さすがにヤカンに12万円は出せないよ、という話
1997年、26歳の時に家を出た。
初めての一人暮らし。大阪市内の1DKのマンションが自分の城になった。
その時に、ずっと欲しくて眺めていた器や調理道具を数十万円使って買い揃えた。
柳宗悦の「用の美」という言葉が好きだ。
物は生活の中で使われてこそ美しい。暮らしの中で用いられ、育まれていく物の美しさを説いた言葉だ。
私は自分が心豊かに暮らすために必要な物たちを1つ1つ集めては、そばに置いた。
いわゆる「ヤカン」も家に1つはなくてはならないが、どれを買うかはもう決まっていた。
今となってはどうやって知ったのか、何を見て決めたのかは覚えていない。
その頃は紅茶マニアだったので、おそらく紅茶関連の本を読んでいる時に見つけたのだと思う。
イギリスのシンプレックスという伝統のあるブランドで、職人が一点ずつ手作りしているという銅製のケトルだ。
これがどうしても欲しくて仕方なく、一人暮らしをすることになると、まず手に入れた。
当時、これは紅茶マニアの憧れのケトルと言われていた。
質の良い銅製でそのフォルムは美しく、機能性にも優れていた。注ぎやすさはもちろん、底の電熱コイルによりお湯が早く沸く。
沸くとピーッという高い音が鳴るのだ。
詳しくは下に貼り付けた。
同シリーズにはシルバー製や電熱コイルのないものもあったが、私はこの銅製でコイルのあるものを選んだ。
確か19,000円くらいだったと記憶する。
当時、おしゃれな輸入調理雑貨ばかり扱う店があり、そこで購入した。
紅茶を淹れるたびに、お湯を沸かすたびに、優雅で豊かな気持ちになれるのだ。私は心からこのケトルを愛していた。
銅製なので手入れがやっかいで、すぐに色が変わってしまうのが残念だったが、それもまた「味」だと思うようにした。
もちろん時々磨いたが、10年、20年と時は流れ、さすがに当時の輝きは失われてしまった。
この9月で丸27年使ったことになる。特にこの2年間はハードに使用した。
お酒が飲めなくなって、また紅茶熱が上がったことと、真夏でも湯たんぽがないと暮らせなかったこととで、とにかく一日中、何度もお湯を沸かしていたからだ。
そのためか、ついに底の電熱コイルが真っ黒になって焼き切れた。
コンロに置くとガタガタするし、燃えるコイルの切れ端が落ちることもあるので危ない。
実はこれまでも、コイルが欠けるたびに手放そうとしては、思い直していた。
ガタガタしても何とかお湯は沸く。まだ使えると自分に言い聞かせて使い続けてきた。
人にとっては、たかがヤカンかもしれないが、私にとっては一人暮らしをした時からの相棒だ。四半世紀を共に生きたのだ。
憧れて手にした時の高揚感を今でもはっきりと思い出せる。これ以外のケトルを使う気にはなれなかった。
数年前、「そうだ、じゃあ同じものを買い直そう!」と思い、調べたこともあった。
どうやら今は製造を再開しているようだが、調べた時はメーカーが製造を中止し、入手が困難になっていた。
ネットで調べると、なんと5〜6万円!!
希少価値が出て価格が高騰したのだ。
さすがに買えないなぁとあきらめ、ごまかしながら使い続けていた。
でも、ここまでコイルが焼き切れてしまうと、もう無理だ。半分近く欠けてしまったし、何より危ない。
今となってはなぜあの調べた時に買っておかなかったのかと悔やまれる。
ごまかしもきかなくなった今、「5万円でも買おう」と覚悟を決めてもう一度調べてみたら、なんとなんと、12万円になっているではないか!
いやいやいやいや~、12万円はないでしょ!!
でも、ガン保険が降りたし、そのお金で買うか?とも考えた。
また27年使えるのだ。つまりおそらく死ぬまで買い換えることはない。
「最後のケトル」、そう思えば買ってもいいんじゃないか?とも思った。
でもやっぱり買えなかった。
それはお金がないわけでもないし、「ヤカンごときに12万円が惜しい」わけでもない。
もともと19,000円で買ったものが、12万円になっている、ということに納得がいかないのだ。
最初から「12万円もする憧れのケトル」なのだったら、清水の舞台から飛び降りたつもりで買っていたかもしれない。
今、為替や物流コストの値上げなどもあって、輸入するから高くなっていることもあるので、いつかイギリスに行って現地で買えば、もう少し安く買えるのかもしれない。
でも、いつ行く?まったくそんな予定はない。
誰かイギリス行って買ってきてー!と言いたいが、たとえ知り合いでイギリスに行く人がいたとしても、こんな大きなものをお土産で買ってきてとは、申し訳なくて言えない。(そもそもそんな知り合いもいない)
というわけで、先日、私はいったんシンプレックスのケトルを泣く泣くあきらめたのだった。
しかし、ケトルなしではお湯を沸かせないので何か別のものを買おうと思い、Amazonで調べてみると、似たような製品がズラリと出てきた。
これなんか、電熱コイルは入っていないが、銅製だし形はそっくり!
そして、いろいろ悩んで、見比べて、クチコミも読んで、結果的に買ったのがこれだ。
日本製だし、値段も10,000円を切るくらいだった。
なんとか代わりを務めてくれるかなと期待した。
実際届いてみると、ピカピカ!
新品の銅の輝きを久しぶりに見て、それだけでテンションが上がった。
夫も「もともとこんな色やったんやなぁ」とシンプレックスのくすんだケトルと見比べて感動している。
丸い形も可愛らしいし、やっと私の気持ちも新入りに傾き始めた。
だが、お湯を沸かしてみてがっかりした。
このケトルが悪いわけではない。シンプレックスが良すぎるのだ!!
使い比べてみたからこそ、そのことを改めて実感した。
⚫︎音が鳴らないのでいつ沸いたかわからない。
⚫︎持ち手が熱くなり素手で持てない。
⚫︎注ぐ時に傾けすぎると蓋が落ちる。
それだけのことだが、毎日何度も使うので気になるのだ。
逆に、シンプレックスの機能の素晴らしさを改めて感じた。
さすが英国王室御用達!伝統の職人の手作り!
やっぱり最高のケトルだった。たぶん世界一だ。
あのケトルがあるだけで、27年間の生活がどれほど豊かだったか、今さら気づかされた。
私が求めていた「用の美」がそこにはあった。
毎日新入りを使えば使うほど、シンプレックスが恋しくなる。
12万円か……、もう思い切っていったろか?!
いやいや、でもなぁ……と、毎日悩んでいる。
私は優柔不断なところがまったくないし、物を買う時にあまり悩まないので、こんなことは珍しい。それが結構なストレスになっている。
日本のどこかの店に埋もれていて、安く買えないだろうか?とも考え始めた。
昔、サンビームのポップアップトースターがほしくて、ずっと探していたことがあった。
雑誌で見たのだと思うが、丸いレトロなフォルムが可愛くて一目惚れした。
パンが焼けるとポンと飛び出す「ポップアップ」は、私にとってノスタルジーでもあった。子どもの頃の幸せな時期にポップアップだったからだろう。(サンビームではなかったが)
そんなわけで、トースターを買うならこれと決めていたから、一人暮らしの間もずっとトースターがなかった。
ある時、栃木の友達から電話がかかってきて、「探してたの、これちゃう?」と。雑貨屋にいて見つけたとのことだった。
すぐに確保してもらって、送ってもらった。あの時はうれしかったなぁ。
こちらは今でも現役だ。
あの時のように、ケトルもどこかに当時の定価のままで埋もれていないだろうか。(見つけたらご一報を)
そんな薄い希望にもすがりたいほど求めている。
たかがケトル、されどケトル。
私にとって、生活における心の豊かさは、こんなことでも決まってしまうのだ。
今はお湯を沸かすたびに、ため息をついている。
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