その仕事を続けられる理由は何ですか?
気がつけば、随分たくさんの人を取材してきた。
今月に入ってからも、すでに名古屋、神奈川、佐賀と出張取材に行き、メーカーや酒蔵、飲食店の社長さんたちに話を聞いた。
今月取材した人たちはなぜかみんな「おしゃべり」で、毎回インタビューに3時間以上かかった。これを一体どうやって記事にまとめたらよいものやらと、今は頭を抱えている。
長時間話を聞いた人のことは年月が経っても記憶に残るが、短い取材でも深く印象に残っている人もいる。
今でもよく思い出すのは、20年以上前、関東一円にチェーン店を展開する某企業の社内報を制作していた時のことだ。
その企業が創業50周年を迎えるため、入社第一号社員から順番に在籍している社員たち(その多くがすでに役員クラス)に当時の思い出話を聞いていき、それを連載で社内報に掲載することになった。
第一号社員の方は、中学を出てすぐに田舎から集団就職のような形で東京へ出てきて、その会社に入社したとのこと。だから取材当時で65歳くらいだったと思う。すでに定年を迎えて、契約で店舗に入っていたと記憶する。
戦後まだ間もない頃の集団就職、子供同然だったその人が東京でどうやって商いの知識をつけていったのか。その当時からお世話になった、今は亡き会長がどれほど素晴らしい人だったのか。決して楽しいことばかりではない50年という年月……。
興味深い話をいろいろと聞いた後、私はずっと気になっていたことを尋ねてみた。
「どうして50年もこの仕事を続けてこられたんですか?」
すると、その方は静かにこう言われた。
「それは、この仕事を愛していたからでしょうね」
そして、話をする時に見せてくださっていた会長の写真が入れられた額を、布で優しく丁寧に拭いて戸棚にしまわれた。
その動作がなんとも清らかで愛情深く、私の目に焼き付いた。
あの時、私はまだ20代。帰りの電車の中でなんだかとても興奮していた。なんだかものすごく貴重な話を聞かせてもらった気がしていたからだ。
生きていくためにはお金を稼がなければならない。それが「はたらく」ということだ。第一号社員の方も、戦後生きるために、生活のためにはたらき始めたのは確かだ。ただ、その仕事を愛することができたなら、人は50年でも同じ仕事を飽きることなく誇りを持って続けることができるのだ。
背筋の伸びた凛とした姿、優しく穏やかな話し方から、常に愛を持って仕事をしてきたその人の生き様を垣間見たような気がした。
50年同じ仕事を続けた人の言葉は重く、こんな小娘が、こんな素晴らしい話を聞かせていただいていいのだろうかと恐縮する一方で、とても幸せな気持ちだった。
また、果たして自分は50年もの間、ライターという仕事を続けることができるだろうかとも考えた。
スタートが遅いから50年は無理かもしれないが、せめてあの人と同じように65歳まで続けられたとしたら――。
その時、誰かに今日私がしたのと同じ質問をぶつけられたら、絶対にこう答えられるようになっていたいと思った。
「この仕事を愛していたからでしょうね」と。
少なくとも今は、この仕事が大好きだ。
もしライターという職業に就いていなければ、自分の人生で決して交わることのなかった人に出会い、その人の想いや生き様をほんの少しだけだが垣間見ることができるのだから。それはとても幸せなことのように思える。
もちろん、難しい内容の時は、いざ原稿を書こうと思っても、真っ白なwordの画面を前にして「今度こそはもう書けないんじゃないか」と恐怖に震えることもあるのだけれど。
書くのは孤独だ。
誰も助けてくれないから。
自分が書かなければ、1文字も、1文も生まれない。
原稿がたまってくると逃げ出したくなることもあるけれど、それでもやっぱり私は、誰かの想いを、生き様を、真摯に聞いて書いていきたい。
それが私の「仕事」であり、「はたらく」ということだ。
あの第一号社員の方の凛とした立ち姿や言葉は、20年以上経った今でも私の心に深く刻まれている。
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