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練武知真第36話 『内外合一を知る為の武術』

『内外合一』。

これは中国武術における、ある境地を示すものです。

 

内功と呼ばれる

・微細な身体操作

・気のコントロール

・意識の集中やイメージの活用

・心理状態のコントロール

などの修行。

 

外功と呼ばれる筋骨皮といった肉体のトレーニング。

 

これらの修行で培った内外を合わせて一つと為すことで、高い武術力を身に付けるという概念が一般的な意味での『内外合一』です。

 

しかし、この『内外合一』という言葉には実に深い意味があり

「内」を自分とし、「外」を外部とする考え方もあるのです。

 

今回はこの「内外」=「自他」としての「内外合一」の話をします。

 

【1】内側の修行

この場合、まずは「内」つまり「自分」に集中した修行をします。

 

正しい姿勢から始まり、基本的な動きから応用方法まで「技」をひたすら磨き続けます。

そうするうちに武術で必要な身体を作り上げる事ができます。

 

この自分を練り上げる訓練をしている時は、感覚を繊細にし、トライ&エラーを繰り返して黙々と練り続けます。

まるで城の石垣を積み上げている感覚です。

 

【2】外側の修行

しかし武術の場合、相手がいる訳ですから、いつまでも意識のベクトルを自分に向けてばかりではいられません。

自分の外側に意識を向ける訓練をする必要があります。

 

具体的には後程述べますが、この段階で重要なのは「自分に意識を向けない」という事です。

相手や対象物、空間に意識を向けきるという感覚。

他者や状況に対しての反応性を向上する事に徹します。

また外部へ意識を集中する事により、結果、自分が整い良い動きができるという事もあります。

 

【3】内外合一の修行

そして、その先に、また自分を意識する作業に入ってゆきます。

勿論、この場合の自分への意識は、最初の「内側の修行」とは異なりなす。

外側の感覚を全て呑み込んだ自分となる為の修行です。

濃度というか、厚みというか・・・言葉では表現しにくいのですが、『外に展開しながらも、自分にきちんといる』・・・そんな感じになります。

 

八卦掌を例に挙げてみましょう。

八卦掌には『走圏(当派では活歩定勢八掌)』と呼ばれる樹木や柱の回りを円を描いて歩く修行法があります。

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当初の段階では、姿勢の安定性、歩法の正確さなど自分の身体運用に集中します。

先程の言うところの「内側の修行」です。

虚実の「実」の訓練とも言えます。

 

それがある程度クリアしたら、「外側の修行」に入ります。

円の中心たる樹木や柱に集中し、自分を意識しないよう訓練します。

そうしているうちに、段々と自分が消えてゆくような感覚となります。

円心が自分の本体で、歩く自分は影のようなものと感じるのです。

その時の状態は、身体はとても軽く、相手に対する反応性も非常に高くなります。

虚実の「虚」の訓練です。

 

そして「内外合一」の修行。

意識を再び自分へと戻し、自分を一切崩すことなく、それでいて円心もちゃんと意識している状態。

円心と自分が対等な関係で繋がっている感覚を求めてゆきます。

自分の中に「虚実」の双方があります。

自分が実で、円心が虚であり、

自分が虚で、円心が実である感性。

 

この段階では勝ち負けにはあまり意識が向きません。

 

自分を充実させて、

相手を受け入れ、

そして

自分も相手も充実した良い関係を築く。

そんな心持ちになります。

 

自分を磨き、

外の世界を実際に体験し、

その経験を自分のものとして自らを向上する。

豊かに人と繋がる。

 

よくよく考えれば、武術に限らず日常で普通に行っている事。

 

武術の深い哲理も、

実は極々身近にあるものなのです。

 

 

2024年10月23日 小幡 良祐

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