書くことがすべてだった、四半世紀のライター人生を振り返る。
noteを読んでいると、「ライター」や「webライター」と名乗っている人や、「ライター志望」「ライターになりたくて勉強中」という人をよく見かける。私自身がライターだから、そういう記事が「おすすめ」に上がってくるからかもしれない。
見かけると、やはりどういうお仕事をされているのかな、どういう考えやスタンスでライターをやっているのかな、と興味が湧き、ちらちらと見てしまう。仕事や夢に向き合う姿勢が素敵だなと感じれば、こちらからフォローもさせてもらっている。
どちらかといえば、20代や30代の若い方が多いなと感じる。四半世紀以上前の自分自身を重ね合わせ、応援したい気持ちがじんわりと高まる。
今は文章、写真、絵、音楽、動画、ラジオまで自分で発信できる時代だが、私がライターを始めた頃はまだインターネットが普及し始めたばかりだったし、もちろんSNSなんてものもなかったから、発信したくてもその手段がなかった。
「文章を書きたい。書いたものを広く読んでもらいたい」と思えば、それは紙に印刷した活字にしてもらうしか方法がなかった。そしてその「活字にしてもらえる人」は、プロとして書く仕事をする人だけだった。
紙の媒体なんて数は知れているから、プロのライターとしてやっていくことは難しく、特に関西のライターにとっては狭き門だった。(9割以上の出版社が東京に集中しているため)
でも、書きたかった。
書きたい、書きたい、書きたい。
ただそれだけで、必死に食らいついてやってきた。
「書きたい」という情熱と「人の縁」、それだけでこれまでなんとかライターとしてやってこられたのだと思う。
以前、こんな記事を書いた。たぶんスキを一番たくさんいただいた記事。
この記事のライター駆け出しの頃から四半世紀が過ぎた。
気づけば随分長く走り続けてきたものだ。
でも、最近は体調を崩したことを機に、がむしゃらに走り続けるのではなく、静謐な暮らしの中でマイペースに仕事をしていくことに決めた。
まだ引退するわけではないが、私のライター人生も一段落。
ということで、今日は自分のライター人生を振り返ってみたいと思う。
■私がライターとして大切にしていること
これはもう、すぐに出てくる。「チームワーク」だ。
ライターというと一人でやる仕事のように思うかもしれないが、実際には編集者やディレクター、デザイナー、カメラマンなど、自分の書いたものがカタチになるまでには、必ず誰かの手が関わっている。
だから、常にチームが動きやすいように考えて行動する。
取材のときはカメラマンさんが動きやすいように、またあまり待たせすぎないように。
書くときは編集者の手を煩わせないように、誤字脱字、表記ゆれなどがないよう“きれいな原稿”を目指す。
また、「自分の締切」ではなく、「制作物の締切」を念頭に、自分の原稿を待っている編集者やデザイナー、最終確認するクライアントのことを考えて動く。
お酒造りでも、杜氏さんに「大切にしていること」を聞けば、「チームワーク」だと答える人が多い。ものづくりというのは、そういうものだと思う。良いものをつくりたければ、一緒にやってくれているメンバーが気持ちよく働けるように自分も努力することが大切だと思っている。
■ライターに必要だと思うスキル
おそらく「文章力」だと思っている人が多いと思うが、私はそうは思わない。ライターにとって一番必要なのは「構成力」だと思う。
取材したこと、調べたことをどうやって決められた文字数に落とし込むのか。実はそれが一番大事なことだと思っている。
10あるネタのうち2しか入らないとしたら、何を選ぶのか。2を選んで8は捨てたほうがいいのか、1を主体として残りの9から少しずつ必要なことを拾った方がいいのかなど、読ませる文章になるかどうかは構成力で決まるといっても過言ではない。
取材原稿のときは、取材している最中に頭の中で構成していくことも大事だ。逆にそうでないと、取材の終わりが見つからない。
■ライターになってよかったこと
まずは「人との出会い」。
15分程度の短いコメントをとるようなものも含めたら、おそらく私は3000人以上は取材をしているのだが(数えたことはないが、ざっと考えてみると)、いろんな人のおもいを聞くのは本当におもしろい。
この仕事をしていなかったら、顔を合わせることもなかったはずの人に、初対面で根掘り葉掘りいろんなことを聞いて、その人のおもいを文章という形にできる。ほんの少し垣間見るだけではあるけれど、感動したり勉強になったり、いろんなことを感じさせてもらえた。本当にありがたい。
もうひとつは「世の中のいろんなものが輝いて見えるようになったこと」。
たとえば、ビール6缶のパック。あのパックを造るための機械に使う金型を造る企業を取材したり。たとえば、お酒のワンカップの白いシリコンみたいなフタ。あれを造っている企業を取材したり。
1本のねじ、バネなども、自分が何気なく使っているものはすべて「誰かの手」でできている。そして、それを造るための「機械」や「金型」を造っている人もいるし、工場で実際に商品を造っている人もいれば、生産管理している人もいるし、出来上がった商品を運ぶ流通関係の人もいる。もちろん、店頭に立って売る人も。その販売員さんが使う袋ひとつ、レジのシステムだって、全部「誰かの手」でできている。
数えきれないほどの企業を取材させてもらい、そのことを知るたびに感動した。世の中のいろいろなものが「誰かの手」でできていると思うと、すべてが輝いて見えるようになった。必要ない仕事なんてこの世の中にないというのは真実だ。全部尊い。
それを実際に働いている人の話を聞いて、実感できたこと。それが本当に良かった。かけがえのない私の財産だと思う。
■ライティングのときにこだわっていること
20年以上言い続けているのだが、私のモットーは「読みやすい、わかりやすい、飾らない」文章を書くこと。
せっかく書いても伝わらないと意味がないから、できるだけ言葉を飾らず、難しい言葉を使わず、ややこしい表現を避けて書く。文章を読むのが少し苦手、という人も抵抗なく読み進められるように。リズムも大切にする。
そして、内容は客観的かつドラマチックに。”自分”は出さない(私はこう思いました、みたいなことは書かない)で、いかにストーリーだけでドラマを作れるか。そこにこだわっている。
もうひとつ、これはものすごくアナログな古い表現になるけれど、「原稿用紙のマス目を埋めていくような書き方はしない。消しゴムで書く」。
ライターになる前、元新聞記者の方に聞いたことだ。400字の原稿なら、それを埋めていくのではなく、4000字の文章を書いて必要のないものを消しゴムで消していく、そうして残ったものが本当に良い原稿だと。実際に4000字を書くわけではないけれど。
つまり、1必要なとき、1だけのネタで埋めたような原稿は薄っぺらになる。10のネタを集めて、泣く泣く9を削って1残す。その残った1は削られた9に支えられているから、同じ1でも厚みが違う。そういう意味だ。これはずっと意識している。
■スキルアップのために心がけていること
・プロの文章を読む
⇒紙でもwebでもいいのだが、雑誌や小説など、とにかくプロの書いた文章をたくさん読むこと。今の時代、どうしてもSNSで一般人の方の文章を目にすることが多いが、やはり「餅は餅屋」。プロの優れた文章を読むことは大事だと思っている。(若い頃は好きな作家の文章を写したり、好きな表現や使ったことのない言葉を見つけては書き出したりしていた)
・意味をすぐ調べる
⇒少しでも言葉の意味があやふやなものは、辞書(webも含めて)で調べる。言葉が好きで、言葉を扱う仕事をさせてもらっているのだから、言葉を大事にしたいのだ。文章が上手な人は、「言葉の居場所を知っている人」=「言葉の意味を的確にとらえている人」だと私は思っている。これ以上ないというぴったりした表現で、ちゃんと意味通りに使われていると、読み進めるのがラクだ。
・noteも本気で書く
⇒本当は、ゆるく楽しく書くのが一番いいと思うが、スキルアップしたいのなら、noteは良い修業の場だとも思う。「みなさん、こんにちは~。○○ですよね?」のような語りかけだと書くのもラクだが、私はできるだけ「エッセイ」や「作品」として成り立つように書いている。これが記事を書く練習になるのだ。(練習といっても書くことが楽しいということが大前提で!)
さて、今日は自分のライター人生を振り返ってみた。
こうやって自分の考えをまとめてみるのはなかなか良いものだ。振り返っていろいろ思い出していると、やっぱりライターという仕事がとても好きだと感じる。
私は今ライターを目指している人たちがとても羨ましい。自由に発信できる場があって、webという無限に書ける媒体があって。
チャンスは私のときと比べ物にならないほどたくさん転がっている。がんばって手を伸ばせばつかむことができる。
だから、もし、「書きたい」という情熱があるのなら、がんばってほしいなと思う。「なんとなく私にもできそう」とか「副業で」という軽い気持ちなら別だが、書きたくて書きたくて、書いていればそれだけで幸せで、自分自身が言葉や本に救われてきたから、今度は自分の書いたものが誰かの暗い足元を照らす光になれたらと、そんなことをおもうだけで涙が出そうになるくらい書くことが好きなら、絶対にあきらめないでほしい。
だって、やっぱり「書く仕事」って楽しいから。そんな情熱だけで四半世紀も書くことだけでごはんを食べてきた人間もここにいるから。
もしそれが代わりのきかない「夢」なら、絶対にその手でつかんでほしい。
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