疾病・障害福祉窓口での話③
(行政職からの目線のお話です。)
20代半ば頃に働いていた、中規模の都市の、疾病・障害福祉窓口のちょっとした日常を参考にした話を幾つか。
8050問題と障害福祉行政
手当制度の利用を継続するための書類(現況届)が、自宅に数回郵送しても提出されない人がいた。
本人は50代で中度知的障害があり、80代の母と2人暮らし。父は既に他界。おそらく一人っ子。
住民票は、何十年も同じ住所に置いている。
例年、提出が遅れがちだっただろうか?と思い、過去数年の提出履歴を見たら、去年までは毎年、役所から郵送後ほんの数日で提出されていた。
去年の現況届に書かれている、自宅の固定電話に電話をかけてみた。
数コールの後、本人の母が電話に出た。
僕は、少しほっとした。
僕「(本人)の手当の現況届を数回郵送いたしましたが、本日時点でまだご返送を確認できていないのでお電話させていただきました。」
本人母「わざわざ申し訳ないです、出さなきゃ出さなきゃ…と思いつつ、後まわしになってしまって。
ここ最近、ちょっと足腰が痛いのが長引いてるし、目がかすんできてて見えづらいの。頂いた届は家にちゃんとありますから。頑張ってすぐやりますね。書いたら(本人)に、ポストまで持っていかせますから。
本当に、本当に、ごめんなさいね。」
僕「いえ、恐れ入ります。お手数ですがよろしくお願いいたします。ところで、もし今お時間よろしければですが…」
とてもはきはき話している様子だったが、何となく、何となくだけど、受け応えを聞いていて、引っかかるところがあった。
多分、心では昔からのように頑張ろうとしているが、体がついてこられなくなっている。
母の体の自由がもっときかなくなったら、この親子はどうなるのだろうか…
僕「ご希望でしたら、このお電話で、ご本人様とお母様の生活状況をケースワーカーよりお伺いしてもよろしいですか?手当の他にも、生活のご状況に応じて、いろいろな制度がご案内出来るかもしれません。」
本人母「結構長いこと、役所には特に用も無くて行ってないの。今、わたし時間は大丈夫だから、ちょっとお話ししようかしら。」
僕は、障害福祉サービスのケースワーカーに状況を説明し、電話を繋いだ。
ケースワーカーから本人母へ詳しく状況を聞いた。
本人は特別支援学校卒業後の1980年代に作業所への通所を始めるも、元々人見知りが激しいため嫌がり、数ヶ月でやめてしまった。
それ以降、ほとんど自宅で過ごすか母と近所で買い物するかだけの生活を30年以上続けていた。
父が他界し、連絡を取り合っていた親族や近所の知り合いは高齢で亡くなったり施設に入ったりして、ここ何年も外部との接点は無かった。
母の足腰の痛みが特に強い時は、本人におつかいを頼み、スーパーやコンビニでお弁当を買ってきてもらう等して、なんとか凌いでいた。
可能な限り長く、親子で一緒に暮らしたいが、先のことを考えるとどうすれば良いかよく分からない。
誰か時々うちに様子を見に来てくれたら助かる、とのことだった。
後日、ケースワーカーが自宅を訪問したところ、母はおおむね食事は作れているが、出そうと思ってまとめた古紙が玄関にかなり溜まっていたりする等、日常生活に滞りが出ているのが見受けられた。
本人は珍しい来客に終始そわそわして、母にずっとくっついて黙っていたそうだ。
程なくして、家事援助のサービスの利用を始めることになった。母は近々、介護保険サービスの利用を検討しているという。
※(補足)そもそも現況届って何だ?という方へ。
手当を継続してもらい続けるためには、毎年1回役所から送られてくる「現況届」という書類を、窓口か郵送で提出することが義務付けられている。
現況届の内容は制度によりまちまちだが、「在宅で生活していますか」とか、主に生活状況についての簡単な質問が書かれている。
(児童手当を受けている人とか、子供が保育園に行ってる人とかも、毎年現況届を書いて出すと思うけれど、あれと基本的には同じようなもの。)
(終)
あとがき
8050問題とは、80代くらいの親が50代くらいの子を何とか支えている社会問題のこと。
背景には、子に引きこもり傾向がある場合が多い。
かつて、引きこもりは個人の問題として捉えられていた時代があった。しかし引きこもりが長期化し、親が高齢になると、親が子を支えるのが限界になる。
2010年代後半頃から、先程の母子のような、高齢な親と知的障害のある子の事例が、自分の体感的に急増した。
コロナの蔓延で、そのような世帯の社会からの孤立が更に深刻化したように感じた。
例えば、遠方の身内がなかなか様子を見に来られないうちに、親が認知症を発症したとか。
本人がコロナを怖がって持病の定期通院のための外出すら拒むようになってしまい、そのまま病気をこじらせて生活の自立度合いが下がり、親が子を支えきれなくなったとか。
行政からすると、本人や家族の身に危険が差し迫る前に何かしたい。必要なサービスを必要とする人に繋ぐ位置づけの職であるゆえに。
しかし、虐待や親の緊急入院などが無ければ、行政が主導で家に入ったり親子を不本意に引き離したりするようなことは、制度上難しい。
「自分達でやるから支援は不要」というスタンスの人に、支援を行政から無理強いすることは、人権問題にも関わる。
そもそも、作業所への通所やヘルパーの訪問や、グループホーム・障害福祉施設などへの入所は、原則として、障害者本人か家族などが役所へ申請することで利用を始める仕組みとなっている。
しかし、長年にわたり障害者本人を家族だけで支えてきた場合、障害福祉サービスの情報を自発的に入手するにも、まず何をどうしていいか分からないという話は非常に多い。
時代の変化によりサービスは多様化しているが、それ自体がピンとこなかったり。
制度自体が複雑なので、それはそうだろうと思う。
つまり、サービスの利用申請が無いと原則は動けない行政と、誰かの手を借りたくてもどうすればいいか分からない住民のミスマッチが、制度の仕組み上、どうしても起こりやすい。
これにどう対処するかというと、行政職員の経験と勘に基づいて、状況的に心配だと思った世帯の話を引き出して聞き、もし希望するようであれば必要なサービス利用に結びつけるという、至って地道な方法しかほぼ無い。
マンパワーで見えるのは氷山の一角だろうな、と複雑な気持ちを抱えてやっている。
経済的に困窮して生活保護を申請した場合、その関連部署を介して支援に繋がる場合は割とあるが、そのようなことが無ければ、住民の生活実態の細かな把握はし得ない。
近隣住民からの匿名の通報や、社会福祉協議会からの連携、親子共どこかで道に迷って帰れなくなって警察に保護されて役所に連絡がくる等の事例もあるが、件数のボリュームはそう多くない。
親か子のどちらかが病に倒れて救急搬送されて、そこで社会的孤立が明るみとなり、病院の相談員さんを通じて福祉に繋がる件数は結構ある…が、程なくして病に倒れた側が亡くなってしまう件数も少なくはない。
いずれにしても、かなりアナログに連携して、一件一件やっている。
行政側からすると数ある仕事の一件でも、相手方からすると唯一の生活で人生だから、こちらも神経を研ぎ澄ませて関わっている。
尚、このような仕組みを抜本的かつ横断的に解決へ導く全国的な制度改革の気配は、現時点では無い。
行政が言わなきゃ何もしてくれない、聞かないと何も教えてくれない、という傍から見てダメダメ状態になるカラクリは、このようなところにある。