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あたしは今日も続けるを続けていく。
むかしはわりと三日坊主だった。あっと思いついてふらりと始めて1週間もしないうちに熱が冷める。そしてまた別のものに目を輝かせる。この繰り返し。若さゆえの旺盛な好奇心のせいだったかもしれない。でも今は三日坊主じゃない。あんなにすぐに飽きてしまってたのに。
そんなふうに長年ずぅーっと三日坊主をやってきたあたしなので、自分は飽き性で物事が続かないひとだ、継続することが苦手なんだと思っていた。でも最近、あたしは意外と継続できるひとなんじゃないかなと思い始めている。今のあたしは毎朝、毎日、毎週の単位で続けられていることがたくさんある。かつての自分では想像できない今の自分。
むかしも今もいちばん最初のやる気はみなぎってた。いつもはじめはやる気まんまん。道具を揃えて、場所を作って、あたしは挑む。でもかつてのあたしは続かなかった。それよりも他のことが気になって、せっかく状況を整えて始めたこと、そう、まだ始めたばかりのことを見えないところへ追いやって新しいなにかに手を出す。
思うに「継続」とは、その続けたいと思うことがそのひとにとってどれだけ大事なことなのか、価値あることなのか、どれだけ本気で取り組むべきことなのか、そのボルテージ(熱量)の度合いにもよるんじゃないかな。
なんの目的もなくただ「こうしたら良いらしい」と、何かにつられて始めることと、「自分はこうしたい・こうなりたい」と強く思って始めるのとではスタートラインに立つ時点で勝負は見えてるようなもの。いや勝ち負けの話じゃないんだけどね。
「続ける」ということは、「続けたい」思いの強さ、続けた先にある自分の思い描く姿・様のビジョンがまっすぐ明確で現実的であるほど「続ける」を続けられるような気がする。
そして、これからもずっと続けていくという強い意志が、今のあたしにはあると言い切れる。
たまにめんどうな気分になるときはあるけど、そんな日もあるさと休んで、またその次の日には続けるを続けていけばいいの。もちろん、その時々にあった方法に変化させてもいい。続けていると自分も変わってゆくわけで、最初に決めた手法では足りなくなるかもしれないからね。
続けること、続けていくこと、その先の自分が願う大きな目的のために、いちばんはじめの温度を反芻するのもだいじ。そもそもに立ち返る。
それに自分で続けると決めたことができたときのごほうびもだいじだよ。
そんなあたしはまた新たなタスクをうまく習慣化していく訓練の真っ只中。さあ、週の始まりの月曜日。あたしは今日も続けるを続けていく。
今日のごほうびは、とびきりいい香りの美味しいコーヒーを、グリーンたっぷりな昼下がりのベランダで。