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ありがとうの前には

何か挑戦したいとき、本当にできるかなとか思って、不安になる。その時に他人の長所をたくさん見つけて、楽しさもたくさん見つけてるくせに、

できない理由を作って、ごめんなさいを作り出す。否定を作り出す。

だけど、それだけ否定を生み出して、できないを作るってのは、ありがとうがどこかにあるからで、でもやっぱり怖さもあるから。

だから、感謝の言葉は、長々と話せない。だから一言、数分で、ありがとうを言い切る自信はない。

だからやっぱりちょっとは否定が入ってしまう。

でも、それって、良い風に考えてるんじゃないかな?

良い風に変わりたいから、やっぱりできない部分に目がいって、自分を否定してしまう。

以前、社会福祉士が利用者に関わる時に良い風に変わると思って支援することは大切だと教わった。

だけど、その中にはできないんじゃないかとか、自身の力だけではできないんじゃないかって思う気持ち入ってると思う。

だけど、その中にはありがとうの気持ちもちゃんと入っていて、それが相手に伝わるから変な力が働いてきた。

ありがとうって、懸命に何かをやってる時に生まれることもあるから、だから否定も入ってしまう。

だけど、だから人間らしいのではないかと思う。

良い風に変わるって考えて利用者と関わるってのさ、人間らしい関わりだと改めて思った。

だから、否定しても、それが必ずしも間違いじゃないし、必要以上に自分を責める必要もないと思った。

ありがとうの前には否定があるのかもしれない。

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