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ライターとして生きていく

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1996年よりフリーランスのライターとして活動しています。日々の仕事の中で感じたことや学んだことなどの記事をまとめています。ライター初心者の方にとって、何か参考になれば幸いです。
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#ライター

【ライターの仕事】キャリアがキャリアを生むということ

これまでに何百、何千という人を取材してきた。 そのたびに思う。繰り返し、しつこく思う。 取材ライターというのは、幸せな仕事だと。 人生で決して交わることのなかった人に会い、素晴らしい話を聞かせてもらえるのだから。 いつも取材のあとは、その幸福を噛み締める。 11日もそんな取材だった。 取材先は京都の製薬会社で、研究開発者でもあり、社長でもある女性の方にインタビュー。 実はこの取材が楽しみで仕方がなかった。ずっと憧れていた雑誌の初案件だったし、この製薬会社の技術にも注目してい

ついに仕事へ復帰!私はまだまだ書いていく。

ついに仕事に復帰した。 半年ぶりの取材。 とある健康食品のメーカーの会員向けイベントへ行った。 元マラソン選手の増田明美さんと会員さんとで大阪城公園をウォーキングするというもの。 開会式で増田さんが壇上で少しお話されたが、トークが面白くて「さすがだなぁ」と思った。テレビ番組でナレーションもされているが、聞き心地の良い声だ。 参加している会員さんは60~80歳くらいの男女が80名程度。準備体操をした後、グループごとに出発し、増田さんと一緒にウォーキングをする。何カ所かスポットが

「書いてよい真実」を見極めるということ

もう20年以上前のことだが、某カメラチェーン店の社内報制作に約10年携わっていた。その会社が創業50周年を迎えるということで、社内報の中で「社史」のようなものを連載することになった。 単に年表のような「出来事」を綴っていくだけでは面白くないので、社歴の長い人から順番に、その人が入社した当時のことを聞き、それを文章におこすことで「社史」を辿っていく、という企画だった。 第1号社員の方のことは、以前noteに書いたことがある。 この第1号社員の方からは「50年間、自分の仕事を

毎日が、「自分を信じる」というギャンブル

昔書いていたブログを読み返していたら、こんなタイトルのものを見つけた。 毎日が、「自分を信じる」というギャンブル。 書かれたのは2008年。何のことかと思って読んでみれば、ライターについての話だった。こんなことを書いていた。 「文章を書く」なんて、ものすごく不安定なものを仕事にしていると、 自分を信頼していない限り、すぐに崩れ落ちていく。 何もないところに、自分の「心」に描いたことを カタチにするという、なんともあやふやな作業。 こんなものを商売にしようとしたこと自体

「今からは客として飲みます!」これが若き日の私の“全力”だった。

いつかもう一度訪れたいと思っていた店があった。 それは福岡県久留米市にあるアイリッシュパブだ。 最初に訪れたのは1998年7月、旅行情報誌(福岡)の取材だった。 それから時が流れること17年。 2015年に夫と九州を旅行した時に、「どうしても」とお願いし、久留米まで足を延ばし、この店を再訪した。 久留米に着き、懐かしいパブのドアを開けると、お客さんは誰もおらず、カウンターの中にマスターが立っている。 夫と二人でカウンターの椅子に腰掛け、メニューも見ずに「ギネスください」と

誰かの暗い足もとを照らす光になれたなら

◆「書くこと」が私の生きる意味になる 「自分のペンでごはんを食べて生きていく」 いつからかそれが私の夢になった。 といっても、本来の「夢」のように、希望に満ちた響きのあるものとは少し違っていたかもしれない。ただ、それがこの世で唯一の「自分の存在意義を見出せる方法」だった。 子どもの頃から何も得意なことがなく、劣等感の塊だった。 運動神経ゼロ、歌も絵も下手、見た目もパッとしない、極端な偏食でこの世のほとんどのものは食べられない、引っ込み思案で臆病者。 7歳の時の記憶は、「

ライターのセカンドキャリア?職人でありたい自分。

薬の副作用で関節痛がひどくなってきた。 何かにつかまらないと立ったり歩いたりが難しい。 いつも朝起きた時が一番体調が悪く、髪を振り乱して這いずりながらうめいている私を見て、夫が「貞子かと思った」と言った。 倦怠感もひどく、歯茎もやられて口の中が血の味。口を大きく開けるのも痛い。 薬を続けるとまたヤバくなる気がしたので、この日はレンビマを休薬することに。 午前中は水素吸入をしながらゆっくり過ごした。それで随分ラクになった。休薬バンザイだ。 午後からは原稿を書かなければならな

ライターになって何を書きたいのか。どんなライターでありたいのか。

少し前から「ライター」という職業についていろいろ考えている。 きっかけになったのは、xuさんのこの記事だった。 私はクラウドワークスなどは使っていないが、それでも最初から最後までこの記事を読ませてもらいながら、うなずきっぱなしだった。逆に、今「ライター」「WEBライター」を名乗っている人や、今ライターを目指している人のうち、どれくらいがxuさんのように「ライターの未来」へと想いを馳せているのだろうかと思う。 ライターに未来はあるのか? 最近になって私もよくそれを考える。

ライターへの敬意を感じる修正に涙があふれた

私は自分の書いた原稿を修正されるのが嫌いだ。本当に、嫌いだ。 それはライターを始めた頃から変わらない。 だから、誤字脱字や表記揺れはもちろん、絶対に修正されないように何十回も推敲を重ね、完璧な原稿を提出することを心がけている。 ところが、先週書き上げた原稿がものすごく修正された。おそらく人生で一番たくさん修正された原稿だと思う。 先々週から書き出していた酒蔵の原稿で、先々週、先週といえば、激しいお腹の痛みでほぼパソコンに向き合えなかった期間だ。 でも、今シーズン最後の取材記

生み出した1行を、1文を、いつか誰かの心に響かせたい。

この間、数年ぶりに人と鴨長明の話をしたせいか、何かをしている最中に時折、「方丈記」の冒頭文が頭の中に流れてくる。 この冒頭文ほど美しい調べを私は知らない、と思う。 何度繰り返しても飽きず、言葉の一つ一つが沁み入る。 今から20年ほど前、斎藤 孝先生の「声に出して読みたい日本語」という本が一大ブームとなった。今でも斎藤先生はテレビのコメンテーターなどで活躍されているが、メディアに出始めたのはこの本がきっかけだと思う。 確かこの本の中にも方丈記の冒頭文はあったと記憶する。 そ

取材ライターとして幸せを感じるとき

取材ライターになって27年。これまで本当にたくさんの人の話を聞き、その生き様を垣間見させていただいた。 いつも取材が終わるたびに思うのだ。 私はなんてラッキーなんだ! 私はなんてラッキーな仕事をしているんだ! もし取材ライターじゃなかったら、こんなに多くの人の考えを、生き方を、想いを、「聞くこと」すらできなかったはずだ。それなのに、私はさらにそれを「書くこと」までできる! ああ、幸せな人生だなぁと、いつもいつも噛みしめて、そうやって生きてきた。大げさでなく。 そのうえ、私は

まだ書けるやん、私。当たり前が当たり前じゃなくなってもね。

今、布団の中。 夫が布団乾燥機でホカホカにしておいてくれたので、布団にもぐっているだけで幸せな気持ちになる。あったかーい。 いつも思うのだ。 人はあったかくてお腹がいっぱいだったら、争わないんじゃないかなって。 寒くてひもじいから、争い、奪うのだ。 世界中の人が、あったかい場所で、満たされたお腹で眠れますように。 そんなことを祈りながら眠りにつく。 何日も何日も長時間パソコンに向かえない日が続いていた。 仕事の原稿が進まなくて、お腹の痛みに耐えながら、悔しくてソファの上で

商業ライターってなんだろう、と悩むこともある

私、年齢52歳。大学を卒業後、フリーランスのライターとして活動を始め、今年で27年目を迎える。 こういう“数字”だけを見ると、大ベテランの経験豊富なライターという感じがするが、蓋を開けてみればなんということもない。おそらく20代の駆け出しライターとたいして変わらないようなことで、毎日ぐじぐじと悩んだり落ち込んだりしている。 ちょっとしたことですぐつまずく。自信をなくす。本当に私は「書く仕事」をしていていいのですかと、誰かに問いかけたくなる。 今年に入ってから新しい媒体で

うぬぼれるくらいでちょうどいい

書くのに苦労する原稿というのがある。 それは取材相手がすでにいろいろなメディアに取り上げられている場合だ。 書籍、雑誌、Web記事など、取材前の予習に……と思って調べてみると、出るわ出るわ。これが1番困るのだ。 なぜなら、情報がある限りは頭に入れておかないと気が済まないのだが、いざ書く段階になると、どうも読んだ別の人の記事に引っ張られる。 なんだか「それ」が正解で、これから自分が書こうとしているものは間違っているような、そんな気持ちにさせられるのだ。なんといっても、「それ」