。
「いじめを苦にした"自殺"」ではなく「殺人」だ。
わたしは、そう思う。繊細な優しさを持つ子たちを追い詰めて、それでも守られ庇われるいじめ加害者たちは本当に許せないどころの話ではない。
死ななければ許されるわけでもない。その先の人生において、いじめ被害の経験は大きな影響を及ぼす。15年以上経つが、わたしは未だに夢に見ることもある。うなされて目覚めて、悪夢の中でも現実でも涙を流していることもある。
大人になればいじめなんてなくなると思っていたが、そんなことはなかった。他者を攻撃し苦しめることがそんなに楽しいのかよほど暇なのかは知らないけれど、心の貧しさは八つ当たりでは決して満たされることはないでしょうよ。
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完全に消化できて忘れることができる日は、おそらく訪れることはないだろうと思う。今では少し小さくなった棘たちを抱えながら生きていかなければいけないのだ。
もし時間を巻き戻し選択することができても、やはり加害者や傍観者ではなく被害者を選ぶ。一生消えることのない傷を付けて回る人間でありたくはない。他人の痛みに鈍感で無頓着な人間になりたくもない。自分の苦しみから気付かされたこれらを失いたくない。
綺麗事かもしれないけれど。手を取り合うやさしさとその手の温かさを知っている人間になれたことは、良かったなと思う。辛さのほうが圧倒的に大きいけれども、人として大切なことを手に入れることができたから。
「学んだ」とは言いたくないから「気付けた」か「知ることができた」と表現したい。
もちろん、だからといって「いじめ」を肯定する気は全くないけれどね。
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