「日本一小さな酒蔵」が目指すもの
その酒蔵のことは随分前から知っていた。わかりやすく、一度聞いたら忘れられないキャッチコピーがあったからだ。
「日本一小さな酒蔵」
どれくらい小さいかといえば、存在を知った当時はまだ20石か30石か、それくらいだったと記憶する。
そんな小さな酒蔵なのに、全国の地酒専門店で扱われ、数が少ないために一般人の入手は困難。販売は「抽選」というところばかり。
私自身も個人で購入したことはなく、飲食店で偶然出会って一度は飲んだことがある……というくらいだった。希少価値でいえば、「まぼろしの酒」のようなものだった。
その銘柄は「射美(いび)」という。
岐阜県にある杉原酒造という酒蔵が造っている。
そんなわけで、昨年11月の終わりに杉原酒造へ取材に行くことが決まった時には、いつも以上に胸躍った。
だって……、絶対おもしろいやん!
しかし、実際に行ってみると、その予想は甘かったことに気づく。
想像の何倍もおもしろい酒蔵だったのだ。
まず、入口の看板を見て一気にテンションが上がった。
「Ibi Road」の文字と、一列に並んで歩く4人のシルエット。
イビロード?
完全にビートルズの「Abbey Road」のパクリ……、いや、パロディやん!
今風に言えば、オマージュか(笑)
なんだかもう、この発想とセンス、そして看板としての完成度の高さに感激してしまった。一体だれが描いたのだろう。
見惚れていると、男性が近づいてきた。どうやら蔵元の杉原さんらしい。
「どうぞどうぞ」と奥へ案内された。
いろいろ聞きたいことはあったが、挨拶だけしてついていくと、建物が見えてきた。
杉玉が吊るされているし、あれが酒蔵だろう。ん?でもちょっと待てよ。なんか横に立ってる……。
近づいてそれが何か理解し、さらに驚いた。
トーテムポールやん!!
世界広しといえど、酒蔵の杉玉の両脇にトーテムポールを立てているのは、ここしかないだろう。
笑ったり、びっくりしたりで忙しい私たち取材陣に、杉原さんは何でもないことのようにこう言った。
「これ、蔵の梁だったんですよ。タンクの上にあって邪魔になったんで切って、僕が彫りました」
「これを?トーテムポールを彫ったんですか?」
「はい」
こんな変わったことをしているのだから、もっと自慢げというか、「やったったでー!」みたいなテンションで話してもいいと思うのだが、本当に何でもないことのように淡々と話すのが、また面白かった。
こうなると、もう私のわくわくは止まらない。
この蔵は大きなおもちゃ箱みたいに何が入っているかわからないし、掘ったら掘っただけどんどん宝物が出てくるはず。そんな期待に胸が膨らんだ。
そして、その期待は裏切られることはなかった。
まず、やたらと手造りのものが多い。それも小物じゃない。「この部屋は僕が造りました」とか平気で言うのだ。DIYの域を完全に超えていて、それはもう大工の仕事だ。天井、壁、電気配線まですべて自作というのだから驚く。
メインの麹室のほかに、白麹専用の小さな麹室もあったのだが、それも自作だった。杉板を張り巡らしたプロの仕事。この人は一体何者なんだろう。
また、蔵の至るところに、額に入れた本格的な絵画が飾ってある。すべて杉原さんが趣味で描いたものだという。どれもテーマがしっかりしていて、個性的な絵だった。いろいろ賞もとっているらしいが、特に絵を習ったことはないという。
蔵の仕事を継ぐ前は、海外青年協力隊としてミクロネシア連邦で水産系の仕事をしていたという経歴を聞き、ますます謎の人になった。
もう一つ面白かったのは、「完成したばかり」だという「加工場」だ。敷地内にある建物で、そこも杉原さんが手造りしたという。
中には冷蔵庫やオーブンはもちろん、餃子や回転焼き機、かき氷、スムージーの機械まである。こんな酒蔵、見たことない!
何を「加工」するかといえば、酒粕や米粉だ。
実は、杉原酒造で使っている酒米は、自社のオリジナルで「揖斐の誉(いびのほまれ)」という。杉原さんは蔵を継いだ時、「とことん地元にこだわった酒造りをしたい」と考え、米の品種交配者、米を栽培する農家さんを地元で探し、チームを組んで新しい酒米を開発したのだ。
ここで最初の「Ibi Road」の看板の意味が明かされる。
あの4人のシルエットにはちゃんと意味があったのだ。
先頭を歩くのが、櫂棒を持っている杉原さん、2番目と3番目が米農家さん、最後が品種交配者の高橋さん。そんな説明を聞き、改めてこの看板を見てみると、ここには杉原酒造の想いが凝縮されているんだなと、そう思えた。
契約栽培なので、収穫した酒米はすべて杉原さんが買い取る。
「虫が食ったようなのもすべて米粉にして買い取るんです」
その言葉を聞いて、なぜ加工場が必要なのか理解できた。
そして、酒造りの様子を見させてもらい、長時間にわたり話を聞いていくうちに、私の中で一つの結論が出た。
この人は、杉原酒造に関わる人たちが「少しでも良くなるように」という気持ちでお酒造りをしているのだ、と。
そして、いつだって「主役は飲む人」なのだ、と。
酒米はその年の出来に関わらず、岐阜県産の酒造好適米で一番高値をつけて買い取る。
「射美」を取り扱いたい酒販店があれば、店舗の大きさに関わらず、店の心構えや人柄で取引を決める。小さな酒屋ならむしろ「射美を宣伝代わりに使ってほしい」と応援する。
四合瓶で売ったほうが儲かるが、一升瓶をやめないのは、飲食店が取り扱いやすいからだ。
それから、酒粕。
お酒を搾るときに、「ヤブタ」と呼ばれる自動圧搾機ではなく、昔ながらの「槽(ふね)」を使うので、とてもやわらかくておいしい酒粕が残る。
ただし、搾るのは手間がかかる。
発酵したお酒の「醪(もろみ)」を少しずつ小さな袋に詰め、それを槽の中に敷き詰めていき、自重もしくは上からの圧で少しずつ時間をかけて搾るやり方だ。1タンクのお酒を搾るのに300袋も作らなくてはならない。
搾った後、一つ一つの袋から酒粕を取り出していくのも、袋をきれいに洗浄するのも大変だ。
「槽搾りは大変だと思うんですけど、ヤブタにしないんですか?」と私が尋ねると、杉原さんは「うちの酒粕を楽しみにしてくれている人がいるので」と言った。そういう理由で、しなくていい手間暇をかけてしまう人なのだった。
「うちはアルバイトも含めて全員で英語を勉強しているんです」
そんな話もしてくれた。
経費で揃えた教材を使って各自で勉強しているのだという。
今も8カ国に輸出しているのだが、次はアメリカに輸出したいと決めていて、「みんなで行って英語で交渉したい」と楽し気に言う。
「アルバイトの子まで勉強させるって、酒蔵がやることじゃないけど、うちにとってもメリットだし、その子が大学を卒業した後は、その子にとって役立つと思うんです」
それを聞いたとき、自分がさっき出した結論は間違っていなかったと思った。
やっぱりこの人は、杉原酒造に関わる人たちが「少しでも良くなるように」という気持ちでお酒造りをしているんだ。
そう思うと、この日聞いた話のすべてがつながって、私の中で記事の文章が立ち上がってきた。こういう瞬間が一番ぞくぞくする。
そして、いつまでも「日本一小さな酒蔵」であり続ける理由もわかった。
あえて増やそうとしていないのだ。それは、「100石以下でちゃんと食べていける酒蔵のモデルを構築したいから」だという。
今、というか、もうここ何年もずっと日本酒業界はがけっぷちにいる。
国内の清酒消費量は減る一方で、全国の小さな酒蔵は廃業するしかないという状況だ。
よく「酒蔵が自社で造って食べていける最低ラインは300石」だという。それくらい造って売っていれば、社員とパートさんくらいは雇って、家族がなんとかやっていけるだろうという基準だ。
だが、これからますます消費量が減っていくなか、300石などと言っていられないと杉原さんは言う。
まずは杉原酒造が100石以下でやっていけるというロールモデルになる。そうすれば、同じように100石以下でも廃業することなく、酒造りを続けていける酒蔵が出てくるのではないか――。そんなふうに話してくれた。
話を聞きながら、それは夢ではないと思えた。
きっと数年後、杉原酒造は小さな酒蔵の見本となる。
なんだかとても楽しく、人の生き様をしっかりと見せてもらえた取材だった。杉原さんとはLINE交換もした。
帰って記事を書くとき、自分が感じたことが「正解」なのかどうか不安だったが、自分を信じて書いた。
結果的に、とても良い評価をいただけた。その話はここで書いた。
さらに、本誌が発行された後、杉原さんからLINEでこんなメッセージをいただいた。
「写真はもちろん、内容がすごく伝わるようで、東京の国税庁の知り合いからもとても良い文章だと連絡きました。本当にありがとうございました」
「品種交配者の高橋さんも文章絶賛していましたよ。これからも素敵な取材続けてください」
こちらそありがとうございました!
これからも「射美」の一ファンとして、杉原酒造の活躍を見守っていきたい。
▼記事が掲載されている「酒蔵萬流」についてはこちら
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