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練武知真第38話『学び方を学ぶ為の武術』

学びには順序があります。

特に技芸や学問をシッカリと学ぶ為には、ある程度は体系にのっとって基礎をきちんと築く必要があります。

 

最初から全てが自己流だと、その先、必ず現れるであろう「行き詰まり」や「壁」を突破するのがかなり難しくなります。

 

技芸や学問は多くの人達による知恵の集積だからです。

時代や世代を越えた熱意ある研鑽の賜物だからです。

 

一人の人間が積み上げられる経験や知識は大した量ではありません。

 

多くの人達が積み上げてきたものの上に、さらなる研鑽を加え、新たな発展を模索してゆく・・・それが技芸や学問だと思っています。

 

実際、中国武術で多用される『勁』という概念は、たった一人で完成されたものとは到底思えません。

 

「力を伝達する」という概念をリアルに運動として実現し、かつ闘争という危機的状況において活用するなど、相当のトライ&エラーの繰り返しがあったはずです。

 

そして、その「勁」への模索もまた、それまでの武術の下地があったからこそ。

 

つまり武術は、様々な地域、多くの人間、膨大な時間、凄まじい探求心によって育まれてきた一つの「学問」と言えます。

 

形意拳においては『三層之功夫』と呼ばれる修行の段階があります。

第一段階の『明勁』では、形意拳の基礎作りを行います。

基本的な勁を発する事ができる「身体」作りとも言いましょうか。

 

第二段階の『暗勁』では、さらにその勁を練り上げてゆきます。

力の連動性を著しく向上させて、わずかな動きで力を拳や掌などに伝達します。

また大地の反動力の利用も、より巧妙になり、様々な力を足元で発生させる事ができるようになります。

これは言わば「技の深化」。

 

但し明勁の基礎がないと、勁を扱う身体ができていないので、暗勁は習得できません。

明勁の修練の積み上げの上に暗勁はあるのです。

 

そして第三段階の『化勁』では技から離れます。

形に固執せず、自分に適合したスタイルで、状況に適応した動きが自然に導き出される境地。

ここで初めて学びが自分の血肉になったとも言えます。

 

明勁は基礎編の教科書。

暗勁は応用編の教科書。

化勁は教科書を手離し、新たな研鑽に身を投じてゆく・・・そんな感じです。

 

これは八卦掌における修行の三段階「定架子・活架子・変架子」でも同じです。

定架子が基礎編で身体の構築を主たる目的とし、

活架子が応用編で技の練度の深化を目指し、

変架子で体と技と心が一体化し、自由自在となります。

 

学びの全体を俯瞰すると、自分のすべき事が明瞭になります。

 

そして、このようにしてシッカリと段階的に丁寧に積み上げられた「学び」は、自分のコアに深く結びつきます。

 

不安や悲しみ、迷いや悩み、自信喪失など・・・ネガティブな状態になりそうな時に、必ず自分を支えてくれます。

これは私自身が実際に経験してきた事です。

きちんと学んできた事は、深い自己確立に繋がります。

 

そして、そうした「学び」は何歳から始めても良いのです。

学びたいと思った時が、学びを開始する時。

元々、自らを更新してゆく作業に「終わり」は無いのですから。

 

 

2024年11月6日 小幡 良祐

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