日記というパーソナルスペースについて
私は日記を書かなかった。
家族に不都合なことは書かなかった。
読まれる前提で書いていた。
家族に対してだ。
私には、私の部屋というものがない。
共用の部屋もない。
家族のスペースの一角に私の机が置いてある。
なにをするにも把握されている。
寝るのも母、姉と一緒だ。
28才で家を出るまでずっと。
パーソナルスペースは、トイレだろうか。
それも、早く出てくるように急かされたなぁ。
父が来るのを恐れていた母に。
記事タイトルの日記について。
小学校低学年の頃だろうか。
日記と言うにはなにも書いていない、
好きなシールを貼っていた薄く小さいノートがあった。
それに鍵をつけた。
なんとなくだ。
鍵付きというのがかっこよかった。
おもちゃの南京錠。
針金をノートの表紙・裏表紙にシールで貼り付けた。
いかにも小学生が遊びでつくった稚拙なモノだった。
翌日学校から帰ると壊されていた。
母だ。
『鍵なんて付けるからいけないのよ。
なにが書いてあるのか気になるでしょう?』
父が、
『そこまでするのは良くないと思う』
と言っていたのを覚えている。
意味がわからなかった。
どっちのことも理解できなかった。
ただ、私に隠し事は無理だと理解した。
明らかに隠しているという雰囲気を漂わせてはいけないということを学んだ。
用心深くなった。
日記は書きたくなくなった。
高校生になると携帯を持った。
小学生から連絡用にと持たされていたが、
機能が増えたのは高校生ぐらいのことだった気がする。
(単に使いこなせる様になっただけかも?)
その機能の1つにシークレットモードというのがあった。
メモ機能にシークレットモードはなかった。
メール機能に実装されていた。
シークレットの未送信フォルダを作り、
一通500文字(500バイト?の250文字?)で未送信メールを作成していた。
携帯の壁紙には、その当時好きだったキャラクターの動くものを使っていた。
ある日、母から
『あんな変な画像、やめなさい』
と言われ、見られたことを把握した。
ロックをかけていたかわからない。
かけていたとしても、衆人環視なので、
暗証番号はバレている。
(家を出るまで、画面を隠すしぐさをすると
咎められた)
シークレットモードにも同じ暗証番号しか使えない。
だから、もしかしたらシークレットモードを活用するために、
ロックはかけていなかったかもしれない。
見られてマズイものはない。
そんなもの、置いておかない。
でも、気づいた。
シークレットモードをフォルダに適用していても、普通のモードでフォルダは見える。
フォルダを選択するとロックがかけられていることがわかる。
もし母にバレれば、その場で開けと言われることは想像に容易かった。
プライベートスペースは失われた。
姉の機種変に伴い、古い機種をもらった。
それのシークレットモードは
フォルダごと隠せるものだった。
だから、少しずつ言葉にしていた。
でも家では衆人環視なので、
トイレや通学中に書いていた。
学校のこと。
趣味のこと。
家族のこと。
自分のこと。
だったような気がする。
あと、イマジナリーフレンドとの会話。
(今、データがない。覚えていない。
ただ、内容はないし、主観的な気がする)
大学入学の頃から姉の機種の電池がへたり、
使えなくなった。
またパーソナルスペースを失った。
貧乏のため、まだスマホもPCも持てなかった。
スマホを持つまでの4年間は、
すごく感情が揺れたとき限定で、
ノートに書くようにしていた。
家族に読まれるリスクを背負ってでも書きたいこと、書かなきゃならないことを書くという意識が強かった。
名前や家族にわかる出来事は伏せて。
なるべく家族が読んだとしても
特定されないように。
なるべく家族が読んだとしても
不快にならないように。
私だけが理解できる様な言い回しで。
とはいっても、
「こんなことがあった」とか
「こう言われたけどよくわからない」とかで、内容はない。
言語化できないけれど、
気持ちが昂ったことや、
憂鬱になっていることを状況として
書いているだけだった。
ちなみに、私には
母に毎日その日あったことを話す習慣があったのだけれど、
私のルールとして、
母から求められていることに応えるために
楽しく話すことか、
母の信条に反する人のことは批判的に話す様にしていた。
でも、ノートではそうしていなかった。
中学生のときの【好みの変なキャラクターの壁紙】で学んだので、
事前にあえて変なことを書いておいた。
「〇〇くんのことが好き〜」とか
「〇〇ちゃんに
『うさぎのこと嫌いだから』って言われた」
(実話)とか。
母がコメントしてくるようにだ。
読んだことを把握するため。
私はノートを集めるのが好きだったので、
木を隠すなら森の中の通り、
数十冊(勉強で使っているものも含む)
のノートの中に放り込んだ。
位置が変わったことがわかられるとバレるので、
全ての位置を変えるか、
同じ位置に戻していた。
背表紙の出っ張りにも気をつけた。
なんなら、グチャグチャでわからないように
机を常に汚くしていた。
私は完全にモノの位置を記憶して。
ノートは開かなくてもわかるように、
表紙の隅に小さなシールを貼っていた。
母のいる所で間違って開かない様にするためだ。
(もちろん、
別のノートにもシールを貼っていた。
シールの場所を変えたり、
絵柄を変えたりして、
日記の目印としていた)
ノートだと、トイレで書けなくなった。
だから、脳内でおしゃべりするようになった。
書けるのは母と姉が出かけているときか、
私が夜中まで勉強しているときだった。
でも、ほとんどそんなことはないし、
夜中まで勉強しているときはノートに書いている場合ではないときだ。
書きたいタイミングとズレることもある。
スマホを持ってからは、
ロック機能付きのメモ帳アプリや
暗号化してくれるアプリを使っていた。
必ず訳の分からないフォルダに入れたり、
.付きの隠しフォルダを作っていた。
脳内のものをスマホで打ち込むよりも、
昔から勉強などで慣れている手書きが
どうしてもいいなと思ったときには
ノートに書いていた。
もう1つ理由があって、
電子機器に文章を書くときは
感情と切り離している気がする。
レポートや報告書などを大量に書いてきたから?と思っている。
今も割と癖が治っていない気が…?
一人暮らしをするときに
実家からちゃんとノートは持ってきた。
約15年で3冊だ。普通のノートで。
今読み返してみると、1年あいていることもざらだ。
「あけましておめでとう。CDTV見てるよ」の次が「あけましておめでとう」。
年越しは音楽番組を見たくて私だけ起きていたからだろう。
この用心深さと衆人環視の前提、
パーソナルスペースがない感覚は、
私の生活の端々に染み付いている。
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