「OKです!」と「流石です!」の間にあるもの
私は仕事でちょっとプレッシャーのかかる原稿に取り組んでいると、「それ」以外の文章を書くことができなくなってしまう。四六時中、何をしていても「それ」が頭の中で綴られており、他の文章を考える余地がなくなってしまうのだ。この2日はその状態だった。
今回書いていたのは、初めてのクライアントのもの。1本目の案件というのは、やはりいつも緊張する。相手の感性や価値観、仕事の進め方などもわからないし、こちらの全力が通用するのかもわからないから。
それに、最初の仕事の出来で、「次」につながるかどうかも決まる。フリーランスにとって、1本目の仕事は非常に重要だ。
クライアントとは顔合わせのランチでは打ち解けたし、取材もうまくいった。取材対象者はフランクな方で、話も楽しく、予定していた取材時間の90分をオーバーするほどいろいろ語ってくれた。だから、あとは書くだけだった。
まずは構成しながら記憶でばーっと書き出し、それからメモを見て正誤確認をし、きちんとした文章に整えていく。一晩寝かせて、昨日は何度も推敲して、自分なりの100%で提出した。
しかし、夜になっても返事がない。不安でたまらなかった。「期待してたのになぁ」「なんか思っていたのと違う」そんなふうに思われているのではないかと、嫌なイメージしか湧かなくなった。
20年以上書き続けていても、毎回気持ちは1年目に戻る。自分の100%を出し切っても、不安は残る。ああ、逆か。100%だから不安なんだ。これを否定されたらどうしたらいいのかわからなくなるから。若い頃はもっと無謀で、根拠のない自信にあふれていたかもしれない。
今朝、ようやく返信があった。
「ありがとうございました。とても素晴らしくて、流石です!」
読んでホッと胸をなでおろす。よかった、喜んでもらえた。100%がちゃんと伝わった! そこでもう一度「流石です」という文字を見つめた時、ふと、一体いつから褒め言葉が「流石です」に変わったんだろうかと思った。
ライターとして未熟な頃は、良い仕事をしても、いただけるのは「OKです」「頼んでよかったです」のような言葉だった。そう考えると、「流石です」は、相手を「経験豊富」「ベテラン」と判断し、「このくらいのレベルのものは書いてくれる力を持っているはず」と信じて期待している時にしか出てこない言葉だ。そして、その期待をわずかでも「超えた時」にしかもらえないものでもある。
ここ数年、私は長年お付き合いのあるクライアントとばかり仕事をしてきた。だから、今回のように「新しいクライアントと仕事をする」ということが久しぶりだったので、相手の反応にドキドキしたし、この「流石です」という一言の重みもひしひしと感じてしまった。
単なる「OKです」と「流石です」の間には、積み上げてきた年月、経験、実績がある。“気持ち”はいつも新人みたいに一生懸命でいいけど、”結果”はもう「OKです」で満足していい年齢、キャリアじゃない。
いつだって、どんな仕事だって、「流石です!」をいただけるようなものを書いていかなければと、改めて気を引き締めた。
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