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暮らしを豊かにしてくれる、美しいガラスたち

ガラスのような人工的な工芸品に「美」はあるのか。
その答えを追求し、「美」があることを自らの作品で証明したのが、ガラス作家の舩木倭帆氏だ。
島根県出身。父・兄ともに陶芸家で、舩木家には民藝運動で知られる濱田庄司やバーナード・リーチが度々来訪していたという。
だからこそ、ガラス工芸の道に進んでも、「用の美」を掲げていた民藝運動家と同じように「器は日常で使われて初めて器になる」と考え、日々の暮らしのためのガラス器をつくり続けたのだろう。

私が初めて舩木倭帆氏のガラスを目にしたのは、高校生くらいだったと思う。器好きの母が少しずつお金を貯めては買い求めていた。
母はアクセサリーなど貴金属1つ身につけない人だったが、器にだけはお金を惜しまず、民藝の流れを汲む作家たちのものを使っていた。
私は子供の頃からそんな器で食事をしてきたものだから、いつの間にかすっかり目が肥えてしまい、同じように良い器を求めるようになってしまった。

舩木氏のガラスは、これまで見てきたどんなガラスとも違った。
色、形、すべてが斬新で美しく、芸術だった。実際、美術館で展示会が開催されるようなガラス作家だ。

私が持っているものをいくつか載せてみる。ガラスは撮影が難しいので、この10倍くらいは実物のほうが素敵だけど……。

直径30センチほどの大皿
手前の器はナッツなどおつまみを入れると映える。

ビールグラス
350ml缶がちょうど分けられる

舩木氏はこれらをすべて「宙吹き」の手法で作る。型などは使用しない。手作りなので大量生産はできない。取り扱っているお店か、個展でしか手に入らなかった。
そして、2013年に亡くなってしまった今となっては、もう取り扱いのあるお店でわずかに残っているものを探すしかなくなってしまった。

舩木氏は著書の中でこう書いている。

要するに、私の仕事は加工され過ぎた現代の生活に対する1つの提案である。本当の豊かさは物質だけでは得られない。心豊かに精神的な充実がみたされてこそ真の幸せはあると思う。人のため、より豊かな生活のため奉仕する工芸、それが私の仕事の本質であり、国展工芸の真髄だと思う。

確かに、舩木氏の仕事は、私の暮らしを豊かにしてくれた。
本当に素晴らしい工芸家だったと思う。

もうガラス器はたくさん持っているので、これ以上買うこともないかなと思っていた。
そうしたら、少し前の話になるが、舩木氏のお弟子さんである松村学氏の展示会があった。馴染みの店から展示会案内のハガキが来たのでインスタを覗いてみると、一目で心奪われてしまうガラス皿があった。

これだ。
青がなんとも美しく、どうしても欲しくなり、久しぶりにその店まで足を運んだ。実物は写真以上だった。

直径20センチ程度の平皿
2枚購入した

他の展示品も見てまわったが、やはりお弟子さんだけあって舩木氏の作風に似ている。似ているけれど、独自のセンスがあって、感性に響くようなものがたくさんあった。

中でも、ある花器に一目惚れ。
こういう時は「ああ、出会ってしまった!」と思う。もう運命だ。おうちに連れて帰るしかない。
誰にも取られないようすぐ確保して、抱えたままで見てまわった。

高さ15センチ程度の小さな花器
花を活けても活けなくても美しい

上の2つを購入し、ホクホクしながら家に帰った。
ゆっくりガラス作品を見るのも久しぶりで、本当に心洗われるような空間だった。
たまにはこういう場所に来ないとダメだなぁと思う。

先週、これも久しぶりに、友人が2人我が家に来ることになり、夫と4人で軽く「家飲み会」をした。
頑張って料理して迎えた。
季節柄、ガラスの器をたくさん活躍させてみた。
やっぱり、器は暮らしの中で使われてこそ、その力を発揮してくれる。

ローストビーフだけは買ってきた
サーモンとクリームチーズのマリネ
やっぱりこの器、映える!!
あ~、買ってよかった!
こちらは舩木氏のガラス皿
カプレーゼ風サラダ
これも舩木氏のガラスボウル
夏の定番、ラタトゥイユ
チキンのハムチーズ巻き
お皿は備前焼
燻製も3種作った。これが旨いんだ。
お皿は信楽焼

長い付き合いの、気の置けない友人たちと過ごす時間。
手料理とお酒と、美しい器と、皆の笑顔と。
何よりも愛しく、何よりも豊かな時間。
こんな時間が好きだし、またたくさん作っていきたいと、つくづく思った。

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