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優しく寄り添うことができれば

身近に心配性な人がいると、どう接するのが正解か分からず、本当に悩んでしまう。
他人なら気にもしないけど、家族なら話は別だ。

ちょっとしたことでも気にしすぎて前に進めない。
周りがどんなに「大丈夫だよ」と言っても、本人の心には届かない。
私にできることは何なのか、考えても答えは簡単には見つからない。

腫れ物に触るような態度はとりたくない。
でも、ズバズバ言いすぎても傷つけてしまう。
結局、どんな言葉が正解なのか分からなくなってしまう。
そんな日々の中で、私はもどかしさを募らせるばかりだ。

「20代のうちに心配性を克服してほしい」 そんな思いがある。
なぜなら、心配ばかりしていては何も始まらないし、本人もきっと苦しいはずだから。少しずつでいいから、前向きになってほしい。
仕事をして、社会とつながりを持って、人生を楽しんでほしい。

でも、その気持ちがプレッシャーになってしまうこともある。
焦れば焦るほど、相手には伝わらなくなるのだ。

だから私は、少し視点を変えてみることにした。
「治さなきゃ」と思うのではなく、「寄り添う」ことから始めてみようと。
心配性の人にとって一番怖いのは「失敗」だ。
だったら、小さな成功体験を積み重ねればいい。「これならできるかも」と思えることを一緒に見つけて、一歩ずつ進む手伝いをすればいいのかもしれない。

そして、「大丈夫」を言いすぎないこと。
無理に安心させようとするよりも、「何が不安なの?」と話を聞いてあげるほうが、本人にとっては心強いのかもしれない。
言葉だけで不安を消すのは難しいけれど、気持ちを共有することで少しは楽になることもある。

とはいえ、家族ができることには限界もある。
心配が強すぎて日常生活に支障が出るなら、専門家の力を借りるのも選択肢の一つだ。いきなり「病院に行って」と言うのはハードルが高いけれど、「話を聞いてもらうだけでも楽になるかもよ」と伝えれば、受け入れてくれる可能性もある。

そして何より大切なのは、私自身が無理をしすぎないこと。
心配性の人に寄り添うのは、想像以上にエネルギーを使うものだ。
だからこそ、私自身が疲れ果ててしまわないように、ときには距離をとることも必要なのだと思う。

「なんとかしてあげたい」 その気持ちがある限り、私はきっと悩み続けるだろう。でも、その悩みの中でできることを一つずつ探していけば、いつかお互いにとってちょうどいい距離感が見つかるかもしれない。

成人はしたけど「一人前の大人」として独り立ちができない間は、まだ子育ては終わったとは言えないのかもしれない。
いくつになっても親子の関係性は変わらないのだから、親はいつまで経っても子供のことで悩み続けるんだと思う。
それはきっと私だけではないはずだから。

ちゃんと顔を見て「今日も元気だね、大丈夫」と言ってあげよう。

今日も最後まで読んでくださって、ありがとうございました。
明日から3連休、楽しく過ごしたいですね。

それでは、また。



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