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文化人類学のフィールドワークの誤解
中国新疆のウルムチではじめたわたしの初めてのフィールドワーク(修士課程)で、わたしは焦っていた。
季節はもう冬、雪がしんしんと降っている凍った石畳に立って、わたしは友人をバス亭で見送っていた。
わたしは何度も友人の家に行ってみたいとつたえていたのだが、
友人は「家族にあわせるタイミングがまだよくない」といって、笑顔で帰っていくばかりだった。
こんなに引っ込み思案な性格がだめなのかな。
他のひとはもっとうまくやってるのかな。
でも押せ押せで人とつきあうってのは性にあわないんだよ(泣)。
でもこのままではゼミで発表できる内容もない、
日本に、帰れない。帰れなかったらどうする、こっちで生活するか?
そこまでおいつめられていた。
そんなときわたしはその友人と喧嘩をしてしまい、友人宅への訪問はさらに遠のいた。結果「うわあああああ」となって、日本にいるゼミの先輩に国際電話をした。
「何もわかりません、何もできていません、フィールドワーク、わたしにはできませーん!!!」
何を調べたいと思っています、何はしています、でも肝心の何はできていません、そしてなによりわたしにはまだ「わかった!」といえるだけの手ごたえが何ひとつありません、もう何か月もいるのに!あと何か月で帰るのに!と先輩にまくしたてた。
あげくのはてに唯一の親しくしてくれている友人と今日は喧嘩までしてしまいました…そうしていかに自分が何もできていないかをこんこんと説明していた、ところだったのだが、
先輩は
「喧嘩をするなんてすばらしい!」
とおっしゃったのである。
…えぁ?
「喧嘩というのは価値観と価値観のぶつかりあいです。いったいどのような経緯で喧嘩にいたったのか。そこから異文化がみえてくる可能性があります。何が理由でどのような喧嘩をして、その結果どうなったのかを、克明に書いておくのがよいと思います。」
おぉ?
あ、そう?
わたし、よくやって…る……のか?!
なんか今日も有意義にすごしていたかのような……錯覚が(笑)
そして先輩のおっしゃってくださったのは、
「10か月の滞在で9か月なにもおこらないことはよくあります。最後の1か月で全てがわかる、ということがフィールドワークではよくあります。
よくメモをとって、落ち着いてすごしましょう、では♪」
その友人との喧嘩は、実に他愛のないもので、異文化のみえてくるような片鱗もなかったのだが、
最後の1か月で「うそ!」というエウレカのタイミングをわたしは実際に迎え、日本に帰った。
それまでとっていたメモは、すべてがエウレカとつながり、それによって、その論文の内容は、あたかも全日程において精力的に結論にむかって着々とデータを収集していたかのような様相を呈した。
フィールドワークというのはこういう魔法でできているところもある。ので、信じてがんばってね。