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占いを仕事にしなくなった話


※(長い前置き)

自分はとにかく昔から勘の強い子で、二十歳のころは人身事故の予知とか、できた。

その分感受性がとても強くて、婦人科系もすごく不安定で、感受性を豊かにもったまま強くなるのにはどうすればいいか、ということは私の10代後半からのテーマだった。高校時代、あまりに情緒不安定でよく梅雨の時期とか放課後の職員室で、怒られたわけでもないのに泣いていたけれども、今思うとあれはPMSだったと思う。

水木しげるさんが子どもは妖怪とともに生きているというような感じの描写を漫画の中でされていたけれども(『のんのんばあとオレ』だったと思う)、幼い頃の私も自然に溶け込んでいたというか、小さいころは森とまではいかなくとも庭の動植物とともに戯れていて、感受性が強かったり信仰心が強かった自分を当然のものと、何も疑問に思わず生きていた気がする。キリスト教の幼稚園だったこともあり、祈り方を教わっていたので、小さいころはかみさまに、世界中の人が幸せでありますように、って真剣に祈っていた。たぶん小学校高学年くらいまでそれは続いた。

私の祖母がそういう、感性の豊かで、勘のするどい、感受性の豊かな人だった。いつも神棚に祈っていた。
その後初潮がはじまって、少女だった自分が女の身体になっていく過程で、自分の勘はどんどん鋭く粗削りに、粗雑なものになっていった。
受験戦争に巻き込まれ始めた頃から、祈ることをやめた。知っている社会が広がって出会う人の種類やわがままさも多様になっていって、自分も受験や就職を通じて資本主義社会で生存をしなければならないという危機、当時付き合っていた人と意思疎通があまりできている気がせず、思えばその頃の情緒はぐちゃぐちゃだった気がする。
ホルモンバランスをコントロールする薬を飲んで自分の中の自然と造られた自然が乖離して分裂してゆく過程は当然で、思い返せばそれを落ち着かせるのにまた何年もかかった。(次付き合うひとは温厚で意志疎通が穏やかにできる人にしようと思う)

いろんなところで感情が裂ける思いをたくさんしたし、DVなひとお付き合いしたり、人に振り回されて泣く、というのがどうも多かった気がする。
どうやったら世界は平和になるのか、どうやったら人は幸せに生きられるのか、かみさまはどうして飢えや病気を平等に与えないんだろう、ということを常々頭の片隅で思う一方で、自分の目の前の人や家族、自分のことですら幸せにする方法がわからなかった。

その後、私が自然から乖離し始めて20年位経って、その「感受性が鋭いまま強くなる」という課題の一つの解決法を得た。2017年にヒマラヤシッダー瞑想を始めた。
結果的に、感受性が豊かなまま、ひょうひょうと生きられるようになってきた。(20代のころの自分と比べて)。出会う人の質も明らかに変わって、あったかくて温厚な人たちばかりになった。

前置きが長くなった。

それで、一時期、その勘が鋭いのを使って稼ごうと、占いで生活費の収入の大部分を得ていた。このスキルは自分がフリーランスになる過程で必要であったもので、ロシアで生活していたときはインターネットのチャット占いで稼働していて、その収入でだいぶ助けられた。ロシアはもちろん、ウクライナとか、アルメニアとか、旅先でタブレットをひらいて、いろんなところから占った。

今も頼まれればやるけれども、店や雇用主にバックしない場合、そこで得た収入は、最近は基本的にほぼ全てあるいはそれ以上を寄付に出している。当たることもあるかもしれないけれども真理でもない話をしてお代をいただくのは、業を積んでしまう気がするから。
先日とある方が気遣ってくれたけれども、実を言うと電車賃にも充てていない。(有料でやるのはわあっと来られると困るのと、依存してほしくないから。)

占いで一番多いのが「あの人は私のことをどう思っていますか」。可愛い。私も占ってもらうの好きだから、これすごくわかる。気になる人が自分の事どう思っているか、ってすごい大事な問題。

女の子は特に、鏡よ鏡よ鏡さん、ではないけれども、言葉による存在の肯定というのはとても大事で、相手が自分の事好きならがんばろう、って、素直に思えちゃうカワイイ生き物で。私もタロットで占ってもらうときは好きな人がいたら絶対頼むし、頼まれればもちろん喜んで占う「あの人の気持ち」。あくまでエンターテインメントとしてね。

それで数百件か1000件ぐらい占って気づいたのだけれども、

「あの人が私のことを好きだったら、結婚してくれる可能性があるなら、私もあの人にハートを開きます」

という条件づけを、相手に課している気がするのだ。この質問を問うお客さん其々がどうかはしらないけれども、少なくとも自分はね。

結局、母親が自分を命をかけて産んでくれて(お産には生死が伴うこともある)、両親が彼ら自身の事をおろそかにしてボロボロになりながら私を育ててくれた。父親なんて、私が小さいころは仕事が終わらなくて朝4時に帰ってきて、朝6時にまた家を出る生活をしていた。私たち家族の生活を守るために。

家族だけじゃなくて、いろんな人たちが私を気遣ってくれて、なんとか大きくなって、社会不適合だった私が、なんとか社会人をやれるように助けてくれてきた。それは条件付けの愛情ではなくて、なんかもっと大きいものなんじゃなかっただろうか。
というようなことを、自分が30代になって、学生の子とかに微々たる額ながらも多少御馳走したりする立場になって、やっと気づいた。

もしその恋愛が上手く行って、ご縁があるお相手だったら、女という生き物はその人の赤ちゃん産むかもしれないし。お産って命かけるかもしれないわけでしょ。

結局、まず自分がそういう条件付けの愛情から超えて、人間的にもっと大きな愛の人にならねばならない、と思う。今世界中で、混乱が多いからなおのこと。

相手の人とご縁があるかなんて神様しかわからないけれど、お相手が結婚してくれるから、わたしと付き合ってくれるから、相手に対してハートを開く?世界が危機に瀕しているのに、そういうケチな人間で終わってる状況じゃない。そんなみみっちい人間になるために、かみさまは私に命を与えてくださったの?いつも太陽みたいで、いつも蓮の花みたいな人に、叶うならばならなきゃ。そういう感じ。

今日、とある店で紅茶を飲んだら、すっごいぬるくて、正直おいしいものではなかったのだけれども、それでも、このコロナ騒ぎの、週末の外出自粛のなかでわざわざ出勤してくれてる人がいて、お茶を淹れてくれる人がいるからこそ私はお茶を飲めるわけで。お茶のぬるさに腹を立てず、そういうのにありがとう、って言える人に、はやくなれたらいいなあ。

きのう、先生が、メールを下さった。

『貴女のような、暖かい気持ちを周りの人たちに届けることができる若い人が、いまの日本には本当に必要です。』




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ハルカ
Спасибо Вам большое:)♡!!! ありがとうございます:)♡!!!