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放浪文化人類学者のはじまりはじまり③ ーカイロ、新疆のウイグル族のイスラム的な食事ってどうだった?


思えば先に訪問していたカイロにいたときから、ウイグル族の食事は「?」だったのだ。


アラビア語のブックマーケットで偶然出会ったウイグル族の家族のお宅におまねきを受けておじゃましていたのだが、
そこでだされたパン、クッキー、そしてウイグル料理のチュチュレ(ワンタンスープ)は、すべて手作りだった。パンやクッキーくらい外でもいくらでも買えるだろうに…と思うわたしにかれらがいったのは、
「あなたはカイロの路上の食べ物をなんでも食べてしまってるの?」だったのだ。



………え?
カイロに来たら「コシャリ」は安価な食事の定番でしょう。
新疆(中国)からザ・イスラムの国のエジプトに来て、
アズハル大学(アラブ圏では有名なイスラム大学[現在は総合大学])なんてかよっちゃってて(イスラム学関連で留学中)、何いっちゃってんの?

「コシャリ」
パスタ、ヒヨコ豆、レンズ豆に、揚げた玉ねぎとトマトソースをかけた、エジプトのファーストフード的なもの。



ハテナはハテナだったのだが、頭のなかでは「非重要」のファイルにほうりこまれていたそのひとこまが、急に思いだされた。
あれ、そういえばなんだった?

かれらはその場でこうも言っていた。中国のインスタントラーメンなどにあるハラールのマークは信用ならない、と。

ハラールのマーク。イスラム的に正しい食べ物という表示のこと(「ハラール認証」)


それは2008年の中国の粉ミルクのメラミン混入事件のようなことがあるからだ、と(ぐぐってくださると幸い)。だからかれらは新疆を出て内地(シチキル=「長城の内側」)にいくときにはカバンの中身はナン(ウイグル族のつくるパン)で、外で買うのは果物ぐらいだった、という。

そういえば、と思い出すのはカシュガルの隣の街のひとつ、アトシュに滞在していたときのこと。


わたしはアトシュの滞在先の家の女の子と、外に出るたびにガムを2つ買って食べていた。その日、いつものように2つを買って、ひとつを噛みながらもうひとつをわたすと、彼女は

「昨日兄がそれには豚が入っているといいました。だから食べません。」

といったのである。

え、…それ今私の口に入っちゃってますけど、そういういいかた、なくない?いつも一緒に食べてたのに、突然そういうこというの、あり?
というか、あなたはそれまでは豚を食べていた、ということになるんだけど、それ、ありなの??
という負の感情とハテナマークでいっぱいになったものの、平然としている彼女の横顔に、それ以上聞けなかったことを思い出した。
あのころ、わたしはイスラムに焦点をあてた調査はしていなかった(共産国で宗教の研究はご法度)。


売店で1個5角(約8円)で売られていたそのガムと、イスラムに対する学識など特にあるようにもみえなかった彼女の兄の風貌を思って
わたしは急に自分の口にゴミがいれられているような気になった。

思えば、アトシュの公務員の世帯であるその家の中庭で、突如つくられたナン窯(トヌール)があった。

アトシュの世帯の中庭につくられたトヌール

それまでその世帯では、ナン窯をもつ親族の家(農村)でナンをまとめてやいてもらったり、足りない分はバザールで購入したりしていたのだが、子供が遠方の大学に寄宿するようになって、そこにもナンを届けたいと思うようになったというのだ。
「ナンは自分でつくったほうがいいの」とは聞いていたのだが、まさか自分の家にあらたにナン窯などというものをつくるとは。

だって、ナンをつくるのは非常に面倒なのだ。
生地をこね、発酵させ、薪を大量に燃やし、またその熱い窯に手袋はしているもののじかに内壁に生地を貼り付けていく。


ウルムチの世帯でみたナンを焼いているトヌールの内側

1枚1元(約16円)のそれなど、バザールで買うほうがマシだとわたしは思っていた。しかしこれが、ナン窯のないカシュガルの商人の世帯にいたときには、生地を家でつくってナン屋(ナワイー)に持っていき、いくらかをわたして焼いてもらうということがなされていたのだ。

「バザールのナンはよくない油をつかっているから」といわれた。

というわけで、外で買ってきたナンを喜んで食べているのは日本人観光客くらいじゃなかろうか(誇張です)、というくらい、ウイグル族の人々は家では自分たちの手で食をつくるべく努力をしていた。


それは環境がかわれば、たとえばトルコのイスタンブルのように、きれいな街、整ったインフラ、となってくれば改善されることくらいに思っていたのである。

ましてや中国からイスラムの国であるトルコ、その首都イスタンブルに来て、
それはなんにもなくなっていなかったのかっ!
イスラムという価値観に対してさえもっ!


ひとまわり前の世代のイスラム研究者である片倉もとこ氏による、カイロでの以下のような文章がある。

1963年ごろだった。カイロ大学の留学を終えて、当地で結婚した私は、留学時代の友達やお世話になった女子寮の舎監先生らを家に招いて、精一杯のご馳走を並べたことがある。肉料理をふんだんに出せばご馳走になると思っていた当時の私は、きつね色にこんがり焼いた若鶏の丸焼きの足に白い紙のリボンをつけたりして得々とみなにすすめた。ところが、みなどういうわけか鶏やビーフ料理にはいっこうに手をつけてくれない。客の中にはちょうど同じクラスだったナセル大統領の娘、ホダもまじっていて、日本の箸の使い方を習って、はしゃいでいたが、彼女が、「私たちは誰がどのようにして殺したかわからないお肉は食べちゃいけないのよ」と私に謝りながら、そっと教えてくれたのだった。

片倉もと子 1979『アラビア・ノートーアラブの原像をもとめて』日本放送出版協会,p48-49。

カイロで片倉氏が調達した肉が、イスラムで許されていない肉だったってこと、考えられる?

ホダ、あなたはカイロをそんなにも信頼できないままでそこに暮らしていたの?カイロとはそういう場所なの?その「誰が」は、「第3者」や「友人」(外国人ではあるが…)や「社会」であってはだめなの?あなた自身がその目でじかに確認しなくてはならないことだったの?自分の目の外というのは、そこまで信頼してはいけないものなの?

これを考えると、調理者が外国人(片倉氏)だったということを差し引いても、カイロのアラブ人もまた、外界の食に対して警戒をおこたらず、出所不明の食べ物は避けるということを身につけていたと考えられる、ということがみえてくる。

しかし、実際に粉ミルクのメラミン混入のようなことだってあるのだから、といわれれば、わたしたちの日本の社会だって、行政が水質管理をおこたったり、企業が有害なものを売っていたり、そうした事例は実は枚挙にいとまない。わたしたちの社会だって、信用できないのだ。だけどそこで、信頼できる社会をともにつくりだそう、という動きとは違うふるまいをしているのがウイグル族であるようにみうけられる。それはおそらく、エジプトのアラブ人もまた。
イスラム社会とはイスラムを達成することを目指している社会なのではなく、それを個々の手にゆだねている混沌の世界=イスラム社会なのではないかということさえもがみえてきうる。
そしてイスタンブル(ドバイのイスラム大学を卒業していた男性の世帯)で、アトシュで、言及されていた「豚」は、それが事実かどうかはイスタンブルの場合であってもアトシュの場合であっても成分表等では確認することはできなかったと思われる(特にイスタンブルは)。だからそれは、信頼できない他人の形容の仕方のひとつであり、よりよい、の反対側にあるものを示しているにすぎないようにみえる(イスラム的にも)。

それは、「イスラム教徒は豚を食べてはいけない」ということとはちょっと違う様相をていしている、ということになる。

イスラムの食は、豚を食べないこと、戒律にのっとって屠殺すること、なはずなのだが、かれらがしているのは、自分の食のなかみを攪乱する可能性のある「自分を真に親身にはおもっていない他者」の手を排除すること、にもなっているからである。その「他者」には、イスラム教徒という存在もまた含まれている。

だから、わたしにとっては『岩波イスラーム辞典』のハラール食品の項はみるべきなにかをまだみていない文章のようにみえる。

「イスラーム法的に合法な食品。とくに、肉および肉製品についていう。イスラーム法では天然の食物は原則としてハラール(合法)であるが、豚肉、死肉、偶像に捧げられた動物の肉、血などが禁じられている。牛、羊、山羊、鶏等についてはアッラーの名によって屠り、血抜きをすることがイスラーム法で決められている。ムスリムの消費者はハラールでないことを忌避するため、中東諸国では多宗教の地域でも肉屋の大半がムスリムで占められている。伝統的には、食品はその地域で生産されるものが多く、食品のハラール性が問題となることはなかった。現代では非イスラーム圏からの食品輸入の増加によって、しばしば輸入品について疑義が呈される事態となっている。2000年12月には、インドネシア味の素の製品が製造過程で触媒に豚製品をつかったとして大きな問題となった。非イスラーム国でのムスリム移民のコミュニティではハラール食品の確保が課題となり、専門店が営業されている。」

小杉 2002『岩波イスラーム辞典』785、岩波出版社。

「ムスリムの消費者はハラールでないことを忌避するため、中東諸国では多宗教の地域でも肉屋の大半がムスリムで占められている。」
――そしてイスラム社会ができあがっていて、人々は安心してその社会で生活…していない!

「伝統的には、食品はその地域で生産されるものが多く、食品のハラール性が問題となることはなかった。」
――いや、おおありです。あってこそ「イスラム世界」という見方こそ導入されるべきでは!(ウイグルをベースにした見方ではありますが)


そこにおける食品は、加工前の素材に重点がおかれるという結果になっていることもまた、考えるべきでは。



のちに調査するパキスタンの山岳牧畜民(ペルシア系)のところにいたとき、3か月おきに出国が必要となるというめんどいビザ(Researcherビザをいただけて本当にありがたかったですパキスタン政府!)だったおかげで、中国(タシュクルガン)に行っては1日で帰ってくる(中国の出入国管理官にとっても「なんでお前はまた来たんだ!」な案件)ということをくりかえしていたのだが、中国の紅茶葉や砂糖のかたまりというお土産は喜んでくれるものの、味のついた豆菓子(せんべいのような生地をつけて煎られていた)を子供にあげたとき、
親たちに深刻な顔をして
「なんだこれは」「安全なものなのか」「なにをつかってつくられたものだ」「誰がつくったんだ」と質問責めにされたことがある(もはや馴れてきた感さえあるわたしの毎度のやらかし…)。
ほぼ豆だったので、大丈夫だと思ったんだけどなぁ。




そんなトルコの調査から帰ってきたとき、小金の入用で短期の試食販売のアルバイトをしたことがあったのだが
そのときわたしは思った。


日本人は!!なんで!!こんな見も知らぬ人間がさしだしている怪しい(清潔に作業はしています…)食べ物をなんの疑いももたず口にいれるのだ!!
大丈夫かこの民族は?
と思ったが、わたしの頭が大丈夫か。


まあだんだんと日本にも意識がなれてくるものなのではあるが、
フィールド帰りというのはこういう意識のリープを内心でくりひろげていることがある。



to be continued.

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