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数字の奴隷に成り下がるな
フォロワー数、再生数、登録者数、いいね、
これらがもたらした功罪は計り知れない。
売り上げや収入だけに留まらず、スマホを開けば数字がストームトルーパーのように襲ってくる世界は狂っているように思う。
自他のコンテンツを、内容ではなく数字で判断してしまったことに気が付いた時、悔しさと悲しさが込み上げてくる。
GoogleやMetaが脳みそをハックしにきている。資本主義お化けたちは私たちをコントロールしようと必死だ。
彼らはテクノロジーの発達が人間の行動や思考を変えることを知っている。インターネット、SNS、iPhone、AI、現に世界を変えてきた。
いつから写真はインスタにアップするためのものになったのだろう?写真を撮る行為そのものを楽しみたい。その瞬間のメモリーを楽しみたいのに。
仕事において、フォロワーがどうだとか、バズるのがなんたらとか言っている自分がいるのだが、言った1秒後に嫌気がさしている。
「バズったらいいのに」と本気で思いながら、同時に「バズったから何なのだろう」と思っている。頭がおかしい。
いや、逆だ。頭がおかしくならないように無意識にバランスを取っているのだろう。
「数字に囚われすぎるな」と脳が警告している。ここで私のバランサー能力が超発揮。
いいねが少なかったら「価値がなかったのだろうか?」と思いそうになるが、冷静に考えてそんな訳はない。
冷静に考えればわかるのだが、すでに脳みそをハックされている私たちは、気付かずに数字に一喜一憂している。
数字は大事だ。とても大事。
ファクト認識、目的のための指標、共通言語としても絶対に欠かせない。
でもそれは私たちをハッピーにするために在るべきだ。
数字のために仕事をする。数字のために生活をする。
数字が目的化してしまったら、それはもう不幸の始まりではないだろうか。
味方につけることと、支配されることは全く逆だ。
何事もバランス。KPIもお金も大事。でも数値化できない、数字からこぼれ落ちた何かも同じぐらい大事だ。
もちろん情熱だけではビジネスはできない。でも情熱が無いビジネスなどなんの魅力もないはずだ。
数字とは持ちつ持たれつがいい。それぐらいがいい。