“アホ”であることの効用
注記1:本記事は何らかの“根拠”や“実績”に基づくものではありません。詳しくは別記事「提案型無根拠記事のススメ」をご覧ください。
生活者・消費者目線のネット記事を面白おかしく発信するRocketNews24というサイトがあります。このサイトを経営しているのがYoshio氏です。彼はこのサイトの記者たちから「アホのYoshio」と呼ばれています。
なぜそのように呼ばれているのか。たとえばサイト上の記事によるとYoshio氏は突拍子もない企画を提案して、記者たちが渋々応じるものの、結局うまくいかずに終わるというパターンを繰り返していることなどに一因があるようです。もちろんサイトの性質上、Yoshio氏も記者も演出としてやっている面が多分にあるとは思います。
しかし仮にそのようなYoshio氏の言動が演出でなく“本物”であるとしてもそれは経営者としての彼の能力の欠如を表しているとは私は思いません。またそのようなある種の“軽率”さは記者としても不可欠な資質ではないでしょうか。それはネットニュースの記者としてだけでなく、noteの記事を書くような立場にとっても大いに参考にすべきことではないか、と私は考えます。
(以前はYoshio氏自身が記者としても活躍していたようなのですが最近は経営者としての仕事が忙しくなったせいなのか記者としては表にあまり出てこなくなりました。記者たちのサポート役は買って出ることは今でも少なくないようですが。)
「アホのYoshio」という異名は実際には彼が記者たちにそう呼ばせているのでしょう。彼は部下である記者たちに自分のことを“アホ”と呼ばせ、かつ自身でも“アホ”であることを受け入れているように見えます。それは単なる自虐趣味ではなく、そうすることで何らかの効用を得ることを狙っているのだと私は思います。
まずその効用として考えられるのは「自分はアホなのだから失敗するアイデアを量産するのは当然」とか「自分がアホであり続けるためには失敗するアイデアの量産しなければならない」と自分に言い聞かせることで、「こんなアイデアを提示することでみんなからバカにされてしまう」という自らの内心の恐れに抵抗できるようになることです。
世の中には一見くだらない記事が思いもよらぬほどバズったり、一体誰が買うのだろうという商品がヒットすることは日常茶飯事であることはご承知のとおりです。何が当たるのか分からない世の中だとすればちょっとでも「これはイケてるんじゃないか」と思った場合は沸き上がってくる懐疑心に抗してバンバン記事にしてみることでいつかはヒットするかもしれないと考えるわけです。ほとんどは失敗に終わるにしても。「下手な鉄砲数打ちゃ当たる」の精神ですね。この精神からすれば「こんなバカげたアイデアなんて公表するのが恥ずかしい」と思うことこそが邪魔で有害だということでしょう。
またYoshio氏はネットサイトの経営者です。その立場から「自分が率先してアホをやり続けなければ、部下が委縮してアホな記事を書けなくなってしまう」という危惧が常にあるのかもしれません。どの記者たちよりも断然クオリティの低く見えるアイデアを率先して自ら提供することで、まとまっているが面白味に欠ける記事ばかりになってしまうことを防ぎたいのではないでしょうか。実際ベテランを始め複数の記者がYoshio氏を「アホだ」とディスりながら、結構弾けた記事を書いているのを見るとこの作戦は功を奏しているように見えます。
さらにYoshio氏は「自分はアホだから自分の生み出したアイデアに決して惚れ込んだりしない」という戒めも自分に課しているのかもしれません。どんな企画を立てるにしてもいくらかの費用は必ずかかります。だからすぐに実行できるが比較的少額で済む企画をやってみて、うまくいかなかったら、すぐ諦めるということを繰り返しているように見えます。
誰しも自分が着想したアイデアというものは何らかの愛着心を持つものです。人によっては自分のアイデアに惚れ込んでそのアイデアと心中する勢いで財産をつぎ込んでしまう人もいます。そうしないように「自分は“アホだ”」と自己規定することはYoshio氏の“投資”的行動への慎重さに繋がっている可能性があります。
それでもたまに反応がいい企画があれば、その時は何度もテストを繰り返して事業としてものにしているのかもしれません。Yoshio氏はRocketNews24のサイト以外にもいくつかの事業を手掛けているようですから。少なくともRocketNews24を結構長いこと経営し続けていることを見る限り彼は優秀な経営者であることは間違いないように思えます。
以上のように「自分は“アホだ”」という自己規定は積極的な行動力の源になることがありますし、危険な行動への戒めにも活用できることがあります。だからnoteで自分のアイデアを提案するというお金のかからない“事業”をしている身としては大いに参考にすべきだと私は思っているのです。
注記2:本記事の内容はYoshio氏への取材に基づいたものではなく、私の臆説に過ぎませんので悪しからずご承知おきください。