【学校】双方向授業は日本の学校制度に合わない オマケに非効率
双方向が合わない理由
学生に意見を言わせない。考えるのを禁止するやり方だから。今まで学校では先生が言ったこと、板書したことを覚えろとだけ言われて教えられてきた。解答がひとつしかないペーパーテストでどれだけ覚えられているかどうかを測ってきた。そのやり方は今も変わらない。一方通行型に最適化されて作られている。双方向など想定していないだろう。パフォーマンスで、格好だけ取り入れても有効ではない。ひとつの基準で評価することをやめて、評価方法を変えないと双方向がいい方向に働かない。ある基準で評価すること自体時代遅れなのかもしれない。
クラスの人数多すぎ
先生1人につき、25人から35人が高校までは主流で大学は授業によっては3桁になる。ゼミや語学でも15人から30人ほどいる。先生の数と学生の数があっていない。学生をもっと減らさないと授業は成り立たない。
1人ずつ当てるのは最悪
30人クラスだとして、1人ずつ当てていった場合、当たっていない29人はインプットでもアウトプットでもない無駄な時間を過ごすことになる。知識がない学生の発表を聞いても何も得られない。自分の本当の意味での双方向授業の時間は短い。時間効率は最悪だ。
日本の学校制度には一方通行型と自習型の授業が合う
集団授業には一方通行型が合う。間接的な双方向の授業として自習型の授業を提案したい。先生が与えた問い、自分で立てた問いに対して授業時間を使って情報収集し、文章にまとめる。答えは1個ではなくなるし、学生が自ら考えるようになるし、論理的に説明して、整理して文章にまとめるチカラもつく。批判的に物事を考えることができるようになる。暗記だけではない本当の教育になる。
双方向授業導入の前に制度の見直しを!
集団授業と答えが一個しかないテストをやめない限り、双方向など海外で取られている方法や最新の方法を導入しても、効果を発揮するかは怪しい。改革しているように見せることが選挙のためには大事だろうが、根本的な問題の解決にはなっていない。時代遅れのやり方、考え方が変わらない限り、日本の教育はどんな最新の方法を取り入れようが、古いままである。
授業はあくまでサポート
授業はメインではない。勉強でもありません。勉強の基本は自習でそれをサポートするのが授業だ。文部科学省が定める規則には授業について細かく書かれている。これを見ると、授業がメインなのではないかと思ってしまう。壮大な勘違いである。
テストはアウトプットツール
テストというのは成績評価の道具ではない。成績評価の印象が強すぎるから、テストをうまく活かせない。定着させるためのアウトプットツールとしてはテストは素晴らしい。日本の教育は成績評価ばかり考えているので、テストの素晴らしいところを見逃してしまっている。
文部科学省は変わる気がない
文部科学省はGiGAスクールなど新しいものを取り入れようとしているように見えるかもしれない。学校の規則、規定は変える気配がない。先程も言ったように古い方針に新しい方法を入れても、上手く機能しないのだ。新しい方法を取り入れても変わらない。文部科学省の権限が強いので、文部科学省が変わらなければ、日本の学校教育は変わらない。
今までの教育が良かったなら、なぜ問題がたくさんあるの?
疑問です。教職員の労働環境、文部科学省は某キャンペーンで知っているはずだ。次に、いじめの問題がなくならないこと。これも社会問題化されているので、文部科学省は把握しているはずだ。経済界からも難関大学を出た学生でも使えない人材が輩出されることも言われている。問題が多いのに変えようとしないのはなぜだろうか?
まとめ
双方向も、アクティブラーニングも日本の学校には合いません。